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 熊本地震による崩壊地訪問
2025.10.16

熊本地震から9年以上が経過した現在、地震により発生した崩壊地や代表的な震災遺構を訪ねる機会を得ました。その後、熊本地震震災ミュージアムKIOKUを見学し、熊本地震について多角的かつ深く学ぶことができました。以下に今回の訪問内容をまとめます。

最初に訪れたのは旧阿蘇大橋周辺です。旧阿蘇大橋は熊本地震の際、山腹の大規模崩壊により橋台を残して峡谷へ落橋しました。橋桁は偶然にも峡谷中腹の岩盤に引っかかり、現在も当時の形をとどめています。新しい阿蘇大橋は懸命な復旧工事により、約4年半の歳月をかけて再建されました。また、この甚大な被害をもたらした大規模崩壊は、後世へ伝える震災遺構として「数鹿流(すがる)崩れ」と命名されています。現地を実際に歩き、まずその崩壊規模の大きさに圧倒されました。山体が大きく抉られた跡は自然災害の威力を強く示しており、その一方で、復旧工事の痕跡からは人々が災害に対峙し克服していく力強さも実感しました。

阿蘇大橋(残った橋桁)
数鹿流(すがる)崩れ

次に、高野台地区(南阿蘇村河陽)と火の鳥温泉地区(南阿蘇村長野)を訪れました。両地区では地震に伴い大規模な地すべりが発生し、家屋被害のみならず人的被害も生じました。高野台地区では、9年を経た現在でも地すべりの形状を明瞭に確認できます。現地で目にした規模は事前の想像を大きく上回り、表層崩壊であってもここまで大規模化するのかと衝撃を受けました。調査したところ、高野台地区の崩壊土砂量は約95.5万m²に達したとのことで、その巨大さに納得しました。阿蘇山周辺の土壌は北陸地方とは異なり、火山灰質の黒色土が主体であり、この土質特性が崩壊の発生しやすさや規模に影響している可能性を感じました。火の鳥温泉地区の崩壊地周辺は現在キャンプ場として利用されており、近接はできませんでしたが、遠望すると復旧・対策工が施工され、安全性が確保されている様子がうかがえました。

高野台崩壊跡地1
高野台崩壊跡地2
高野台崩壊跡地3

最後に訪れた熊本地震震災ミュージアムKIOKUでは、熊本地震の被害記録を次世代に継承するため、多くの実物資料が展示されていました。潰れた看板や車両、変形した線路、地震発生時刻で針の止まった時計など、一点一点が当時の被害の甚大さを生々しく伝えています。館内では被害状況や発生メカニズムを解説する映像が上映され、子どもにも理解しやすい工夫が施されていました。さらに熊本県および九州地方全体の震度分布や液状化状況などを示した巨大なジオラマが配置され、広域的な現象の関連性を立体的に把握できました。疑問点は解説ボランティアの方に直接質問でき、理解を一層深める貴重な時間となりました。奥の展示室には地震断層のはぎとり標本もあり、専門的関心にも応える内容だと感じました。隣接する屋外には、地表地震断層や被災した旧東海大学阿蘇校舎1号館が震災遺構として当時の姿のまま保存されており、地面の亀裂や校舎外壁の大きな破断から、年月を経てもなお災害の凄烈さを追体験できました。

旧東海大学阿蘇校舎1号館 地表地震断層
地震断層のはぎとり標本
実物資料展示
熊本地震震災ミュージアムKIOKU
旧東海大学阿蘇校舎1号館

以上の訪問を通じ、震災から年月が過ぎた現在だからこそ、復旧・復興に携わった多くの人々の努力の積み重ねと、記録を後世へ残そうとする地域の強い意思を実感しました。災害の記憶を風化させず、学びを防災・減災へ繋げていく重要性を改めて認識する機会となりました。

『熊本地震震災ミュージアムKIOKU』
  • ○[開館時間] 午前9:00−午後5:00
  • ○[休館日]  月曜日(祝日は開館)
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