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 シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く 
 コラム5: イタリア・バイオントダム(1963)の被災地を訪ねて
 

1.はじめに
 2004年5月24日〜27日に、北イタリア北部のトレント州リーバ・デル・ガルダ(Riva del Garda)において,Interpraevent(国際防災学会)の第10回大会が開催されました。世界14ヵ国から約400名(日本からは約50名)の参加者がありました。本会議は防災に関する国際会議で、環太平洋支部の大会が2002年に長野県松本市で開催されました。筆者は本会議に参加し,水山高久・田畑茂清・森俊勇・渡部文人・井上公夫で「Outbursts of landslide dams and their prevention」と題して、ポスター発表しました。図1はリーバ・デル・ガルダの位置図ですが、日本からのツアー旅行ではほとんど行かない地域です。中・右の地図は、1:25,000のハイキング・ツーリング用の地形図(両面カラー折本)として,市内の運動具店・観光売店で購入することができました。日本の国土地理院の地形図もこのようなレイアウトで販売すれば良いと思います。会議の途中で、前から行ってみたかったバイオントダム(Vajont Dam)と貯水池左岸の巨大地すべりによる下流の被災地・ロンガローネ(Longarone)の町(バスで片道3時間)を訪れました。美しい風景と世界史上最大の「人災」の原因となった地すべり地の現状を紹介します(井上,2004,井上,2006)。

図1 VajontダムとRiva del Garda の案内図(左図は1/2.5万の観光案内図の表紙)


2.プロジェクトV,―史上最悪のダム災害―
 バイオントダムは1960年の完成当時,世界一の高さ(264.6m)を誇った発電用のアーチダム(総貯水容量1.7億m3)です。ダム完成後3年経った1963年10月9日に、貯水池左岸側で巨大な岩盤地すべり(移動岩塊2.7億m3)が発生し、ダム下流に鉄砲水を引き起こして,2000人以上の死者を出しました。
 2001年にイタリアで製作され、2003年4月に日本でDVD・ビデオとして発売された『プロジェクトV,―史上最悪のダム災害―』(発売元:彩プロ,販売元:ポニーキャニオン)を見ました。この映画を見て、バイオントダムと貯水池背後の巨大岩盤地すべりを見学に行きたくなったので、ストーリーの概要を紹介します。
 「1959年にフランスのマルパッセダムでダム本体も被災した地すべり災害が発生した。イタリア北部で建設が進む世界最大級のバイオントダムについて、女性ジャーネリストのティナ・メルリンは、マルパッセの地すべり災害を上回る危険が存在していることを新聞で指摘する。
 一方、政府と建設側の地質学者やエンジニアは、一抹の不安を覚えながらもこの記事に取り合わず、工事は着々と進捗する。貯水池左岸のトック山山麓では地すべり変動の兆候が出始めたため、災害を恐れて住み慣れた土地を離れる住民がいたものの、大半の住民はダム建設に伴う公共事業を優先させた。
 粘り強いティナの取材と説得は、時すでに遅くダムは1960年に完成し、湛水試験が開始される。ダム水位の上昇に伴い、地すべり変動の兆候も大きくなるが、水位を下げると変動は小さくなる。建設技術者は発電用ダムとして、『完成』の政府認可をもらうため、再び水位を上昇させる。しかし、地すべり変動が急激に大きくなったため、水位を下げ始める。そして運命の10月9日午後10時39分となる。貯水池左岸のトック山から巨大な岩盤地すべりが突然発生し、大量の移動岩塊が貯水池に飛び込む。そして、5000万m3の貯水の大半がバイオントダムを跳び越え、鉄砲水となり、10時41分40秒に下流のロンガローネの町を襲う。人の愚かさを責めようにも。それはむなしく、恐ろしい一瞬の出来事であった。」

3.40年後のロンガローネ
 1963年の災害から40年経過したロンガローネの町を2004年5月26日に訪れました。この町は北イタリア・ドロミテ山地のビアブ川の河谷に位置する美しい町です。現在の町には40年前の大災害の痕跡はほとんどなく、犠牲者を悼む新しいロンガローネ教会と共同墓地、記念館だけでした。生き残った住民の強い意向を受けて、ロンガローネの町は全滅した現在地に再建されました。町の中心部にあるロンガローネ教会などを訪れました。朝リーバ・デル・ガルダを出発しましたが、到着したのが12時を少し回ったため、記念館は昼休み中(12〜14時)で展示を見ることはできませんでした。しかし、売店だけを開けて頂き、図2の2冊の本と図3の鳥瞰図を購入しました。
 バイオントダムの貯水池左岸には巨大な地すべりが存在し、ダム貯水によって地すべり変動が急激に激しくなりました。そして、1963年10月9日午後10時39分に大量の地すべり岩塊が一度に貯水池内に飛び込み、満水に近かった貯水が押出されました。貯水は対岸の斜面を200mも駆け上がってから、向きを下流に変え、巨大な鉄砲水となってロンガローネの町を襲いました。全家屋372戸のうち、全壊家屋は361戸にも達しました。このため町の人口1269名のうち、死者・行方不明者は1190名で、全体の死者は2125名にも達する大惨事となりました(尾崎,1966)。
 ロンガローネの町が立地するピアブ川(Piave River)の河谷は、数万年前の氷河時代に山岳氷河が削ってできたU字谷です。図3に示されているように,後氷期になって氷河が後退した細長い河谷に数百年前から小さなロンガローネの町が形成されて行きました。バイオント谷はピアブ川のU字谷壁の急斜面に滝のように流れ込む一支流でした。バイオント谷にも小規模な氷河が形成されていましたが(谷底は本川谷の底より400m程高い)、氷河が後退すると、本川近くからバイオント川の下刻は急激に進み、極めて急峻なV字谷が形成されました。

図2 本の表紙,VAJONTとLANGALONE(Pro Loco di Longarone発行,2001年)

図3 バイオントダムとピアブ川の鳥瞰図(Pro Loco di Longarone,2003年発行)

 図2右のバイオントダムの写真をみても判るように、堤高264.6m(標高725.5m)、天頂長191.0m、堤体積35.3万m3、総貯水容量1.7億m3と、発電用の貯水ダムとしては極めて効率的なダムでした。敗戦国イタリアにとって,第二次世界大戦後の復興を支える巨大な国家プロジェクトでした。この災害は水力発電システム完成のために、試験湛水を急いだ結果引き起こされた人災の面が強いと指摘されています。
 ロンガローネは谷あいの小さな林業を中心とする町で、図2左の教会の鐘塔は今回の災害で倒れなかったほとんど唯一の建物(教会の本体はすべて破壊)です。この町は1959年12月1〜8日に第1回国際アイスクリーム博覧会が開催されるなど、地域の中核の町となっていました。残念ながら、1963年12月に開催予定だったアイスクリーム博覧会は、ポスターが作られただけで、開催できませんでした。

4.巨大な岩盤地すべり
 写真1に示したように、町からピアブ川の橋を渡って、左岸側のU字谷の谷壁斜面に建設された曲がりくねった坂道を登って行くと、次第にロンガローネの町や氷河が削ってできたU字谷の地形が良く見えるようになります。そして、トンネルを抜けて、バイオント谷に入ると、バイオントダムの堤体が見えてきます。ダムサイトを通り過ぎると、巨大な岩盤地すべりの移動岩塊が眼前に現れてきます。移動岩塊は体積2.7億m3、幅2km、長さ500〜800m、最大すべり面深度250mにも達しました(Muller,1964,尾崎,1966,奥田,1972,野崎,2002)。その大きさに感嘆するとともに、40年間ほとんど変わらない姿で、地すべり岩塊が貯水池の上に存在し、トック山に面した地すべりの背面は、石灰岩からなるのか、白く光って見えました。

写真1 ピアブ川の河谷(右奥にバイオントダムが見える),井上撮影2004年5月25日

写真2 バイオントダムと巨大な地すべり移動岩塊,井上撮影2004年5月25日

 今回は行けませんでしたが、図4に示したように、移動岩塊の背後には今でも貯水が残されており、その一部は発電用にも利用されています。洪水時には水位が上昇して地すべり岩塊の上を越流させないように、峠越しに反対側のセリナ川流域に強力なポンプで排水されています。バイオント谷の河谷は向斜軸で、氷河時代に形成された小規模なU字谷となっていました。トック山や巨大岩盤地すべりの地帯(バイオント谷の左岸側斜面)は流れ盤構造となっています(図5)。後氷期の急激な下刻によって、左岸側斜面は次第に不安定化し、地すべり変動も数回発生していたことが、ボーリング調査などで分っていました。

図4 バイオントダム周辺の概要図(Selli & Trevisan,1964,日本文は野崎,2002で追記)

図5 バイオントダムの地質推定断面図(Ondrask, 2000,日本文は野崎,2002で追記)

 バイオントダムの建設技術者は、貯水池周辺の地質調査で左岸側の巨大な岩盤地すべりの存在を把握し、地すべり観測器を設置し、降雨と貯水位との関係を調査していました。図6に示したように、試験湛水はダムが完成した1960年から開始されました(目標:天端標高722.5m)が、1960年11月に湛水位付近で10万m3程度の表層崩壊を起こし、試験湛水は中止されました。地質調査や地すべり変動状況の調査をもとに、右岸側にバイパストンネルが施工されることになりました。トンネル工事をしている1年近くの間、試験湛水は中止されました。トンネルが完成し、上流からの流入水をトンネル内に通水させるようになると、地すべり変動は沈静化したため、1962年初めより試験湛水が再開されました。試験湛水は比較的順調でしたが、貯水位が700mに達した1962年末頃から地すべり変動が認められたため、貯水位を650mまで低下させたところ、地すべり変動は極めて少なくなりました。このため、ダム水位を再々度上昇させたところ、急激に地すべり変動が激しくなりました。標高710mで水位上昇をやめ、水位を低下させ始め、災害当日には700mに下げていました。しかし、夜の10時39分に突然2.7億m3の地すべり岩塊が水平に300〜400m(速度20〜30m/s)も移動し、バイオント峡谷の対岸に乗り上げました。このため、5000万m3の貯水は標高935mまで押し上げられ、2500万m3の貯水が反転して、洪水段波となって下流へ向かいました。ダム天端から100mも高い段波(鉄砲水)となって、ダムを乗り越え、直下のロンガローネの町を襲いました。事前にこのような地変を察知して逃げた者はわずかだったようです。真夜中であったため、ほとんどの人は逃げることができませんでした。映画ではこのような状況を迫力あるシーンで描いています。

図6 降雨・ダム水位・地すべり移動速度(Muller, 1964)

5.むすび
 この大災害の経緯を調べると、私たち建設技術者にとって教訓となる事項が多くあります。再建されたロンガローネ教会を訪ねながら、二度とこのような「人災」を引き起こさないようにするにはどうしたら良いのか、考えながらこの紹介記事を書きました。私が首都大学東京都市環境学部で行っている集中授業「災害論」の最後の授業では、「バイオントダム地すべりと地形・地質技術者の責任」と題して解説を行い、この映画を見て頂いています。

引用・参考文献
・井上公夫(2004):イタリア・バイオントダムの被災地を訪ねて、測量2004年12月号,p.36-39.
・井上公夫(2006):事例21 バイオントダム地すべりと地形・地質技術者の責任,建設技術者のための土砂災害の地形判読実例問題 中・上級編,古今書院,p.113-116.
・奥田秀夫(1972):バイオントダム地すべりとその後の経緯,地すべり,8巻3号,p.26-29.
・尾崎雅篤(1966):バイオントダムの地すべりについて,地すべり,2巻2号,p.26-29.
・Ondrasik R. (2000):The vajont slide, Landslide excursion guide to the central Europe, p.78-92.
・金子史朗(1978):Z 抑圧からの解放,ヴァイヨン・ダムの悲劇,世界の大災害新版,三省堂選書49,p.163-179.
・Semenza E. and Ghirotti M. (2000):History of the 1963 Vajont slide the importance of geological factors. Bulletin of Engineering Geology and Environment, Vol. 59, N0.2, p.87-97.
・野崎保(2002):バイオント地すべり災害の再検証,地すべり,38巻4号,p.44-51.
・林拙郎(1993):バイオント(Vaiont)の地すべり,―地すべりの動きの性格と解釈―,平成4年度砂防学会ワークショップ研究成果報告書,JSCSE Publication No.5, p.38-88.
・ヒプキン・トレント著,佐藤正・千木良雅弘監修(2003):環境と地質,全国地質調査業協会連合会,環境地質翻訳委員会訳,古今書院,80p.
・Pro Loco di Longarone (2001):Longarone Vajont the history, 45p.
・Pro Loco di Longarone (2001):Vajont not to forget, 88p.
・Mizuyama T., Tabata S., Mori T., Watanabe F. and Inoue K. (2004):Outbursts of landslide dams and their prevention. INTERPRAEVENT 2004―RIVA/TRENT−, Vol.2, p.221-229.
・Muller L. (1964):The rock slide in the Vajont valley. Rock Mechanics and Engineering Geology, Vol.2, No.1, p.513-523., Vol.2. No.3, p.148-212.

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