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 <シリーズ 1>「時系列でみる日本付近の主な被害地震」−(2)


 今回は、地震に周期性があるのなら、地震の活動が活発な時期や、それとは反対に比較的平穏な時期はないのか、理科年表のデータを使って検証してみましょう。理科年表に収録されている427の被害地震を、世紀別に整理し、一覧表を作ってみました。それが、次の図1−(2)−1です。


図1−(2)−1

(「平成25年 第86冊 理科年表」 より作成)


 この図を見ると、それまでは10個を超えることが滅多に無かった被害地震の数は、江戸時代の始まりと呼応するかの様に、17世紀以降は常に50個を超え、格段に増えていることが分かります。その理由は、実際の被害地震が多かったこともあるでしょうし、色々な出来事を書き残した資料がしっかりと残されていることや観測体制が整ってきたこと、人口が増えて来たこと――奈良・平安の頃は500万人程度、1000万人を超えるのは早くとも15世紀以降で、17世紀以降急激に増加したと考えられている――、加えて、政治が安定して政府の力が日本の隅々まで及ぶようになって来たことなども影響している、と思われます。


 ただ、そう言った条件がそろっていない16世紀までは、ある意味条件が良く、甚大な被害を蒙った地震だけが書き残されていた、と考えられます。そして、古い時代になればなるほど、また荒んだ時代であればあるほど、書き残されずに忘れ去られた地震も多かったのではないでしょうか。そんな悪条件を考えてみますと、今から1000年以上も前の9世紀に、それ以前は勿論、それ以降16世紀までと比べても突出して多いのは、明らかに被害地震が多かった、と言えるでしょう。
 では、その当時のおもな被害地震を理科年表から見てみましょう。


 表1-(2)-1          7世紀末〜9世紀末のおもな地震(理科年表による)
西暦 和暦 地震名 マグニ
チュード
被害状況
679年-月-日 天武7年12月-日 ※1筑紫地震 M6.5〜7.5 家屋の倒潰多く、幅2丈、長さ3千余丈の地割れを生じた。
684年11月29日 天武13年10月14日 ※1
白鳳南海地震
 
M≒81/4 山崩れ、河湧き、家屋社寺の倒潰、人畜の死傷多く、津波来襲して土佐の船多数沈没。土佐で田苑50余万頃(約12㎢)沈下して海になった。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。
701年5月12日 大宝1年3月26日 ※1丹後地震 - 地震うこと3日。若狭湾内の凡海郷が海に没したという「冠島伝説」があるが、疑わしい。
715年7月4日 霊亀1年5月25日 ※1遠江・三河地震 M6.5〜7.5 山崩れが天竜川を塞いだ。数十日後決壊、民家170余区が水没した。
715年7月5日 霊亀1年5月26日   M6.5〜7.0 正倉47破壊、民家に陥没したものがあった。
734年5月18日 天平6年4月7日 ※1河内・大和地震 - 民家倒潰し圧死多く、山崩れ、川塞ぎ、地割れが無数に生じた。
745年6月5日 天平17年4月27日 ※1美濃地震 M≒7.9 櫓館・正倉・仏寺・堂塔・民家が多く倒潰し、摂津では余震が20日間止まらなかった。
762年6月9日 天平宝字6年5月9日 ※1中部地方地震 - (美濃・飛騨・信濃)被害不詳。罹災者に対し1戸につき穀物2斛を賜った。
818年-月-日 弘仁9年7月-日 ※1北関東地震 M≧7.5 山崩れ谷埋まること数里、百姓が多数圧死した。従来、津波があったとされていたが、おそらく洪水であろう。
827年8月11日 天長4年7月12日 ※1京都群発地震 M6.5〜7.0 舎屋多く潰れ、余震が翌年6月まであった。
830年2月3日 天長7年1月3日 ※1出羽秋田地震 M7.0〜7.5 秋田の城郭・官舎・寺社悉く倒れる。家屋も倒潰し、圧死15、傷100余。地割れ多く、河岸の崩れや川の氾濫があった。
841年-月-日 承和8年-月-日 ※1信濃地震 M≧6.5 墻屋が倒壊した。同年2月13日以前の地震。
841年-月-日 承和8年-月-日 ※1北伊豆地震 M≒7.0 里落完からず、死者があった。同年5月3日以前の地震。丹那断層の活動によるものか?
850年-月-日 嘉祥3年-月-日 ※1出羽庄内地震 M≒7.0 地裂け、山崩れ、国府の城柵は傾頽し、圧死多数。最上川の岸崩れ、海水は国府から6里のところまで迫った。
856年-月-日 斉衡3年3月―日   M6〜6.5 京都およびその南方で屋舎が破壊し、仏塔が傾いた。
863年7月10日 貞観5年6月17日 ※1越中・越後地震 - 山崩れ、谷埋まり、水湧き、民家破壊し、圧死多数。直江津付近にあった数個の小島が壊滅したという。
868年8月3日 貞観10年7月8日 ※1播磨地震 M≧7.0 播磨諸郡の官舎・諸定額寺の堂塔ことごとく頽れ倒れた。京都では垣屋に崩れたものがあった。山崎断層の活動によるものか?
869年7月13日 貞観11年5月26日 貞観の三陸沖地震 M8.3
Mw8.4
城郭・倉庫・門櫓・垣壁など崩れ落ち倒潰するもの無数。津波が多賀城下を襲い、溺死約1千。流光昼のごとく隠映すという。三陸沖の巨大地震とみられる。Mwは津波堆積物の調査による。
878年11月1日 元慶2年9月29日 ※1南関東地震 M7.4 相模・武蔵が特にひどく、5〜6日振動が止まらなかった。公私の屋社一つも全きものなく、地陥り往還不通となる。圧死多数。京都で有感。
880年11月23日 元慶4年10月14日 ※1出雲地震 M≒7.0 社寺・民家の破損が多く、余震は10月22日に至るも止まらなかった。この日京都でも強く感じたというがこの地震とは無関係で、規模ももっと小さかったとする説がある。
881年1月13日 元慶4年12月6日 ※1京都群発地震 M6.4 宮城の垣墻・官庁・民家の頽損するものはなはだ多く、余震が翌年まで続いた。
887年8月26日 仁和3年7月30日 ※2
仁和東海南海地震
M8.0〜8.5 京都で民家・官舎の倒潰多く、圧死多数。津波が沿岸を襲い溺死多数、特に摂津で津波の被害が大きかった。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。
890年7月10日 寛平2年6月16日   M≒6.0 (京都)家屋傾き、ほとんど倒潰寸前のものがあった。

「平成25年 第86冊 理科年表」国立天文台編 平成24年11月30日発行 より作成
※1「歴史のなかの大地動乱」保立道久、岩波新書
※2「津波、噴火… 日本列島地震の2000年史」 保立道久、成田龍一監修 朝日新聞出版


 奈良・平安の頃の人口が今の時代の凡そ25分の1と考えると、確かに“多い”と言えます。表中の地震名のところで参考にした、「歴史の中の大地動乱 ――奈良・平安の地震と天皇」(岩波新書)を記した保立道久氏は、その著書の中で、地震学者今村明恒(1870―1948)の説、「日本列島の地震には旺盛期というべきものがある」を紹介しています。それは、歴史資料によって確認できる限りでは、@7世紀末から9世紀末、A16世紀末から18世紀初頭、B19世紀半ば以降だそうです。


 この説にはいろいろな批判もあるようですが、今回作成した図1−(2)―1のグラフを見てみますと、指摘された3つの期間は、確かに他に比べて多くなっています。特に、@7世紀末から9世紀末は、明瞭にその傾向が見て取れます。そして、この期間には、表1−(2)−1にも載っているように、3.11東日本大震災でクローズアップされた貞観の三陸沖地震(西暦869年7月13日)が起こっていますし、その18年後の西暦887年8月26日には、南海トラフを震源域とする「仁和東海南海地震」も、起こっています。さらに、その100年ほど前には、白鳳南海地震が起こっていて、俗に言われる「海溝型の巨大地震」が、3つも起こっているのです。


 「貞観の三陸沖地震」は2011年3月11日に発生した「東日本大震災」と同クラスの巨大地震だった、と言われています。また、その巨大地震の前後に被害地震が多いのは今の時代とよく似ている、とも言われています。それを裏付けるかのように、関東大震災(1923年9月1日)以降の今私たちが生きているこの時代、つまりB19世紀半ば以降は、大きな被害地震が目白押しです。
 表1−(2)−2は、関東大震災以降に発生した、死者・行方不明者が10人以上の被害地震を理科年表から抽出したものですが、凡そ90年間で30個、平均すると3年に1回もの割で発生していることが分かります。この他にも、10人未満の地震が多数ありますから、毎年死者・行方不明者が出る被害地震が発生している、と言っても過言ではありません。


そんなことを併せ考えますと、今の時代は確かに地震の旺盛期だ、と言えるのではないでしょうか。そして、「貞観の三陸沖地震」の後に大きな地震が惹き起こされているのと同じ様に、「東日本大震災」を契機として地震活動が活発化しているのではないか、と専門家も危惧しています。したがって、「地震は必ず来る」との心構えを持ち、できることから始める「命を守るための備え」をしておくべきです。即ち、LCPです。そして、“想定外”を無くしましょう。


 表1−(2)―2   関東大震災以降で死者・行方不明者が10人を超した地震
西暦 和暦 地震名 マグニチュード 死者・行方不明者
1923年9月1日 大正12年 関東大震災(※1) M7.9 10万5千人余
1924年1月15日 大正13年 丹沢地震 M7.3     19人
1925年5月23日 大正14年 但馬地震 M6.8    428人
1927年3月7日 昭和2年 北丹後地震 M7.3   2,925人
1930年11月26日 昭和5年 北伊豆地震 M7.3 272人
1931年9月21日 昭和6年 西埼玉地震 M6.9 16人
1933年3月3日 昭和8年 昭和三陸地震 M8.1 3,064人
1939年5月1日 昭和14年 男鹿地震 M6.8 27人
1940年8月2日 昭和15年 積丹半島沖地震 M7.5 10人
1943年9月10日 昭和18年 鳥取地震 M7.2 1,083人
1944年12月7日 昭和19年 東南海地震 M7.9 1,223人
1945年1月13日 昭和20年 三河地震 M6.8 2,306人
1946年12月21日 昭和21年 南海地震 M8.0 1,330人
1948年6月28日 昭和23年 福井地震 M7.1 3,769人
1949年12月26日 昭和24年 今市地震 M6.2
M6.4
10人
1952年3月4日 昭和27年 十勝沖地震 M8.2 28人
1964年6月16日 昭和39年 新潟地震 M7.5 26人
1968年5月16日 昭和43年 十勝沖地震 M7.9 52人
1974年5月9日 昭和49年 伊豆半島沖地震 M6.9 30人
1978年1月14日 昭和53年 伊豆大島近海地震 M7.0 25人
1978年6月12日 昭和53年 宮城県沖地震 M7.4 28人
1983年5月26日 昭和58年 日本海中部地震 M7.7 104人
1984年9月14日 昭和59年 長野県西部地震 M6.8 29人
1993年7月12日 平成5年 北海道南西沖地震 M7.8 202人
1994年10月4日 平成6年 北海道東方沖地震 M8.2 択捉島で死・不明10人
1995年1月17日 平成7年 阪神・淡路大震災 M7.3 6,437人
2004年10月23日 平成16年 新潟県中越地震 M6.8 68人
2007年7月16日 平成19年 新潟県中越沖地震 M6.8 15人
2008年6月14日 平成20年 岩手・宮城内陸地震 M7.2 23人
2011年3月11日 平成23年 東日本大震災 M9.0 19,272人

(「平成25年 第86冊 理科年表」国立天文台編 より抜粋・作成)
※1 色付きは、死者・行方不明者が1,000人以上の被害地震

 ▼参考リンク

<日本歴史地震マップ>
http://isabou.net/refresh/lcp/quake_map.asp
これまでに日本付近で発生した地震を確認することができます。


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