いさぼうネット
賛助会員一覧
こんにちはゲストさん

登録情報変更(パスワード再発行)

  • rss配信いさぼうネット更新情報はこちら
知取気亭主人の四方山話
 

『のり弁と日の丸弁当』

 

2016年10月12日

今の小・中学校や高校に給食はあるのだろうか。その辺りのところの情報は全く持ち合わせていないのだが、私がまだ坊主頭だった今から半世紀ほど前には、私が通った小・中学校、高校で給食があったのは小学校だけだった。給食を出したのは国の政策だったと思うが、まだ敗戦後の混乱が残る昭和30年代の前半だったから、経済的に貧しい家庭も多く、給食費の工面という親の苦労を除けば、それまで食べたことのない物が食べられ、しかも全員が同じ食事ができる給食は大変嬉しかった。

給食で初めて食べたコッペパンや、初めて飲んだ脱脂粉乳の美味しかったこと。また、月に一回の開学記念日(?)に出る、食パンとクジラの肉の美味しかったこと。これらの食材は、我が家では殆ど食卓に上ることが無かったこともあり、初めて口にした時の感動は今でもハッキリと覚えている。中には食べきれず残す友達もいたが、私は出るもの全てが大好きだった。しかし、小学校高学年になると体も大きくなり、食欲も旺盛になって給食だけでは物足りなくなっていった。そんな食欲旺盛な子供たちの胃袋を給食では満たせないと判断したのか、給食予算が不足していたのか知らないが、中学校に入ると給食はなくなり、家から弁当を持っていくことになった。それは、高校卒業するまで続いた。

持って行った弁当箱は、今では殆ど見られなくなった、我々世代に「これぞ弁当箱」と言わしめる、昔懐かしいアルミ製だ。中学、高校ともクラブ活動をやっていたから、人一倍腹が減る。したがって、持って行ったサイズも、恐らく当時の弁当箱の中で一番大きなものだったに違いない。この大きな弁当箱の1/4〜1/3ほどに“おかず”が入り、残りにご飯を目一杯詰め込む、これが我が家の弁当スタイルだった。ただ、ぎゅうぎゅうに詰め込むご飯に、ちょっとした食欲促進剤が加えられている事が多く、蓋を開けてそれが目に飛び込んでくると、得した気分になったものだ。それが、“のり”か“梅干”、あるいは“紅ショウガ”だった。“おかず”が少ない時の窮余の一策だったような気がしているのだが、特に私が好きだったのは、“のり”の二段弁当だ。

5センチはあったと思われる厚みの丁度中間辺りまでご飯を詰め込み、その上に一段目の“のり”を敷き、 “のり”上に再びご飯をぎゅうぎゅうに盛り、この表面に二枚目の“のり”を広げるのだ。勿論、ご飯と接する“のり”の下側には醤油をつけてある。この醤油が、食べるころにはご飯にしみ込んでいて、“のり”の匂いと共に食欲を増進させてくれた。食べる以上にエネルギーを使っていた成長盛りの時だったことも、現代の様に「炭水化物を制限する」などという風潮も全くなかった時代だったこともあり、おかずの量も決して少なくはなかったが、ご飯の量は半端なく多かった。

理由は、父が若くして病死したこともあって、ご飯をたくさん食べなければ力が出ないし、健康な体を作ることもできない、との考えがあったからなのだろう。とにかく、ご飯は目一杯詰めてくれた。そんな弁当に、“のり”は大変ありがたい一品だった。だから、私にとっての“のり弁”は、青春そのもの、そして楽しい思い出しか残っていない弁当なのだ。ところが、その“のり弁”の印象を汚すような使われ方がニュースで飛び交っていて、眉をひそめている。

そう、皆さんご存知の通り、我らの“のり弁”が、こともあろうに黒塗りされた情報公開文書の比喩として使われているのだ。いつの頃からか、オンブズマンや野党が請求する資料には、この手の文書がつとに増えてきた。また、最近では豊洲問題でも話題になっていて、10日の日本テレビのニュース番組では、テレビ局が独自に入手した黒塗りされていない資料から、塗り潰された箇所の殆どがその必要がないと思われることが明らかにされた。多くがわが身に責任が及ぶのを避けんがための黒塗りだ、と説明されていたが、その通りだと思う。

“のり弁”とは確かに上手い表現だとは思うが、“のり”そのものは決して迷惑な物ではない。逆に、食欲を増進させてくれる、食べ手にとって有り難い助っ人なのだ。これ以上、“のり弁”の印象を悪くしないためにも、黒塗りされた情報公開文書は、「責任逃れの黒塗り資料」と的確に表現してもらいたいものである。“次いで”と言っては語弊があるが、“日の丸弁当”にも苦言を呈しておきたい。

先日来、富山市議や国会議員に関連して、白紙の領収証問題が取り沙汰されている。この白紙領収証を、“のり弁”に合わせ、勝手に“日の丸弁当”と名付けさせてもらった。金を受け取った団体名だけが記載されている、これが白いご飯に梅干だけがポツンとある“日の丸弁当”を連想させたからだ。同時に、国会議員の政治資金パーティーでは白紙の領収証を渡すことが常識になっているそうで、これを「問題ない」と堂々と言い切れる、呆れるほど浮世離れした議員先生たちの背中に、いざとなったらこれ見よがしに見せる“日の丸”が見え隠れするからだ。何故、議員先生には国民目線の常識が通用しないのだろう。

議員になると、特権階級意識が芽生えてくるのだろうか。議員ばかりではない、豊洲問題で明らかになった都庁職員の責任回避体質もひどいものだ。小池都知事の「都民ファーストの政治」に一部の望みを託したいが、伏魔殿と呼ばれる東京都庁の改革が本当に進むのか、不安を持って見守っている。

いずれにしても、弁当に世話になった者としては、“のり弁”も“日の丸弁当”も、早く悪い話題から消えてほしいものである。そのためには、小池都知事が言うように、情報公開を進めることだ。そして、公開できないようなことはしないことだ。何しろ、本家本元の“のり弁”も“日の丸弁当”も、こんなことで話題に上りたいとは思ってもいないだろうから。


【文責:知取気亭主人】
 

ツワブキ
ツワブキ

 

Copyright(C) 2002- ISABOU.NET All rights reserved.