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知取気亭主人の四方山話
 

『5年目の憂鬱』

 

2016年3月9日

東日本大震災から11日で丸5年となる。月並みな表現だが、月日の経つのは早いものである。今年が5年という節目の年という事もあってか、今月に入って、テレビや新聞などでは大震災関連の報道が際立って増えてきた。被災地が脚光を浴びるという点では喜ばしいことなのだが、残念ながら、「5年も経ったのに復興が進んでいるという実感に乏しく、まだまだ復興途上だ」という論調・口調が多い。

NHKラジオでもやっていたが、同じ大震災と名付けられた阪神淡路大震災に比べると、その復興スピードは随分と遅い。被災地が極めて広域にわたることや、阪神淡路にはなかった津波被害が甚大であったこと、そのため倒壊家屋を撤去するだけでは済まないこと、さらには原発事故が発生したことなど、今回の大震災の特徴が、復興をてこずらせる原因となっている。そんなこともあって、阪神淡路大震災では5年で仮設住宅が無くなったというが、東日本大震災では、いまだに「5万世帯超が仮設住宅に暮らす」との報道がある。しかも、避難者を世帯数ではなく人数で見ると、「発災から約1年経った2012年3月8日時点(344,290人)に比べ半減した」とは言うものの、2016年2月26日現在、まだ174,471人もが避難生活を余儀なくされている(復興庁発表)。

この人たちが避難生活から解放されるのに、一体この先何年かかるのだろう。決して、行政も手をこまねいている訳ではない。しかし、被災者にとっての5年は長い。先が見えなかったであろうこの5年間で、どれほどの人たちが、生活を立て直す意欲や生きる希望を失っていったのだろうか。「この先●年後には仮設住宅を出られる」などのハッキリとした目標が具現化されてさえいれば、希望を失わずに済むのだが…。

とは言うものの、被害は余りに甚大だった。人的被害がどれほど未曾有なものだったのか、改めて、丸5年経とうとしている現時点での被害状況をまとめてみる。総務省消防庁が昨日(3月8日)発表した「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第153報)」によれば(http://www.fdma.go.jp/bn/153.pdf)、3月1日現在、(関連死も含まれていると思われるが)死者は19,418人と、阪神淡路大震災による犠牲者(6,434人)の凡そ3倍にも達している。また、行方不明者は、いまだに2,592人もいる(阪神淡路は3人)。こうやって人的被害だけをしたためていても、息が詰まる。

そして、人的被害で特筆すべきは、同じ「第153報」に記載されているが、地元の町や村を守っていた消防団員が数多く殉職していることだ。消防団員の死者・行方不明者は254人にも上り、また地方自治体の職員である消防職員も27人が犠牲になっている。他にも、宮城県南三陸町の防災対策庁舎に留まり、防災無線で町民に避難を呼び掛け続け亡くなった遠藤未希さんのように、津波の犠牲になった町の職員や警察官もたくさんいるという。彼らの、身を挺して故郷や人々を守ろうとする責任感や地元愛を想うと、本当に胸が痛む。3月4日にフジテレビ系列で放映された、金曜プレミアム「消防隊だけが撮った0311  彼らは『命の砦』となった」は、そんな消防団員や消防職員が如何に過酷な状況の中で戦っていたのか、知らなかった彼らの奮闘ぶりを知り、想いを新たにさせられる番組だった。

観ていて胸が苦しくなった。消防団員や消防職員が最前線で撮った映像だけに、本当に真に迫るものがあったのだ。中でも、東京消防庁のハイパーレスキュー隊が福島第一原子力発電所3号機に対し実施した放水作業は、想像を絶する過酷さだった。津波や水素爆発によって散乱したガレキや資材が車の行く手を拒む困難な現場状況に加え、放射能被曝という目に見えない恐怖とも戦って遂行しなければならず、不気味に響く放射能探知機の警告音が今でも耳に残っている。ただ、それを観ながら、違和感も覚えずにはいられなかった。

それは、発電所内に常設されているはずの“東電の消防隊”や原発が設置されている自治体の“原発事故専門の消防”、加えて、あるであろう“自衛隊の原子力事故対策部隊”が、何故ハイパーレスキュー隊と協力して冷却放水をしないのだろうか、と疑問を感じたからだ。「日本の原子力発電所は世界一安全だ」という安全神話がまかり通っていて、「水素爆発や、ましてやメルトダウンなど想定外も想定外」という事は分かっているのだが、「でも国策で原発を幾つも造って来たのに、原発事故が起こったら真っ先に駆けつける専門の部隊が無いなんておかしいじゃないか」と思うのは私だけではないだろう。

「原発を造るのか、造らないのか」、あるいは「稼働させるのか、させないのか」については別の議論に委ねるとして、現に原発があり稼働してきたことを考えれば、国の責任において、最悪のケースにどう対応するのか決めておくべきだ。加えて、事故対策の専門部隊を創設しておくべきだと思う。勿論、縦割り行政の弊害が顕在化しないよう、指揮命令系統も国の責任において決めておくべきだ。そう考えるのは、至って普通のことだと思うのだが…。

我が国への原発導入が国策であった以上、「原子力発電所は民間企業の施設だから事故が起こっても民間で対応してもらうのが筋だ」と“我関せず”を決め込むのは、どう考えてもおかしい。しかし、実際の原発事故対応を見ていると、“我関せず”の匂いがプンプンとする。勿論、それで東電の責任が逃れられるわけではないが、廃炉に向けた今の作業も、「“我関せず”、でも監視はするよ」の責任逃れ体質が見え隠れする。

自民党も民主党も、与党も野党もない。相手の政策を批判するのは構わないが、国難に向かうときは、国民第一を考え立ち向かってもらいたいものである。しかし、そんな日は来ないのではないか、そう思わざるを得ないところが辛い。東日本大震災から丸5年、5年目の憂鬱が杞憂となる日を、全国民は待っている。  


【文責:知取気亭主人】


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