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知取気亭主人の四方山話
 

『植民地、する側、される側』

 

2015年5月20日

安倍政権は、14日の臨時閣議で、「安全保障関連法案」を閣議決定した。自衛隊法や武力攻撃事態法など既存の法律10法を束ねて改正する「平和安全法制整備法案」と、自衛隊の海外派遣を随時可能にする新法案の「国際平和支援法案」の2本立てだ。束ねて改正するやり方も異例だが、これまでの政権が「憲法に違反する」と判断して禁じてきた、「集団的自衛権の行使」が可能になることから、国内ばかりでなく諸外国からもその成り行きが注目されている。もし通れば、安全保障政策の一大転換となるからだ。これから国会に送られ審議されることになるのだが、噂されている様に国会の会期が延長されるにせよ、その手法はいささか乱暴で議論が不足しているのではないか、との声も聞こえる。また、果たして国民の声が届いているのか、甚だ不安でもある。

何故不安かと言えば、最近、何となく日本社会の中にキナ臭さを感じているからだ。それは安保政策に関する安倍首相の政権運営もさることながら、ヘイトスピーチに見られるような右寄りの声が、次第に大きくなって来ているように感じるからだ。私の取り越し苦労に終わってくれればいいのだが…。

例えば、安倍首相の戦後70周年談話の内容が取り沙汰された折には、50周年の村山談話や60周年の時の小泉談話に使われていた「植民地支配」や「侵略」の文言は国際的に明確な定義がなされていないから使うべきではない、という驚くべき意見をネット上で見かけるようになった。首相自身も他の閣僚や国会議員も、文言を盛り込むか否かの賛否はあっても、文言の定義そのものについては疑いの余地はないだろうし、先の大戦で日本が植民地支配をしてきた事実も認めていると思う。しかし、「文言の定義…」まで言及すると、過去の日本の植民地支配を肯定しようとしているな、と思えてしまう。更に危惧しているのは、そんな声が日増しに大きくなり、堂々とメディアに登場するようになると、やがて日本全体に“右に向かう空気”が生まれる可能性があることだ。更にその先には、取り返しのつかない事態を招くのではないか、との要らぬ心配もしなければいけない。そういったキナ臭さを感じているのだ。

ただ、最近の北朝鮮の示威行動や南シナ海における中国の強引とも言える権益拡大を見ていると、軍事力に依るのか国際法などその他の力に依るのかは別にして、何らかの抑止力が必要であることは、多くの国民も認めるところだろう。私もそう思う。また、言葉だけで権益を守るのは、今の世界では至難の業であることも理解できる。そうは思うのだが、戦争は絶対に反対だ。尚更、原住民の主権を無視した植民地支配などはもってのほかだ。

植民地支配を“する側”、“される側”、という切り口でこれまでの歴史を振り返ってみると、植民地支配はその全てが“する側”の理論で強行されてきた、と言っても過言ではないだろう。そして、弱い立場である“される側”の自治は勿論、権利や希望など、その多くは 無視されてきた。例え宗主国の政策に、「両者(両国)の共通の利益の為」という美辞麗句が並んでいたとしても、最優先されるのは“する側”の利益であって、“される側”は一方的に搾取される場合がほとんどである。そんな理不尽な行為である植民地支配を、“される側”の視点で描き、問題提起している本を最近読んだ。勝俣誠著「新・現代アフリカ入門 ―人々が変える大陸」(岩波新書)である。

本書は、40年余りに亘って現地に通い続けた著者が、アフリカの課題とこれからの可能性について著した本である。帯の表紙側には「『独立』とは果たして何だったのか」との大きな文字が躍っているが、独立後も政治的混乱を続ける国が多い背景として、宗主国との利害関係の中で翻弄され続けているアフリカ諸国の姿が描かれている。また帯の裏表紙側には、「アフリカには、今日でも膨大な天然資源がある。にもかかわらず、なぜアフリカはかくも貧しいのか。アフリカの富はなぜ、アフリカ人のために利用されないのか。半世紀前、アフリカの人々の圧倒的熱気に支えられた、指導者たちの描いた『独立』の青写真は、…」と本文を引用した文章も書かれている。これらの問いがアフリカにおける植民地支配の全てを物語っている、と言ってもいいだろう。本書を読んだ人なら、その思いはきっと判る。そういった理不尽さが独立後の今も続いているとなると、“宗主”の意味のとおり自国の権利を前面に押し出した“する側”の罪は重い、と言わざるを得ない。

本書には、「アフリカには富はあったが、十字架はなかった。しかし、ヨーロッパ人が来てから、富はなくなり、十字架だけが残った」という、アフリカ近代史についての、アフリカ人たちの巷間の評価が紹介されているが、本質を突いていると思う。ジンバブエやコートジボアール、或いはケニアやコンゴなどの国を例にとり、植民地支配と独立の歴史を紐解いているが、そこに書かれている“される側”の悲哀は、正に巷間そのものだ。

これらアフリカ諸国を植民地化したのは、ヨーロッパの国々である。翻って、日本の植民地統治は、そんなヨーロッパの宗主国とは多少違っていたのかも知れない。しかし、最優先されるのは“する側”の利益である、というのは共通であったはずだ。それを考えると、文言の定義まで言及して、日本の植民地支配を正当化しようとするのは如何なものだろうか?  


【文責:知取気亭主人】

 


 
『新・現代アフリカ入門――人々が変える大陸』
 (岩波新書)


【著者】勝俣 誠
【出版社】 岩波書店
【発行年月】 2013/4/20
【ISBN】 978-4004314233(4004314232)
【頁】 新書: 272ページ
【価格】 886円(税込)
  
 

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