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 シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く 
 コラム1: 寺田寅彦『天災は忘れられたる頃来る』
 

 高知城の北に隣接する地に寺田寅彦邸があります。寅彦が青年時代を過ごした実家で、現在は寺田寅彦記念館(入場無料)として、様々な記念物が展示されています。写真1は寺田寅彦邸の門の写真ですが、左側に『天災は忘れられたる頃来る』と書かれた石碑があります。この石碑は、高知県出身の植物学者・牧野富太郎博士の筆によるものです。藤岡由夫博士の追憶(朝日新聞、1959年12月10日記事)によれば、「この言葉は寺田先生の名言として知られていますが、寅彦全集のどこを探しても見つかりません。つまり、先生が書かれたものではなく、直接寺田先生から聞いた人の口から口へ伝わって有名になった言葉です。そこに返って、社会に対する寺田先生の影響力が伺えます。」と記されています。中谷宇吉郎博士の『百日物語』(西日本新聞、1995年7〜9月連載)にも、同じような記事があります。 
 実際、寺田寅彦は次のように書いています。
 「――悪い年廻りはむしろいつかは廻って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年廻りの間に用意をしておかなければならないことは実に明白過ぎるほど明白なことであるが、また、これほど万人が忘れがちなことも稀である、尤もこれを忘れているおかげで、今日を楽しむことが出来るの だという人があるかもしれないのであるが、それは個人銘々の哲学に任せるとして、少なくとも一国の為政の枢機に参与する人だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。――」
(『天災と国防』(1934年11月)「経済往来」誌に掲載)。

 「昭和八年(1933)三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津波が来襲して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多数の財物を奪いさった。明治二十九年(1896)六月十五日に同地方で起こったいわゆる「三陸津波」とほぼ同様な自然現象が、約満三十七年後の今日再び繰り返されたのである。――学者の立場からは通例次のように言われるらしい。『数年あるいは数十年ごとに津波の起こるのは事実である。それだのにこれに備うることもせず、また強い地震の後には津波の恐れがあるというくらいの見やすい道理もわきまえずに、うかうかしているというのはそもそも不用意千万なことである。』 しかし、罹災者の側に言わせればまた次のような申し分けがある。『それほどわかっていることなら、なぜ津波の前に間に合うように警告を与えてくれないのか。正確な日時は予報できないまでも、もうそろそろ危ないと思ったら、もう少し前にそう言ってくれてもいいではないか。今まで黙っていて、災害のあった後に急にそんなことを言うのはひどい。』 すると、学者の方では、『それはもう十年も二十年前に警告を与えているのに、それに注意しないからいけない。』という。すると罹災民は『二十年も前のことなど。このせちがらい世の中でとても覚えていられない。』という。これはどちらの言い分にも道理がある。つまり、これが人間界の『現象』なのである。」(『津波と人間』(1933年5月)「鐵塔」に掲載)。
 以上の寺田先生の書かれた言葉は,80年後の現在でもまさしくあてはまります。寺田先生は関東大震災(1923)や浅間山の噴火についても多くの論文や随筆を残しています。これらの寅彦の作品は、インターネット図書館である「青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)」で読むことができます。
 本コラムは、鈴木堯士高知大学名誉教授の『寺田寅彦の地球観―忘れてはならない科学者―』(高知新聞社2003)から一部を引用させて頂きました。 井上公夫編著(2013):関東大震災と土砂災害,古今書院,p.34-35一部修正

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