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シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く

一般財団法人砂防フロンティア整備推進機構の井上公夫です。私は調査で現地に行くと、旅館やホテルでその地の市町村史などを読み、その地域の自然条件や社会条件を知るとともに、歴史的大規模土砂災害の事例を調査してきました。今までの調査・研究結果から、日本各地で起こった大規模土砂災害の事例を紹介するとともに、地域住民がどのように復興に努力してきたかを紹介して行きたいと思います。

 
新着コラム  


コラム40 関東大震災(1923)による小田原市の土砂災害 ―根府川・白糸川流域の大規模土砂災害地点を歩く− [2017.10.18]


『関東大震災と土砂災害』(井上編著,2013年9月1日,古今書院発行)の原稿執筆時の平成24年(2012)12月14日(金)〜15日(土)に13名の参加で、小田原市根府川・白糸川流域の現地見学会を行いました(内田・井上,2012)。関東地震当時10歳だった内田一正(2000)の手記と測量図(1975)で、根府川集落を襲った白糸川の土石流について、正確な情報が得られました。... 

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コラム一覧  

1.寺田寅彦『天災は忘れられたる頃来る』 [2015.04.16]

高知城の北に隣接する地に寺田寅彦邸があります。寅彦が青年時代を過ごした実家で、現在は寺田寅彦記念館(入場無料)として、様々な記念物が展示されています... 

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2. 河道閉塞による湛水(天然ダム)の表現の変遷  [2015.05.14]

新潟県中越地震(2004年10月24日)によって、信濃川東部の丘陵性山地(魚沼丘陵)では、多くの土砂移動現象が発生しました。このため、各地で河道閉塞を引き起こし、背後に多量の湛水を抱え、徐々に水位が上昇していきました。左の写真は新潟県中越地震時の寺野の河道閉塞・湛水状況を示しています... 

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3. 八ヶ岳大月川岩屑なだれによる天然ダムの形成(887)と303日後の決壊  [2015.05.28]

平安時代の仁和(にんな)三年七月三十日(ユリウス暦887年8月22日)の五畿七道の地震(南海―東海地震)で、北八ヶ岳(きたやつがたけ)の火山体が強く揺すられ、大規模な山体崩壊が発生したことが知られています(石橋2000)。千曲川沿いの佐久平(さくだいら)から善光寺平(ぜんこうじだいら)付近までの平安時代前半の遺跡では、条里制水田などを覆うほぼ同じ年代(陶磁器などで認定)の洪水砂が多くの遺跡で発掘され、「仁和の洪水砂」(川崎2010)と呼ばれています... 

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4. 寛文二年(1662)の近江・若狭地震と町居崩れ  [2015.06.11]

宇佐美(1996)、中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会(2005)によれば、寛文二年五月一日午之上刻(1662年6月16日11時頃)、京都・大阪・大阪地域を中心として、近江・若狭地震(琵琶湖西岸地震,M71/2〜3/4)が発生しました(図1,井上・今村,2002,今村ほか,2002,井上,2006)。琵琶湖西岸では田畑が湖中に「ゆりこむ」とあり、検地史料などをもとにした分析から水没現象があったようです(萩原ほか,1982)。... 

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5. イタリア・バイオントダム(1963)の被災地を訪ねて  [2015.07.02]

2004年5月24日〜27日に、北イタリア北部のトレント州リーバ・デル・ガルダ(Riva del Garda)において,Interpraevent(国際防災学会)の第10回大会が開催されました。世界14ヵ国から約400名(日本からは約50名)の参加者がありました。本会議は防災に関する国際会議で、環太平洋支部の大会が2002年に長野県松本市で開催されました。... 

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6. 1707年富士山宝永噴火〜長期間に及んだ土砂災害〜  [2015.07.16]

富士山では、平成12〜13年(2000〜2001)に、富士山直下で低周波地震の多発が観測されました。このため、平成13年7月に国及び関係県・市町村により、「富士山火山防災協議会」が設置され、その下に「富士山ハザードマップ検討委員会」(委員長・荒牧重雄東京大学名誉教授)が組織され、平成16年6月に委員会報告書(2004)が作成されました ... 

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7. 1792年の島原大変肥後迷惑  [2015.07.30]

図1に示しましたように、雲仙普賢岳は223年前に寛政噴火(1791-92)を起こし、噴火の最末期の寛政四年四月朔日(1792年5月21日)夜、四月朔地震(M6.4)によって、島原城下町の西側にそびえる眉山が大規模な山体崩壊を起こしました(片山,1974,井上,1999)。... 

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8. 高田地震(1751)による日本海側の無数の大規模土砂災害  [2015.08.27]

高田地震(越中・越後地震)は、寛延四年四月二十六日丑刻(1751年5月21日午前2時頃)、高田平野の直下を震源(東経138.2°,北緯37.1)として発生しました。宇佐美(2003)によれば、マグニチュードM=7.2±0.2と推定されています。...

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9. 高田地震(1751)による名立崩れと追立山の巨大地すべり  [2015.09.10]

地震地すべり研究プロジェクト委員会(2012)の『地震地すべり』では、名立崩れを取り上げ,カルテ票を作成しています。井口・八木(2013)の「空から見る日本の地すべり地形シリーズ―27―」においては,セスナから撮影した写真(写真5)などで、名立崩れの地形状況を説明しています。... 

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10. 日光・大谷川流域の地形特性と土砂移動特性  [2015.10.01]

図1接峰面図(井上1993,2006)に示したように、日光火山群には東から女峰・赤薙火山、小真名子火山、大真名子火山、太郎火山、男体山、日光白根火山などの火山が並んでいます。河田(1955)は、女峰・赤薙火山が日光火山群の中で最も古く、数万年前に火山活動を終了したとしていますが、これらの火山の発達史はあまり知られていません ... 

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11. 寛文二年(1662)の日光大災害  [2015.10.15]

日光大谷川流域の土砂災害状況を把握するために、集落毎に区長や老人等から過去の土砂・洪水災害について、聞き込み調査と現地調査を行いました(建設省日光砂防事務所,1988)。そして、日光市教育委員会の資料や沼尾(1975)、栃木県立博物館(1984)などをもとに、図7の大谷川流域の災害状況図を作成しました ... 

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12. 1707年の宝永地震による仁淀川中流・舞ヶ鼻の天然ダム  [2015.11.02]

宝永四年十月四日(1707年10月28日)に発生した宝永南海・東南海地震は、日本列島周辺で最大規模の地震で、震動の範囲は北海道を除く日本全国に及びました。震源は遠州灘と紀伊半島沖で、東南海と南海地震の2つの地震(いずれもM8.4程度)がほぼ同時に発生しました(飯田,1979,宇佐美,2003) ... 

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13. 1707年の宝永地震と半年後の豪雨による高知県東洋町名留川の大規模崩壊  [2015.12.02]

コラム12でも説明しましたように、宝永四年十月四日(1707.12.24)に発生した宝永地震(M8.4〜8.6)は、南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が生じた海溝型巨大地震です。この地震の激震によって、人家の潰滅、津波、などの激甚な被害が発生しました(小山内・井上,2014) ... 

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14. 1707年の宝永地震と富士川・下部湯之奥の天然ダム  [2015.12.17]

図1に示しましたように、富士川流域には深層崩壊が多く発生していることが分ります。宝永東南海地震(1707)では、安倍川上流の大谷崩れや富士川流域の白鳥山,右支早川・雨畑川の八潮崩れなどが知られています(中村ほか2000)が,下部(しもべ)温泉上流の富士川左支・下部川でも天然ダムが形成されました ... 

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15. 1502年の姫川流域・真那板山の大崩壊と天然ダム  [2016.01.20]

長野県白馬村から小谷村を通って新潟県糸魚川市に北流する姫川流域は、フォッサマグナ西縁の糸魚川静岡構造線に位置しています。姫川は南北に連なる北アルプスの東側を並行して流れる川で、流域面積722km2、本川延長50kmです。西側山地は大起伏山地で、中古生層や第四紀の火山砕屑岩類からなるのに対し、東側山地は新第三紀の左岸や泥岩などが分布します。 ... 

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16. 1714年の信州小谷地震による姫川・岩戸山の天然ダム  [2016.02.12]

信州小谷地震(M61/4,宇佐美,2003)は、正徳四年三月十五日夜戌亥刻(1714年4月28日22時頃)に発生し、姫川に沿った小谷村を中心に激震が襲いました(小谷村誌編纂委員会,1993a)。この地震の素因は糸魚川−静岡構造線活断層系の部分的活動にあり、震央は南接する白馬村堀之内付近で最大震度は7とされています(都司,1993)。 ... 

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17. 豪雨(1757)による梓川上流・トバタ崩れと天然ダム  [2016.03.03]

長野県北信地域における天然ダムを調査してみますと、図1に示すように、19事例(@の青木湖を除くと過去500年間)も発生しています(中村ほか,2000,田畑ほか,2002)。弘化四年(1847)の善光寺地震に伴う天然ダムが7事例(E〜K)ありますが、それ以外に12事例も存在します。 ... 

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18. 天明三年(1783)の浅間山天明噴火と鎌原土石なだれ  [2016.03.31]

千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館では、開館20周年記念展示として、2003年7月8日〜9月21日に、「ドキュメント災害史1703-2003,−地震・噴火・津波、そして復興−」という企画展示が開催されました。この企画展示は、災害史研究者の北原糸子氏が、災害史に関心のある自然科学者と歴史科学者を集めて共同研究を組織し、応募・採用されたものです ... 

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19. 天明三年(1783)の浅間山天明噴火と天明泥流  [2016.05.16]


コラム18の図3に示しましたように、浅間山から高速で北麓を流下してきた鎌原土石なだれは、吾妻川右岸側の急斜面からなだれ落ちました。そして、そこにとどまることなく(天然ダムを形成せず)、すぐに天明泥流となって、吾妻川から利根川を流下し、千葉県の銚子で太平洋に達しました。一部は千葉県関宿付近から江戸川に流入し、江戸(東京湾)まで達しました ... 

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20. 善光寺地震(1847)による土砂災害 ―当時の絵図と古文書から土砂災害の状況を探る―  [2016.06.10]


善光寺地震は、弘化四年三月二十四日(1847年5月8日)に発生したM7.4の直下型地震で、震源地は地震断層や被災状況から判断して、長野市浅川地区と推定されています(宇佐美,2003)。この地震によって,長野県北部では非常に多数の山崩れを起こし,松代藩領で4万2000箇所,松本藩領で1900箇所に及びました(善光寺地震災害研究グループ,1994,井上,2008) ... 

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21. 善光寺地震(1847)による犀川の岩倉山天然ダム  [2016.08.05]


コラム20でも紹介しましたが、松代藩の家老・河原綱徳の『むし倉日記』には、岩倉山の地すべりによって形成された大規模天然ダムの形成と決壊に対する松代藩の対応が詳述されています。一巻(元)は、松代城下の様子や善光寺地震 の報告と対応が中心ですが、次第に周辺の山地部から激甚な土砂災害の情報が入ってきます ... 

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22. 飛越地震(1858)による土砂災害  [2016.09.08]


常願寺川は、立山(弥陀ヶ原)火山を源とし、富山平野を流れる急流河川で、流域面積356km2、流路長56km、比高差2830m(最高点2992m,扇頂高度162m)であり、江戸時代末まで舟便があるなど、比較的安定した河川でした。ところが、安政五年二月二十六日(1858.4.9)の飛越地震(M7.3〜7.6,災害教訓に関する専門調査会,2009,宇佐美,2003)時に、常願寺川の源流部・湯川の左岸斜面で、「鳶崩れ」と呼ばれる大規模崩壊が発生し、天然ダムが形成されました ... 

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23. 飛越地震時の鳶崩れと天然ダム決壊洪水  [2016.10.13]


写真4は、桑崎山上空から見た立山カルデラの状況を示しています(国土交通省立山砂防工事事務所,2002)。飛越地震は、跡津川断層の東端では鳶崩れと呼ばれる大規模崩壊を発生させ、大量の崩壊土砂は岩屑なだれとなって、カルデラ内の湯川から常願寺川を流下・堆積しました ... 

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24. 天保五年(1834)の富士山の大規模雪代災害  [2016.11.24]


火山(富士山)は噴火しないと安全でしょうか。噴火が終了すれば安全でしょうか(早川,2014,石丸,2014,岩松,2014,小山・鈴木,2014,井上,2014)。富士山は噴火していない時期でも地震・豪雨などによって侵食され、下流に大量の土砂を流出し、大きな被害を与えてきました ... 

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25. 石打の大規模地すべり(1176)と松之山町湯本地すべり  [2016.12.07]


上越新幹線で東京から大清水トンネルを抜けると越後湯沢の駅に着きます。図1に示したように、駅の西側は有名な温泉街・スキー場となっています。東側は魚野川の沖積低地で湯沢の町が広がっています。この付近は東京と新潟を結ぶ交通の要衝で、JR上越新幹線、上越線、関越自動車道、国道17号が通過しています ... 

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26. 安政東海・南海地震(1854)による土砂災害  [2017.01.12]


図1は、宝永四年十月四日(1707年10月28日)に発生した宝永地震(M=8.6)と嘉永六年(安政元年)十一月四日(1854年12月23日)の安政東海地震(M=8.4)、32時間後の安政南海地震(M=8.4-8.5)による土砂災害分布です(井上ほか,2012)。 ... 

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27. 周防大島で発生した1886年の激甚な土砂災害  [2017.02.02]


三方を海に面する山口県には、大小約 240 の島があり、このうち最も大きな島は、面積 128km2 の周防大島(すおうおおしま(島名:屋代島))です。瀬戸内海の島としては、淡路島、小豆島に次ぐ3番目の広さを有しています。平成16年(2008)に久賀町・大島町・東和町・橘町が合併して、周防大島町となりました。 ... 

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28. 明治22年(1889)紀伊半島豪雨による土砂災害  [2017.02.15]


紀伊半島では、明治22年(1889年)に平成23年(2011年)以上の激甚な土砂災害が発生し、大規模な天然ダム(当時「新湖」と呼ばれた)が数多く形成されました(宇智吉野郡役所,1891,芦田,1987,平野ほか,1984)。平成23年災害以前から、現地踏査や詳細な資料調査などにより様々な報告がされています ... 

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29. 1892年に四国東部で発生した高磯山と保勢の天然ダム  [2017.03.16]


明治25年(1892)7月25日、台風に伴う集中豪雨によって、四国東部・徳島県の那賀川中流右岸の高磯山と海部川中流右岸の保勢(保瀬)で大規模崩壊が発生しました。大量の崩壊土砂は河道を閉塞し,巨大な天然ダムを形成しました。そして、豪雨後の出水に伴い、2〜3日後に天然ダムは満杯となり、河道閉塞箇所からの溢水によって一気に決壊しました  ... 

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30. 寛政西津軽地震(1793)による追良瀬(おいらせ)川上流の天然ダム  [2017.04.05]


青森県南西部に位置する白神(しらかみ)山地中を北流して日本海へ注ぐ追良瀬川は、流路延長33.7kmで、全体的にV字谷を形成し、下流域には狭い谷底平野が連なります。防災科学技術研究所(2000)の地すべり地形分布図によれば、上流域には地すべり地形が多数分布し、河口から約5km上流の松原集落西方に位置する岩山の対岸にも地すべり地形が存在します  ... 

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31. 天正十三年(1586)の天正地震による土砂災害  [2017.04.27]


天正地震は天正十三年十一月二十九日(1586年1月18日)に発生した大規模直下型地震で、阿寺断層系または庄川断層系等、複数の断層によってもたらされた可能性が大きいと考えられています。地震の規模は、河角(1951)はM7.9、宇佐美(1996,2003)はM7.8±0.1、飯田(1979,1987)は震度分布からM8.2、村松(1998)はM7.8、などと推定しています。  ... 

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32. 明治24年(1891)の濃尾地震直撃による土砂災害  [2017.05.24]


濃尾地震(M=8.0)は、明治24年(1891)10月28日6時38分に岐阜県本巣郡西根尾村の水鳥(みどり)の北方を震央として発生しました。明治22年(1889)7月1日に町村制施行とともに、宇津志村・高尾村・水鳥村・松田村・大井村・大河原村・能郷村が合併して西根尾村が発足しました。明治37年(1904)4月1日に、東根尾村・中根尾村・西根尾村が合併して、根尾村となっています。 ... 

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33. 濃尾地震後の豪雨による土砂災害  [2017.06.15]


根尾谷では、濃尾地震から29日後の明治24年(1891)11月26日より大雪が降り続いたが、40日後の12月8日には気温が上昇して午後から大雨(降水量不明)になりました。このため、コラム32の表2に示したように、西根尾村(本巣市)大字大井字上ノ山(地点L)では、夜20時頃大音響とともに土砂が樹木を混じえて崩れ落ち、180mあまり離れた人家を埋没させました。同夜、大字高尾字吉尾(地点K)でも、土石流が発生し、人家9戸を埋没させました。 ... 

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34. 富士川支流・大柳川における天然ダムの形成と災害対策  [2017.06.30]


富士川右支川大柳川(山梨県富士川町)は、図1に示したように、富士川の上流、釜無川と笛吹川との合流点より下流側に位置する右支川で、流域面積42km2、流路延長9kmの一級河川です。富士川町は2010年に鰍沢町と増穂町が合併し、鰍沢町は1955年に鰍沢町と五開村が合併しました。この地域はフォッサマグナ西縁の糸魚川−静岡構造線沿いに位置しており、地形はかなり急峻で、脆弱な地質からなります。 ... 

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35.姫川左支・浦川の稗田山崩れ(1911)と天然ダムの形成・決壊  [2017.07.19]


明治44年(1911)8月8日3時頃に発生した「稗田山崩れ」(稗田山の大崩壊)は、土石流(岩屑なだれ)となって姫川の左支川・浦川を流下し、姫川との合流点に天然ダム(長瀬湖と呼ばれた)を形成しました。浦川下流では100m程度の土砂埋積があり、右岸側段丘面に存在した石坂集落の3戸は埋没し、死者・行方不明は23名にも達しました(姫川本川の池原下の1戸を含む)。流下土砂の一部は浦川下流部の松ヶ峰と呼ばれる小尾根部を乗り越え、来馬河原に流入しました。 ...

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36.豪雨(1914)による安倍川中流・蕨野の河道閉塞と静岡市街地の水害  [2017.08.04]


静岡市を南北に流下する安倍川は、南アルプス東南端に位置する大谷嶺(標高1999.7m)に源を発する一級河川(図1,流路長51km,流域面積567km2)です。安倍川流域の東側山地には北北西に通過する十枚山地質構造線が、西側山嶺部にはほぼ南北に併走する笹山地質構造線が存在します。このため、安倍川流域を構成する古第三紀の瀬戸川層群(主たる地質は砂岩・泥岩互層)は、強い構造作用により脆弱で破片化しやすくなっています。 ... 

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37.関東大震災(1923)による横浜の土砂災害 −9月1日のプールの逃避行ルートを歩く−  [2017.08.28]


筆者は関東大震災から90周年にあたる2013年9月1日に、『関東大震災と土砂災害』(編著,古今書院)を出版しました。関東大震災では、10.5万人もの死者・行方不明者を出したが、土砂災害が167箇所、1056人以上の死者・行方不明者を出したことはあまり知られていません(井上・伊藤,2008)。関東地震による土砂災害について、これから数回に分けて説明致します。 ... 

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38. 関東大震災(1923)による神奈川県東部の土砂災害 −横須賀地区と浦賀地区の土砂災害地点を歩く−  [2017.09.14]


神奈川県東部の横浜や横須賀・鎌倉地域では、人家背後の急斜面が崖崩れを起こし、多くの人家が押し潰され、多数の死傷者を出しました。しかし、地震の揺れによる人家の倒潰や火災被害が甚大であるため、土砂災害の詳しい調査・研究はあまり行われていませんでした。中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会の1923関東地震小委員会(2006)では、... 

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39. 関東大震災(1923)による丹沢山地の土砂災害 −秦野駅から震生周辺の土砂災害地点を歩く−  [2017.10.05]


いさぼうネットのコラム37と38では、横浜(第1回)、横須賀(第3回)の現地見学会の報告を含めて、関東大震災の神奈川県東部の土砂災害について、説明しました。2014年9月27日(土)に第2回シンポジウムと現地見学会として、「関東大震災による秦野盆地と大磯丘陵の土砂災害,―秦野駅から震生湖周辺を歩く―」を開催しました(井上・相原・笠間,2015)。... 

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○井上公夫:一般財団法人砂防フロンティア整備推進機構・技師長。
○略歴: 1948年東京都生まれ。東京都立大学理学部地理学科卒業。 京都大学論農博1993年。専門は防災地形学。首都大学東京、筑波大学非常勤講師。中央防災会議・災害教訓の継承に関する専門調査会「1707富士山宝永噴火」、「1847善 光寺地震」、「1858飛越地震」、「1923関東大震災」、「1947  カスリーン台風」、「1707宝永地震」報告書分担執筆。

 

 

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いさぼうネット「歴史的大規模土砂災害地点を歩く」コーナー 係

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