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 シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く 
 コラム2: 河道閉塞による湛水(天然ダム)の表現の変遷
 

1.はじめに
 新潟県中越地震(2004年10月24日)によって、信濃川東部の丘陵性山地(魚沼丘陵)では、多くの土砂移動現象が発生しました。このため、各地で河道閉塞を引き起こし、背後に多量の湛水を抱え、徐々に水位が上昇していきました。このような湛水を抱える河道閉塞区間の土砂が急激に決壊した場合、土石流や泥流、段波状の洪水が発生することが懸念されました。
 下の写真は新潟県中越地震時の寺野の河道閉塞・湛水状況を示しています。


 このような現象は決して珍しい現象ではなく、地震や豪雨、火山活動などによって、世界各地で発生しています。また、地球温暖化に伴って、ヒマラヤ山地などの氷河湖決壊も世界的に大きな問題となっています。田畑・水山・井上(2002)は、これらの現象を一括して天然ダムと呼び、『天然ダムと災害』(古今書院)という著書の中でこれらの現象を詳細に説明しました。
 中越地震では、被災民への配慮から、行政側は「河道閉塞」という言葉を使い、報道・研究者の間では、土砂ダム・土砂崩れダム・地すべりダム・自然ダム・天然ダムという用語が混乱したまま使われました。

2.河道閉塞による湛水と決壊の問題
 このような現象は突発的に起こるため、過去の災害事例でも、自分の家や田畑・道路が次第に湛水していく現象を目の当たりに見た被災民は、本当に驚いたことでしょう。「鉄砲水」と呼ばれる現象は、河道閉塞による湛水に気が付く余裕もない程、突然襲ってくる土石流や段波状の洪水を表現したものです。
 湛水が始まると今度はいつ決壊するかが問題となります。104秒(3時間)以内に決壊すれば、事前には流水の減少がおこり、鉄砲水や土石流が発生しますが、河道閉塞現象に気が付かないこともあります。105秒(1日)以内であれば、緊急的な避難は出来ても、応急対策も出来ないでしょう。106秒(10日)以内であれば、緊急対策は可能で、107秒(3ヶ月)以上であれば、かなりの恒久対策が可能となります。
 富士山噴火による山梨県富士河口湖町・山中湖村の富士五湖、磐梯山噴火(1888)による福島県北塩原村・猪苗代町の桧原湖・小野川湖・秋元湖、善光寺地震(1847)による長野県長野市の柳久保池、明治紀伊半島水害(1889)の奈良県十津川村・大畑瀞、関東地震(1923)の神奈川県秦野市の震生湖、長野県西部地震(1984)による長野県王滝村の王滝湖のように、現在までも決壊せず、きれいな湖水を湛え、観光名所や貴重な水源池となっている地区もあります。
 下流への被害という観点から言えば、河道閉塞が急激に決壊して、土石流や段波洪水になる場合が多いのですが、徐々に河道閉塞の土砂が崩れて、湛水が段波にならず徐々に下流に流下すれば、大きな災害は発生しません。

3.被災地域ではどう表現したか
 表1は、河道閉塞による湛水現象の名称の変遷を示したものです。
 
表1 河道閉塞による湛水現象の名称の変遷

 災害当時の記録を読み直してみても、「新湖」,「大池」など、様々な名称が使われており、濃尾地震では「瀦水(ちょすい)」と呼ばれていました。しかし、湛水池そのものの名称表現よりも、「河水ヲ堰止メ・・・」等、動詞的表現の方が多かったようです。固有名詞が付けられるのは、堰止めた湛水が長期に渡って残った場合です。
 江戸時代以前の天正地震(1586)の帰雲山崩れでは、「地震で山がゆり崩れ、山河多く堰き止められ、内嶋氏の在所へ大洪水が襲来した」(『宇野主水日記』)、
 江戸時代前期の会津地震(1611)の大平では、「太平の山慶長十六年八月の地震に抜け落ちて沼となれり」、「山崎前大川地形動上で流水湛、四方七里に横流す新湖となり」(『新宮雑葉記』)、
 江戸中期の日光・天和地震(1683)の五十里では、「戸板山東斜面が大音響とともに崩れ落ちて、二つの河川を一気にせきとめた。・・・・・二十四日後には小田川原という所まで湖水になった。」(『新故郷案内記』)、
 江戸後期の善光寺地震(1847)の岩倉山では、「山中虚空蔵山また岩倉山抜け崩れ、犀川の大河を止め湛水に民家浮沈」(『善光寺地震<地震後世俗語之種>』)、
飛越地震(1858)の鳶崩れでは、「大水溜、水溜」(『安政地震大鳶山小鳶山々崩大水淀見取絵図』、などと記されています。
 明治紀伊半島水害(1889)では、「河原樋川ヲ遮断シ一大新湖ヲ生ゼシガ此ニ至テ決壊シ」(『吉野郡水災史』)、濃尾地震(1891)では、「瀦水(ちょすい)」(岐阜新聞『水鳥(みどり)の瀦水と板所山の崩壊の図』)という表現がされています。
 大正の秋田仙北地震(1914)では、「新ニ生ゼシ水面」(『震災予防調査会報告』、
関東地震(1923)で秦野市に形成された湖は、「震生湖」と呼ばれ、市民公園となっています。1929年に修正測図された1/2.5万地形図「秦野」図幅では、「震生池」と表現されており、寺田・宮部(1932)以前から地元で使われていたようです。
 昭和の北伊豆地震(1930)の梶山では、「大野村入口に大なる山崩れあり。川を一時堰き止めて今尚小湖水をなす」(北伊豆地震報告)と表現されています。長野県西部地震(1984)の御岳崩れでは、「王滝川をせきとめてできた自然湖,まるでダム湖」(『まさか王滝に』と記されています。

4.調査・研究者はどう表現したか
 最後に河道閉塞(天然ダム)関連の参考文献を付しました。これらを見ても分かるように、災害直後の文献も散見できますが、本格的に河道閉塞の問題を調査・研究し始めたのは、長野県西部地震(1984)以後です。御岳崩れによって形成された自然湖・王滝湖が決壊するかしないか、人造ダムの構造と比較しながら、多くの調査・研究がなされました。河道閉塞,河道埋塞という用語を使用している例もあります。
 Schuster(1986)の『landslide dams』などの一連の研究に刺激されて、建設省中部地方建設局(1987)が日本全国の天然ダム災害の事例集を作成しました。『landslide dams』の影響を受けて、地すべりダムと表現している研究者も多いようです。ただ、英語のlandslideは広義の土砂移動現象に使われることが多いのに対し、日本の「地すべり」は狭義の意味で使用例が多いので、注意が肝要です。砂防学会編(2004)『改訂砂防用語集』では、「特定の地質・地質構造を有する山地や丘陵地において、地下水などに起因して地塊の一部が下層のすべり面を移動境界として重力作用で滑動する現象。一般には粘性土をすべり面として、継続性・再発性を伴い緩慢な活動を示すことが多い。」(解説:中村浩之)と記載されています。
 その後も、宮崎県・耳川(2005),岩手・宮城内陸地震(2008)や紀伊半島災害(2011)などでも、様々な用語が使われましたが,次第に上記の現象に最もふさわしい用語(被災者に配慮した)が選定されていくと思います。
 本項は、井上公夫(2005)をもとに、一部追記したものです。

河道閉塞(天然ダム)関連の参考文献(2005年時点)
・芦田和男(1986):河道埋塞に関する事例研究−1989年(明治22年)十津川水害について−,二次災害の予知と対策No.2,(社)全国防災協会,p.37-45.
・Costa, J.E. and Schuster, R.L(1988):The formation and failure of natural dams. Geological Society of American Bulletin, Vol.100 p.1054-1068.
・井上公夫(2005):河道閉塞による湛水(天然ダム)の表現の変遷,地理,50巻2号,p.8-13.
・井上公夫・今村隆正・西山昭仁(2002):琵琶湖西岸と町居崩れ,平成14年度砂防学会研究発表会概要集,p.324-325.
・石川芳治・井良沢道也・小泉豊(1991):天然ダム決壊による洪水流下の予測に関する研究報告書,土木研究所資料,第3013号,57p.
・地すべりに関する地形地質用語委員会編(2004):地すべり,地形地質的認識と用語,社団法人日本地すべり学会,347p.
・北沢秋司(1986):長野県西部地震における河道埋塞等の事例,二次災害の予知と対策No.1,(社)全国防災協会,p.33-62.
・建設省土木研究所砂防部砂防研究室(1988):天然ダムの形成と破壊とに関する基礎的実験報告書,土木研究所資料,2006号
・建設省越美山系砂防工事事務所(1999):越美山系の地震と土砂災害―濃尾地震(M8.0)とその後の土砂移動―,28p.
・建設省中部地方建設局(1987):天然ダム調査事例集,財団法人砂防地すべり技術センター,119p.
・国土交通省松本砂防事務所(2003)松本砂防管内とその周辺の土砂災害,48p.
・国土交通省四国山地砂防事務所(2004)四国山地の土砂災害,68p.
・国土交通省多治見砂防国道事務所(2004)資料集御岳崩れ,407p.
・国土交通省湯沢砂防工事事務所(2000)湯沢砂防の管内とその周辺の土砂災害,44p.
・小林栄(1889):磐梯山麓小野川新湖の決壊,地学雑誌,1巻,p.260-263
・小出博(1973):日本の国土,―自然と開発―,(上),(下),東京大学出版会,415p.
・宮村忠(1974-76):山地災害,T〜X,水利科学,17巻6号,p.100-128,18巻3号,p.84-113,5号,p.34-48,19巻2号,p.74-102,6号,p.56-74
・水山高久・石川芳治・福本晃久(1987):天然ダムの破壊と対策に関する研究報告書,土木研究所資料,第2744号,182p.
・長野県木曽郡王滝村(1986):まさか王滝に―長野県西部地震の記録―,367p.
・中村浩之・土屋智・井上公夫・石川芳治(2000):地震砂防,古今書院,220p.
・佐藤権司(1983):天和の大地震と五十里洪水,地理,28巻4号,p.20-26
・Schuster, R.L(1985):Landslide Dams in the Western United States. Proceedings of Wth International Conference and Field Work-shop on Landslides, 1985. Tokyo, p.411-418
・Schuster. R.L.(1986):Landslide dams・processes, risk and mitigation, American society of civil engineers, 164p.
・Swanson, F.J., Oyagi, N. and Tominaga, M.(1986):Landslide Dams in Japan., Landslide Dams., Geotechnical Special Publication, No.3, ASCE, New York, p.131-145.
・田畑茂清・井上公夫・早川智也・佐野史織(2001):降雨により群発した天然ダムの形成と決壊に関する事例研究,−十津川災害(1889)と有田川災害(1953)−,砂防学会誌,53巻,6号,p.66-76.
・田畑茂清・水山高久・井上公夫(2002):天然ダムと災害,古今書院,225p.
・寺澤章(1937):弘化地震岩倉山崩壊の際に於ける犀川湛水面に就いて,信濃教育,604号,p.34-40.
・綱木亮介・南哲行・藤本済(1997):長野県鬼無里村裾花川支流濁川地すべり及び天然ダム調査報告(速報),砂防学会誌,50巻,2号,p.74-77.
・善光寺地震災害研究グループ(1994):善光寺地震と山崩れ,長野県地質ボーリング業協会,130p.

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