1 常願寺川と立山
常願寺川は、立山(弥陀ヶ原)火山を源とし、富山平野を流れる急流河川で、流域面積356km2、流路長56km、比高差2830m(最高点2992m,扇頂高度162m)であり、江戸時代末まで舟便があるなど、比較的安定した河川でした。ところが、安政五年二月二十六日(1858.4.9)の飛越地震(M7.3〜7.6,災害教訓に関する専門調査会,2009,宇佐美,2003)時に、常願寺川の源流部・湯川の左岸斜面で、「鳶崩れ」と呼ばれる大規模崩壊が発生し、天然ダムが形成されました(深井,1956a,b,町田,1962,建設省河川局砂防部,1995)。この天然ダムは,14日後の三月十日(4月23日)と59日後の四月二十六日(6月7日)に決壊して、大規模な土石流や洪水流が発生し、下流の扇状地に「鳶泥」と呼ばれる多量の土砂を氾濫・堆積させました。それ以来、常願寺川は我が国でも有数の荒廃河川に一変してしまいました。内務省は、明治24年(1891)7月19日の大出水による被害を受けた富山県に、ヨハネス・デ・レーケを8月6日に派遣しました。彼の助言を受けて、富山県は砂防事業を開始しましたが、常願寺川流域での土砂流出が極めて激しく難航しました。その後、明治39年(1906)から20箇年計画で、国庫補助による砂防事業が富山県によって開始されました。
鳶崩れのような大規模崩壊も、山地(ここでは立山火山)が侵食・解体されていく一過程と考えられます。立山のような火山地域で、将来起こりうる土砂移動の規模と形態を予測し、災害を最小限に防止するためにも、鳶崩れの全貌とその後の地形変化を正確に把握する必要があります。これまでにも、町田(1962)や建設省立山砂防工事事務所(1974)、水山・井上・大内(1985,1986,1987),Ouchi
& Mizuyama(1989),田畑ほか (2000,2002)によって、種々の調査が行われていますが、報告者
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図1 傷だらけの大地(富山県立山カルデラ砂防博物館作成)
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によって地形面の認定に食い違いがあり、鳶崩れ時のものとされる堆積物(鳶泥)についても、多くの異なった意見があることも事実です。図1は富山県の北側から見た富山県北部の山岳地形の衛星画像です。赤線は飛越地震の起震断層となった跡津川断層で、並行して走る何本もの断層地形が認められます(活断層研究会,1991)。図2は常願寺川流域の概要で、4km谷埋め法による接峰面(田畑ほか,2000)を示しています。この図には跡津川断層と並行して走る牛首断層と茂住祐延(もずみすけのべ)断層などを示すとともに、鳶崩れと天然ダムの決壊によって流出・氾濫した範囲を示しています。
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図2 常願寺川流域の概要(4km谷埋め法による接峰面,田畑ほか,2000,2002)
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本コラムでは2回に分けて、飛越地震による大規模土砂災害を取り上げます。建設省土木研究所(1984,1985,1987)では、常願寺川流域の地形発達史を総合的に検討し、昭和60〜62年度の砂防学会で報告しました(水山ほか,1985,1987,井上ほか,1986)。さらに、鳶崩れに関する歴史的資料の収集や現地調査を実施し、常願寺川流域で鳶崩れが地形発達史上で果たした役割を検討しました(田畑ほか,2000,2002)。
2.鳶崩れ以前の地形面の推定
流域全体の侵食状態を示す指標の1つとして、Strahler(1952)の流域内の高度分布の相対値を表す面積−高度比曲線(hypsometric曲線)があります(井上ほか,1986,井上,1993)。この曲線は、縦軸に流域全体の高度差Hに対する任意の高度hの比(h/H)を、横軸に全面積Aに対するh以上の面積aの比(a/A)を取った曲線で、常願寺川では図4となります。図3の原地形面(始原面)を破線で囲まれた山頂に接する水平投影面(Summit Plane)と仮定すると、図4の曲線より上部が侵食された部分、下部が残った山体を表すことになり、侵食の進行速度が表現できます。
この曲線とx,y軸に囲まれた部分の面積α(原地形面に対する山体の体積)を面積高度比積分といい、侵食速度を示す目安となります。常願寺川の扇状地涵養域の同曲線は、図4のα=0.424となります(井上ほか,1986,井上,1993)。しかし、地殻変動や火山活動の激しい日本列島においては、山頂水平投影面を原地形面と考えることは妥当ではなく、原地形面の判明している丘陵地や台地、火山麓斜面では適当な谷埋め幅で描いた接峰面を原地形面と考える方が現実的です。接峰面とは、山地を刻む谷を埋めて河川侵食以前の原地形を復元する目的で、山頂または山体に接して想定した地形面です。常願寺川流域の立山火山形成後の原地形面を、図2に示した接峰面(4km谷埋め法)と仮定すると、β曲線が描け、比積分β=0.542となります。
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図3 面積高度比曲線の説明
(Strahler,1952)
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図4 常願寺川流域の面積−高度比曲線(井上ほか,1986)
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常願寺川は、扇頂までの流域面積A=447km2、比高差H=2830mですので、全侵食量V1は A・H(β−α)=1160億m3と求められます。その後の立山火山や広域テフラ(降下火山噴出物)を考慮しても、その量はわずかですので、常願寺川からの流出土砂量(侵食土砂量)は、V1=1200億
m3程度と考えられます。常願寺川の現成扇状地の体積V2については、扇状地の基底形態を知る地質資料は乏しいのですが、面積は66km2(井上,1993で計測)あることから、砂礫層の厚さを平均50mと推定すると、V2=33億m3程度と考えられます。または、現成扇状地の形態を円錐形の一部と仮定し、地形図から計測すると扇頂部(標高162m)から20mの等高線までの半径r=11km、扇状地の広がる角度a=80度、高さ142mであるので、V2=40億m3となります。したがって、現成扇状地の全体積は、V2=30〜40億m3の範囲であると推定できます。
このことは、立山火山形成後(数十万年前)から現在までに、全侵食土砂量(V1=1160億m3)のうち、常願寺扇状地に堆積している土砂量(V2=40億m3)は数%程度で、侵食土砂量の大部分は富山湾に流入したことを示しています。長い地形形成史の中で見れば、扇状地は粗粒物質の一時的な堆積場所と考えられますので、V2がV1の数%程度であることも納得できます。これは、他の河川と異なり、常願寺川下流部では扇状地が大部分で、沖積低地が少ないことも大きな要因のひとつだと思います。
3.地殻変動と土砂流出
第四紀地殻変動グループ(1969)によれば、富山平野が0〜250m沈降しているのに対して、山地部は最大1500mも隆起しています。つまり、第四紀以降(165万年,理科年表1999年版より、国際地質学連合は2009年6月に第四紀を約260年前からと再定義しています)に、山地部は平野部に対して平均1mm/年の相対的隆起があったことになります。
常願寺川の全侵食土砂量(V1=1160億m3)は、オーダー的に数十万年前以降(第四紀後半の数十万年前から隆起量が多くなったと言われています)、常願寺川から流出した土砂量に見合っていると判断されます。つまり、山地部の隆起量に見合った部分が侵食され、扇状地より下流に流出しています。
常願寺川上流部の北側には、現河床からの比高500〜700m付近に立山火山から流出した溶岩台地が広がっており、溶岩台地は6万年前までに形成されました(柴田・豊沢,1957)。千寿ヶ原より下流の常願寺川(称名川合流点より下流)沿いには、数段の河成段丘が分布しますが、深井(1956a)は、現河床から50〜150mの高位面を粟巣野面と呼び、2〜3万年前の最終氷期の周氷河作用による堆積段丘と判断されています。この地形面は、下流では下段(しただん)扇状地に続いており、上流では断片的に湯川・真川合流点付近まで追跡できます。すなわち、最終氷期には、常願寺川の河谷は厚い砂礫層で埋積されていたと考えられます。その後、温暖化に伴い、生産土砂量よりも運搬土砂量が多くなったため、常願寺川は下刻するようになり、河床は低下しました。流出土砂は上滝から広く氾濫し、現成扇状地を形成しました。千寿ヶ原を始めとする中〜下位面は、この時期に形成された段丘面です。なお、常願寺川の現成扇状地は、大石(1985,2014)の扇状地分類によれば、インターセクションポイントの存在しないタイプT型の若い扇状地で、扇面全体が土砂災害を受ける可能性の高い地形面です。つまり、鳶崩れ以前にも大規模な土砂流出が何回もあり、扇面に氾濫・堆積して扇状地が形成されつつあります。大規模な土砂流出は、数十年〜数百年間隔で発生するため、多量の土砂氾濫・堆積面は一時的に荒廃した状況になるものの、しばらくすると比較的安定した河道状況になっていたと考えられます。中・下位の段丘面は古い時代の大規模な土砂流出時の地形面で、鳶崩れの土砂はこれらの地形面に縁取られた河谷の中を流下し、扇面全体に氾濫・堆積しました。
町田(1962)によれば、常願寺川の上流・湯川流域は、立山火山が開析されて形成された立山カルデラ(侵食カルデラ)で、主に溶岩や火山砕屑物からなる500m前後のカルデラ壁に取り囲まれています。カルデラ南部の多枝原(だしわら)を取り囲む急峻な崖は、鳶崩れの発生地点で、今でも崩壊が頻繁に起こり、多量の土砂を供給しています。
現地踏査によれば、湯川上流・松尾谷の周囲には、鳶崩れより古い土石流堆積面(次回コラム23の図10参照)が広がっています。この地形面を構成する物質は、安山岩を主体とした角礫層で、火砕流ないし岩屑なだれ起源と判断されます。その上位には土石流堆積物と判断される淘汰の悪い亜円礫が載っています。堆積層の層相や地形から、これらの堆積物は一次的な火山活動と考えるよりも、松尾谷上流で発生した大規模崩壊に伴う堆積物と考えられます。これらと同様の堆積物は、多枝原の湯川沿いの丘や泥鰌池の西側の高い地形面の本体を構成しており、南西側の多枝原池付近にも存在し、鳶崩れ以前の地形面を形成しています。
4.跡津川断層と飛越地震
図1と図2に示したように、跡津川断層は岐阜県北部から富山県南部にかけて西南西−東北東に走っている長さ70kmの活断層です。神通川上流の高原川を数kmにわたって大きく曲流させるなど、各地に明瞭な断層地形が残されています。宇佐美(2003)によれば、安政五年二月二十六日(1858.4.9)に発生した飛越地震(M7.3〜7.6)は、この跡津川断層の活動によって引き起されたとされています(災害教訓の継承に関する専門調査会,2009)。飛越地震の震央は、岐阜県北部の飛騨市(旧河合村)角川(つのかわ)付近で、跡津川断層沿いや神通川の河谷に沿って、多くの地すべりや崩壊が発生しました。図5と表1によれば、65箇所の土砂災害(図5の赤〇)と12箇所の天然ダム(図5の青〇)の形成地点が特定されました(田畑ほか,2002)。このため、飛越地震は角川地震とも呼ばれています。『安政地震大地震洪水記』などによれば、神通川では何箇所も山崩れが起こり、天然ダムが形成されました。その後、数時間から数日後に決壊して、激しい洪水段波が流れ下り、下流域で大きな被害がでました。鳶崩れ(図5の@)はコラム23で詳述しますが、飛越地震時に跡津川断層の東端で起きた一番大きな土砂移動と位置付けられます。
飛越地震に伴って発生した地震被害と土砂災害については、東京大学地震研究所(1986)の『新収日本地震史料,五巻別巻四』や災害教訓の継承に関する専門調査会(2009)で詳述されています。安政地震時に発生した土砂災害の分布の特徴は以下の通りです。
@ 土砂災害(地すべりや崩壊・土石流)の規模は、必ずしも震央距離とは比例関係にない。
A 跡津川断層に沿った地域で、比較的大きな斜面崩壊が発生している。
B 情報の空白域もあるが、土砂災害は、跡津川断層全域で発生しており、特に規模の大きな土砂災害は、跡津川断層の両端付近で発生している(西端:元田地区,No.55,東端:鳶崩れ,No.1)。
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図5 飛越地震による土砂災害と天然ダム発生地点(国土交通省立山砂防工事事務所,2002,田畑ほか,2002)
図中の番号は,表1と対応している。
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表1 飛越地震による土砂災害と天然ダムの発生地点(国土交通省立山砂防工事事務所,2002,田畑ほか,2002)
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5.跡津川断層のトレンチ調査
5.1 現地踏査結果
跡津川断層東端部(有峰トンネル〜有峰湖北)の真川第4号砂防堰堤の工事用道路の切土面(写真1)に
写真1 跡津川断層の露頭 立山砂防事務所撮影
は見事な活断層露頭が存在します(奥村,1996)。現地踏査結果から、断層の分布状態、断層沿いの不安定斜面について、以下のことが想定されました(建設省立山砂防工事事務所,2001,02)。
@ 有峰湖北東岸から真川・スゴ谷合流点付近は、跡津川断層が杉型樹形のような雁行状配列を呈してい
る。一方、真川・スゴ谷合流点から有峰トンネル付近までは箒状に分岐・発散している。
A 跡津川断層北側の斜面には、小規模な崩壊が多い。一方、南側斜面では小規模な崩壊跡が少ないかわ
りに、大規模な初生地すべり地形(岩盤クリープ変形)が顕著である。これは断層の北側が破砕による
劣化が著しいためと推察される
。跡津川断層は北側隆起で、安政飛越地震の際に北側すなわち上盤側で
被害が著しいと報告されている。(山田・竹内,1983)。
B 現地踏査結果により、跡津川断層のトレンチの調査位置を真川の大露頭上部の緩斜面部とした。
5.2 トレンチ調査
鳶崩れの誘因となった安政飛越地震と跡津川断層の活動の関連性を把握する目的で、トレンチ調査と土質試験・14C年代測定を行いました(国土交通省立山砂防工事事務所,2001,02)。
写真2 跡津川断層のトレンチ西側壁面の全景写真(国土交通省立山砂防工事事務所,2002,田畑ほか,2002)
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図6 西側壁面のスケッチ
(国土交通省立山砂防工事事務所,2002,田畑ほか,2002)
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写真2はトレンチ壁面の全景で、図6はトレンチ壁面のスケッチです。写真3はトレンチ東側の断層ガウジ(粘土)周辺の状況,図7は東側壁面の断層ガウジのスケッチを示しています。トレンチで確認された地層は、下位から真川湖成層、湖沼堆積物、崖錐性堆積物、粘性土層及び表土でした。トレンチ中央部に断層破砕帯が分布し、その断層沿いに断層運動によって引き込まれた腐植土(旧表土)が認められました。腐植土には堆積時期が異なると判断されるものがあり、それらが派生断層により切られているため、腐植土層の
14C年代測定を実施することにより、断層の活動時期の推定を行いました。また、トレンチ終了後に、この断層露頭を保存する目的で、断層付近の剥ぎ取りを行いました。
5.3 跡津川断層の活動履歴
武部ほか(2000)のトレンチ調査結果や今回のトレンチ調査結果と年代測定結果等から、跡津川断層東端部での断層運動のイベントが、約4000年前以降3回あり、その活動周期が約1300年であると推定されました。また、3回のイベントのうち、最新のイベントは安政飛越地震に対応するものと推定しました。
グーテンベルグ・リヒターの式(地震規模のスケーリング則)を用いると、跡津川断層規模の内陸活断層においては、マグニチュード(M)6クラスで160年に1回,M5クラスで25年に1回の頻度で地震が発生すると言われています(片山ほか,2002)。なお、昭和36年(1961)の北美濃地震(M7.0)により、黒部川の黒部ダムのダムサイト付近で落石が発生し、6名が負傷しました。従って、立山カルデラ周辺においては、跡津川断層に起因する地震だけでなく、他の断層に起因する地震に対しても注意が必要です。
5.4 跡津川断層の活動特性
跡津川断層の活動特性は、以下の通りと言われています(竹内ほか,1990,片山ほか,2002,多田,1998)。
@ 跡津川断層沿いでは微小地震が定常的に発生しており、その地震規模の最大はM4クラスである(1985年7月〜2000年6月)。
A 跡津川断層には、微小地震の空間的(発生場所の)不均一性が認められ、中央部(岐阜県宮川村(現飛騨市)菅沼〜高原川流域〜有峰湖)で不活発であり、西部(岐阜県宮川村菅沼〜天生峠)、東部(有峰湖西岸〜立山カルデラ)で比較的活発である。このうち、微小地震活動の不活発な領域では、常時断層が変位するクリープ現象が認められていた。最近のGPS測位では、変位は認められていないようで
す。
トレンチ調査結果と安政地震の被害状況の整理結果から、安政飛越地震時に跡津川断層全域が変位した可能性が強いと判断されます。この想定を踏まえると、跡津川断層の活動特性は以下のようになります。
a) 安政地震時の地震動の最大加速度を、福島−田中の距離低減式(福島・田中,1992)にて算出すると、断層近傍で600gal以上であり、立山カルデラ内は500〜600galの強烈な地震動となります。
b) 現地踏査結果と空中写真判読結果から確認された跡津川断層東端部における断層の分岐形態は、断層破壊方向に指向性が発生したことを示しています。
c) 飛越地震での断層破壊は、まず中央部から破壊が開始され、両端に向かって破壊が進行します。そして、断層の東端部に位置する大鳶山と小鳶山は、断層破壊方向による地震動の増幅効果を受けた可能性が考えられます。
写真3 トレンチ東側の断層ガウジ周辺の状況(国土交通省立山砂防工事事務所,2002,田畑ほか,2002)
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図7 東側壁面の断層ガウジのスケッチ(国土交通省立山砂防工事事務所,2002,田畑ほか,2002)
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引用文献・参考文献
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●武部晃充・竹内章・バートルハス・追垣内薫(2000):跡津川断層東部,真川露頭上部トレンチ調査結果,日本地球惑星科学連合2000年大会,S1-110.
●立山カルデラ砂防博物館(1998):越中立山大鳶崩れ,―古絵図が語る安政の大水害―,安政五年大地震大洪水の古絵図集成,95p.
●立山町(1984):立山町史,上下巻,1868p.
●多田尭(1998):跡津川断層における地殻変動,月刊地球,20号,p.142-148.
●田畑茂清・水山高久・井上公夫・杉山実(2000):鳶崩れ(飛越地震,1858)による天然ダムの形成と決壊に伴う土砂災害の実態,砂防学会誌,53巻1号,p.59-70.
●田畑茂清・水山高久・井上公夫(2002):天然ダムと災害,古今書院,口絵,8p.,本文,206p.
●東京大学地震研究所(1986):新収日本地震史料,五巻別巻四,667p.
●富山県郷土史会(1976):越中安政大地震見聞録,―立山大鳶崩れの記―,KNB興産株式会社,231p.
●富山県・立山博物館(1993):地震を視る,―古記録からCGまで―,55p.
●野崎保・米谷正広・菊川茂(2009):鳶泥と国見泥(予報),―立山カルデラ内の巨大崩壊堆積物―,第48回日本地すべり学会研究発表会講演集,p.178-179.
●野崎保・米谷正広・菊川茂(2009):立山カルデラと巨大崩壊の成因に関する問題点,日本応用地質学会平成21年度研究発表会論文集,p.11-12.
●野崎保・米谷正広・菊川茂(2010):鳶泥と国見泥(第二報),―立山カルデラ内の崩壊と変質作用―,第49回日本地すべり学会研究発表会講演集,p.37-38.
●野崎保・菊川茂(2011):鳶泥と国見泥(第三報),―立山カルデラ内での古期巨大崩壊―,第50回日本地すべり学会研究発表会講演集,p.29.
●野崎保・菊川茂(2012):立山カルデラ内の形成と深層崩壊の歴史,−鳶泥と国見泥−,日本砂防学会誌,49巻4号,口絵,p.1-2.,本文,p.44-51.
●林泰造・尾崎幸男・泉雄一(1981):掃流砂量式と掃流砂量の遅れの距離について、第25回水理講演会論文集,p.9-19.
●原山智・高橋浩・中野俊・苅谷愛彦・駒沢正夫(2000):5万分の1地質図幅「立山」及び説明書,地域地質研究報告,地質調査総合センター,218p.
●廣瀬誠(2000):地震の記憶,安政五年大震大水災記,260p.
●深井三郎(1956a):立山山麓の隆起扇状地,地理評,29巻,p.218-231.
●深井三郎(1956b):常願寺川上流域の地形発達史,地理評,29巻,p.428-439.学会講演予稿集,No.2,p.116
●藤井昭二(1962):表層地質5万分の1富山図幅とその説明書,富山県,42p.
●藤井昭二(2000):大地の記憶,桂書房,197p.
●藤井昭二・金子一夫(1999):称名の滝の後退速度,―称名川,真川,常願寺川の侵蝕率―,富山県立山博物館研究紀要,6号.P.85-90.
●藤井昭二・中村俊夫・酒谷幸彦・高橋裕史・工藤裕之・山野秀一(2011):常願寺川扇状地に形成と災害についての2,3の知見,立山カルデラ研究紀要,12号,p.1-10.
●朴木英治・赤羽久忠・山本茂・金山昌一(2000):立山カルデラ内の温泉および湯川の主要成分組成,―湯川のイオン組成に対する温泉と支流の役割―,立山カルデラ研究紀要,1号,p.1-7.
●町田洋(1962):荒廃河川における侵食過程―常願寺川の場合―,地理評,35巻,p.157-174.
●町田洋(1967):荒廃山地における崩壊の規模と反復性についての一考察,水理科学,55号,p.31-53.
●町田洋(1984):巨大崩壊,岩屑流と河床変動,地形,5巻,p.155-178.
●町田洋(1986):立山の大鳶崩れ,日本の自然8,自然の猛威(町田洋・小島圭二編),岩波書店,p.102-111.
●水山高久・井上公夫・大内俊二(1985):砂防・河川工事が扇状地河道に与えた影響の評価(常願寺川),昭和60年度砂防学会研究発表会講演集,p.112-113.
●水山高久・大内俊二・井上公夫(1987):鳶崩れの規模と崩壊土砂の運動,昭和62年度砂防学会研究発表会講演集,p.102-103.
●Mizuyama T., Tabata S., Mori T., Watanabe F., Inoue K. (2004):Outburst of Landslide Dams
and Their Prevention, Interpaevent 2004 –Riva/Trient, W:Landslide, p.221-229.
●山田淳夫・竹内章(1983):跡津川断層東端の断層露頭,月刊地球,5巻,p.399-404.
●米原寛(2016):立山の自然とひとの関わり,砂防学会平成28年度砂防学会研究発表会,企画セッション「立山・黒部の自然,文化と砂防」
●渡邊尚・大矢幸司・長井降幸・福田光生・石井崇・川合康之・西村友之(2016):立山砂防事務所管内の歴史的砂防施設の維持管理について,砂防学会平成28年度砂防学会研究発表会概要集,A-16-17.