いさぼうネット
賛助会員一覧
こんにちはゲストさん

登録情報変更(パスワード再発行)

  • rss配信いさぼうネット更新情報はこちら
知取気亭主人の四方山話
 

『記録を残す』

 

2017年8月16日

「いさぼうネット」を運営している当社は、昨年、設立40周年を迎えた。必然的に、今年も入れてあと10年で半世紀、50年目を迎えることになる。実は、その大きな節目となる50周年に向けて、今社史編纂の準備に取り掛かっていて、取り敢えず、主だった世の中の出来事と会社の出来事を書きだし、素年表を作成している。昔使っていた手帳やノート、ここ20年ほどはパソコンのデータも加え、そして曖昧になりかけている記憶などを総動員し、仲間も引っ張り込み、何とか年表としての姿を見せ始めている。

後に続く仲間たちが次なる50年を乗り越え、無事100周年を迎えるための検証資料とするのが社史作成の主な目的としているから、基本は、その時々の出来事や行動を事実に基づき年代順に書き出すことだ。ところが、「この事実に基づき…」というのが結構難しい。記憶には“ぼんやり”と残っているものの、時期や内容が曖昧という事象が多いのだ。事実として決め手となるのは、何かしらの具体的な裏付け資料なのだが、若い頃は「将来の社史編纂のために…」などの発想は毛頭もなく、今思い返すと結構重要な資料も廃棄していて、悔やむことしきりである。

ただ、私が悔やんでいるのは、一企業の歴史に関することだ。したがって、歴史学的にも学術的にも殆ど価値はないし、ましてや当社の関係者以外にとっては残す意義もない。しかし、国民の耳目を集める大きな事故や事件などになると、話は全く別だ。二度と同じ様な失敗を繰り返さないようにと事実を検証し次への対策を立てる事が極めて重要で、そのためには、「真実を記録して後世に残す」、この基本姿勢がなければならない。ましてや先の大戦の、しかも原爆に関するものだとなれば、記録に残すことは基本中の基本だろう。そうした思いは、ごく普通の感覚だと思っていた。

ところが、長崎原爆の日の前日に流れた驚きのニュースを知って、“ごく普通の感覚”と思っていたのに実は普通ではないのかもしれない、といささか不安を感じている。“不安を感じる”とは言い過ぎかもしれないのだが、いろいろな記録を残す事はそんなに意味のあることではないのかもしれない、そんな思いを一時的にも抱いてしまったのだ。そんな思いにさせられたニュースとは、長崎で被爆したとみられる人たちが記載されていた可能性のある名簿を廃棄した、というものだ。しかも、戦争資料に最も敏感な行政組織の一つだと思っている法務局が、更に言えば被爆地の地元長崎法務局が廃棄してしまった、というから二度びっくりである。

西日本新聞のネットニュース(以下、ニュース)によれば、廃棄された資料とは、太平洋戦争中に三菱重工業長崎造船所に徴用されるなどし、被爆したとみられる朝鮮半島出身者約3,400人分の名簿だ(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/349576/)。この名簿は元々長崎法務局に保存されていたものだが、「1970年(昭和45年)3月末で保存期間が満了した」として、同年8月末に廃棄されていたことが、今回分かったというのだ。

しかし、この保存期間というのは、一体どのように決められたのだろうか。ニュースにはそのあたりのところは触れられていないが、戦時中の貴重な資料なのに、どうして永久保存されなかったのだろうか。戦時中の朝鮮半島出身者の徴用工に関しては、未払い賃金の問題があるため、民法が定める時効(10年)を過ぎても供託金を国庫に納付せず、名簿などとともに法務局に保存するよう通達したという(法務省、1958年)。そうした通達が出されたことから判断すれば、この名簿は先の大戦を検証する上で極めて貴重な資料だった、と言っていいだろう。また、未払い賃金の問題が未解決だとすれば、記録として残しておくべき、いや残しておかなければならない資料だったと思う。そうしたことを考えると、廃棄されてしまったことは大変残念だ。なぜ、普通の感覚が失われてしまったのだろう。

ニュースによれば、廃棄された名簿は、元徴用工が被爆者健康手帳(以下、被爆者手帳)の交付を申請する際、被爆を裏付ける物証となり得るものだったという。ところが、元徴用工の韓国人3人が、被爆者手帳の交付を申請した際(2014年〜2015年)、長崎市は「被爆を確認できる資料がない」として、申請を却下したのだという。先の名簿があれば、厳然たる資料として採用されていた筈なのに、廃棄されてしまったばかりにそれができなかったのだ。支援団体は「書類保存を求めた上述の法務省通達に反する対応だ」と批判しているというのだが、皆さんはどう思われるだろうか。

今起こっている事象の記録が何十年後かに重要な資料となるのかどうか、それを判断するのは確かに難しい。しかし、今起こっている事象が過去の体験に比べて影響が大きいのか、それとも小さいのか、或いは同じぐらいなのかは、比較的容易に判断できる。また、その事象がもう二度と繰り返してはならない惨事だとすれば、記録に残すべきかどうかの判断は、もっと簡単だ。少なくとも、多くの人々が犠牲になった戦争に関する記録は、国にとって例え不都合なものであっても残しておくべきだ。そうしなければ、正直な検証ができない。正直な検証ができなければ、「二度と過ちは繰り返しません」の誓いは、空虚な絵空事になってしまう。それこそ、そう感じるのは普通の感覚、だと思うのだが…。

【文責:知取気亭主人】

写真は大変有効な記録手段だ!

写真は大変有効な記録手段だ!

Copyright(C) 2002- ISABOU.NET All rights reserved.