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 シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く 
 コラム51 マヨン火山の2000年噴火と警戒・避難
 
1.マヨン火山の概要
 マヨン火山(標高2463m)は、コラム50の図1や表1に示したように、ルソン島の南東部(首都マニラから330km)に位置し、7〜10年間隔で山頂噴火を繰り返す火山活動の極めて活発な火山です。写真1に示したように、非常に美しい円錐形の成層火山で、マヨン火山には側火山が一つもありません。常に、山頂のみから噴火を続け、大量の溶岩(溶岩噴泉を含む)や火砕流・降下火砕物(火山灰)を周辺地域に堆積させています。これらの火山噴出物は山頂から四方八方に流下・堆積しています。台風などの襲来により集中豪雨を受けると、山腹に堆積した不安定な火砕流堆積物などは、ラハール(泥流)となって下流域に流下して、氾濫・堆積します。 
写真1 マヨンレストハウスから見たマヨン火山,1998年11月25日井上撮影
写真1 マヨンレストハウスから見たマヨン火山,1998年11月25日井上撮影

 マヨン火山は噴火さえ収まれば、しばらくの間は非常に美しい成層火山で、神聖な山(ビコル地方で美しいという言葉「マガヨン」に由来する)です。火山噴出物が厚く堆積する地域は風化があまり進まず、アランアラン(イネ科のチガヤの1種)しか生えない荒地となっています。山麓下部の地域にはラハールが繰り返し堆積し、比較的肥沃な大地が形成され、多くの集落が形成されました。しかし、度重なる噴火(1968,78,84,93,2000,01,06,09,13,14,18年)の繰り返しは、火山山麓の住民にとって、常に火山災害との戦いの歴史でした。また、マヨン山麓の河川流域は、噴火活動が収まっても、集中豪雨時に発生するラハール(泥流)によって大きな被害を受け続けています。
 1984年9月の噴火では、最初の小規模な噴火で住民が避難してから数週間後に大噴火が起きましたが、犠牲者はでませんでした。避難した住民たちは帰宅を望みましたが、PHIVOLCSのプノンバヤン所長とUSGSのニューホール博士は「噴火はまだ終わっていない可能性がある」として避難解除を認めず、結果的に多くの人々を救いました。
 1993年の噴火では、突然の噴火(予知できませんでした)で、火砕流と溶岩流が噴出し、70〜75人の犠牲者を出しました。この時に山頂の火口から南西に向いたボンガガリーが形成され、それ以降は南西方向に溶岩流や火砕流が流出しやすくなりました。
 2000年2月〜4月の噴火は後述します。2006年8月にも噴火し、11月の台風襲来もあって多くの渓流でラハールが発生し、死者620名、行方不明710名、倒壊家屋9000戸という大被害となりました。2009年にも噴火し、12月14日には住民への避難勧告が出されました。
 2013年5月7日に起きた噴火では、マヨン火山に登っていた観光客計20人のうち、5人(観光客4人,ガイド1人)が落ちてきた溶岩に当たり、犠牲となりました。
 2014年9月15日には、アラート(警戒)レベル3に引き上げられ、1万人に避難指示がでました。9月17日に溶岩が流れ出し、5万人に避難勧告が出されました。
 マヨン火山は17世紀から21世紀初頭までの400年間に50回(8年に1回の割合)も噴火しています。最大噴火は1814年2月1日の噴火で、1200名もの犠牲者を出しました。この時には南麓にあったカグサワ教会(山頂から10km)まで、火砕流が襲って、教会周辺を5m以上の堆積物で埋めてしまいました。現在ではこの教会付近は、写真2に示したように遺跡公園となっています。この教会は1724年に建立されましたが、1814年の火砕流はこの教会付近の集落を焼き尽くし、教会の鐘楼の部分だけが現在も残っています。
写真2 カグサワ教会の残った鐘楼と1724年建立と記された碑盤,1998年11月25日井上撮影
写真2 カグサワ教会の残った鐘楼と1724年建立と記された碑盤,1998年11月25日井上撮影

2.日本の技術協力
 国際協力事業団(JICA)では、フィリピン政府の要請に基づき、マヨン火山砂防基本計画の策定調査を1978〜80年に行いました。この時には砂防計画と河川改修計画の実施設計が行われましたが、1981年の台風ダーリングの襲来と1984年の噴火などによって、実施計画の大幅な見直しが必要となりました。このため、1982年や1985年に緊急災害調査が行われ、いくつかの応急対策工事が提案されました。フィリピン政府の自己資金で着手されましたが、1986年の政権交代(マルコス→アキノ)や1991年以降のピナツボ火山の噴火対策への予算の集中もあって、対策事業の実施は遅れていました。
 その後、1993年のマヨン火山の噴火で、多くの犠牲者を出したため、この噴火を契機として、JICAではフィリピン政府の要請に基づき、ハード対策だけでなく、避難対策や地域活性化対策を盛り込んだ「マヨン火山周辺地域総合防災計画調査」(日本工営株式会社と株式会社工営総研の共同企業体)を1998年10月〜2000年10月に実施しました。筆者もこの調査に一部参加しました。

3.噴火に対する警戒・避難体制
 フィリピン火山地震研究所(PHIVOLCS)は、フィリピン諸島周辺の火山や地震活動を調査する国立の研究機関で、米国地質調査所(USGS)や日本の研究機関とも綿密な連携を行っています。PHIVOLCSでは、1993年の噴火後にディザスターマップ(災害実績図,図1)を作成するとともに、3種類のハザードマップ(溶岩流,火砕流,ラハール,図2〜4)を作成しました。PHIVOLCSは、火山活動の観測結果に基づき、表1に示した6段階のアラートレベル(噴火危険度)を定め、噴火活動の程度に応じて、警戒・避難を勧告(recommend)しました。この勧告に基づき、PDCC(州災害調整委員会)が市町村を通じ、避難勧告を地域住民に通報しました。平常時には、PDCCが中心となって、噴火に対する準備を行っており、地域住民の避難対策(避難場所の整備)を実施しました。このアラートレベルの内容と避難場所は、地域住民にもかなり周知されており、実際の避難時(最大7万人)に大いに役立ちました。
表1 マヨン火山の噴火アラートレベル(PHIVOLCS,1999インターネット公開資料)
表1 マヨン火山の噴火アラートレベル(PHIVOLCS,1999インターネット公開資料)

4.2000年噴火前の現地調査
 1998年10月から始まった「マヨン火山周辺地域総合防災計画調査」で、1993年の噴火とその後の台風襲来による土石流による地形変化と被害状況を現地調査しました。
 図5は1993年噴火以前の1/5万地形図を用いた地形分類図です。山頂の火口は2-300mと非常に小さく、全方位に溶岩流や火砕流が流下しており、ボンガガリーはまだ形成されていません。図6はマヨン火山周辺地域総合防災計画調査で作成したマヨン火山南半分の1/2.5万地形図を用いた地形分類図で、1993年噴火後の地形状況を示しています。
図1 ディザスターマップ(災害実績図) 図2 溶岩流のハザードマップ
図1 ディザスターマップ(災害実績図) 図2 溶岩流のハザードマップ
(PHIVOLCS,1999インターネット公開資料)
図1 ディザスターマップ(災害実績図) 図2 溶岩流のハザードマップ
図3 火砕流のハザードマップ 図4 ラハールのハザードマップ
(PHIVOLCS,1999インターネット公開資料)
図5 1993年噴火以前の1/5万地形図を用いた地形分類図(国際協力事業団,2000)
図5 1993年噴火以前の1/5万地形図を用いた地形分類図(国際協力事業団,2000)
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 図5と図6の地形分類図に示したように、マヨン火山を取り巻く渓流・河川は放射状に何本も発生していますが、噴火時の溶岩流・火砕流、その後の豪雨時のラハールによって、河道に堆積して満杯になると溢れて、別の河道を形成して流下します。このため、山麓の渓流・河川沿いに存在する集落は繰り返し災害を受けてきました。
図6 1993年噴火後の1/2.5万地形図を用いた地形分類図(国際協力事業団,2000)
図6 1993年噴火後の1/2.5万地形図を用いた地形分類図(国際協力事業団,2000)
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写真3 マヨン火山とボンガガリーから流下する河川(1999年2月井上撮影)
写真3 マヨン火山とボンガガリーから流下する河川(1999年2月井上撮影)
写真4 土石流で被災した人家の上に新しい仮設住宅が建設されている 写真5 土石流が流下した渓流で牛に水を与えている(1999年2月井上撮影) 
写真4 土石流で被災した人家の上に
新しい仮設住宅が建設されている
写真5 土石流が流下した渓流で牛に水を与えている
(1999年2月井上撮影) 

 写真3はボンガガリーから流下している河川で、1993年の噴火で火砕流が流下し、その後の豪雨で何回も土石流が発生しました。写真4は、土石流で被災した人家の上に新しい仮設住宅が建設されていました。写真5は、土石流で流下してきた溶岩礫が多く存在する渓流で牛に水を与えている状況を示しています。
 写真6は、土石流が流下した渓流で、マヨン火山山頂側の椰子の木の樹皮が転石の衝突で剥けていました。写真7はマヨン火山南西側で5cmほど積もった降下火砕物の状況です。
写真6 土石流が流下した渓流で、山頂側の椰子の木の樹皮が転石の衝突で剥けている。(1999年2月井上撮影) 写真7 マヨン火山南西側で5cmほど積もった降下火砕物の状況(2000年3月井上撮影)
写真6 土石流が流下した渓流で、山頂側の椰子の
木の樹皮が転石の衝突で剥けている。
(1999年2月井上撮影)
写真7 マヨン火山南西側で5cmほど
積もった降下火砕物の状況
(2000年3月井上撮影)
 
5.2000年噴火の開始
 マヨン火山は1993年の噴火以降しばらく沈静化していましたが、PHIVOLCSの地震計は、1999年2月にマヨン火山の活動に伴う地震波を検知(以後、4月と5月にも数回)しましたが、噴火予知をするために、震源位置と発生時間を特定するには不正確でした。

5.1 震源位置と発生時間決定
 「マヨン火山周辺地域総合防災計画調査」を1998年から実施していたJICA調査団はPHIVOLCSに対して、地震波の観測体制に対して改良案を提案しました。マヨン火山はその見事な火山地形が示す通り、噴火の火道が極めて安定しており、活性化したマグマが火道を上昇したのち、噴火に至ると考えられます。従って、活性マグマの位置・動きを監視することが予知のために重要な情報を与えます。活性マグマは岩盤を破壊しながら進むので、弾性波(振動)を発することが期待でき、震源はその先端位置を、また発生時刻は動きを示すものと考えられます。
 マヨン火山の場合、弾性波の主成分は0.1〜200Hzつまり周期は0.005秒〜10秒であり、最大周期10秒の速度計測型振動計で検知できます。ここで検知時刻は、発生時刻から、震源―振動計間の距離を弾性波が伝搬する時間だけ遅れて感知されます。つまり未知数は、震源の位置(x, y, z)および真の発生時刻 tの4個となります。調査は4未知数を求めるため、振動計を4か所に設置することを提案しました。各計測地点から震源までの距離と弾性波の伝搬速度から検知の遅れ時間は震源の座標値(x,y,z)を未知数として求めることができます。4か所で計測された検知時刻は真の発生時刻tに遅れ時間を加えたものであるから、4未知数x,y,z, tに対して4方程式が連立します。ここで弾性波の速度はマヨン火山の成層山体では場所に寄らず一定と仮定しました。4つの未知数を地震波が発生する都度求め、震源の位置を特定し、その移動速度・方向から噴火の危険性を予知し必要な警報を発令することを提案しました。
 この提案に対し、現地PHIVOLCS事務所は極めて前向きに反応し、既設のテレメーター化された振動計3個の設置位置を標高400m、火山を取り巻く正方形の3頂点近くに移動しました。また、ピナツボに一端設置してあった振動計一個を借り受け、残りの1頂点近傍(北斜面のCanaway村)に設置し、1999年10月に観測を開始しました。このため、2000年1月にはマグマの動きを検知把握できる体制となり、PHIVOLCSによると2000年2月15日には10日後の噴火を予報できるようになりました。このため、2月22日に1万人超の住民に対する避難命令が出され、24日には2.5万人が避難を終了したところで大規模な噴火が生じましたが、人的被害をゼロにすることができました。

5.2 マヨン火山・2000年噴火の経緯
 PHIVOLCSは、月・日、アラートレベル、避難場所数、避難者数、日降水量、SO2噴出率、火山性地震(PHIVOLCSの観測所はマヨン火山南東部のDuyuhan)をインターネットでMayon Volcano Bulletinで1996年6月から公開しました。筆者はインターネット公開資料を東京で閲覧し、上記のデータを表2の一覧表として整理しました(井上,2002)。図7は表2をもとに、マヨン火山・2000年噴火の経緯と避難者数をグラフ化したものです。マヨン火山は1999年6月22日に水蒸気爆発を起こし、噴煙は10〜12kmまで上がって少量の降灰と小規模な火砕流が観測されました。このため、7月1日に警戒レベルを1から2に引き上げ、恒久危険地域(Permanent Danger Zone,半径6km以内)とボンガガリーの発達する南東側四分円の拡大危険地域(Extend Danger Zone,半径7km以内)を立ち入り禁止地区としました。9月22日にも水蒸気爆発(噴煙5〜6km)を起こし、小規模な火砕流が発生しました。2000年1月5日には、火口部の赤熱現象に続いて、小規模な降灰・火砕流が発生しました。
 2000年2月から活発な火山活動を開始しましたが、PHIVOLCSの火山活動の正確な把握と避難勧告により、火山活動の状況に応じて,7万人もの地域住民が整然と避難しました。その後、3月1日に最大噴火を起こしましたが、直接的な人的被害は出ませんでした。 噴火が本格化し始めたのは、2000年2月に入ってからです(表2,図7)。このため、アラート(警戒)レベルは順次1→2→3→4→5と引き上げられ、2月16日に南東側四分円地区の8km以内を拡大危険地域(Extend Danger Zone)として立ち入り禁止としました。2月29日〜3月1日に最大噴火となり、噴煙柱は高さ14kmまで上がりました。溶岩噴泉が全方位に降り注ぎ、溶岩片が火口から1.5kmまで達しました。そして、全方位に火砕流が発生し、その先端はボンガガリーの発達する南東から南方向には5〜6km(他の方位には2〜3km)にも達しました。ボンガガリーは、火砕流と溶岩噴泉によって次第に埋められましたが、3月1日1時43分には溶岩流が火口から2.3km地点(標高1000m)まで達しました。
表2 マヨン火山2000年噴火の経緯と避難者数(PHIVOLCSのMayon Volcano Bulletinをもとに作成;井上,2002)
 表2 マヨン火山2000年噴火の経緯と避難者数(PHIVOLCSのMayon Volcano Bulletinをもとに作成;井上,2002)
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図7 マヨン火山・2000年噴火の経緯と避難者数(表2より作成,井上,2002)
図7 マヨン火山・2000年噴火の経緯と避難者数(表2より作成,井上,2002)
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 写真8(露店で購入)に示したように、このような溶岩噴泉や溶岩の流下は、南西に12km離れたレガスピの市街地からもよく見えました。そして、14時32分には噴煙柱が西方向に大きく崩れて火砕流が発生し、南西〜北西方向に激しく降灰しました。ボンガガリーを流下した溶岩流は、1993年の溶岩流の高まりを避けて左右に分かれ、2日の10時には6kmまで流下し、ほぼ停止しました。PHIVOLCSは、3月4日時点で今回の総噴出量を4000万m3と推定しました。その後噴火活動は小康状態となりましたが、3月6日7時46分にはボンガガリーを埋めた溶岩流と火砕流の一部が崩落して、大規模な火砕流が発生しました。この時には噴煙柱が火口ではなく、中腹の溶岩流付近から上がり、西方向に降灰しました。
写真8 レガスピ市内からみた2000年噴火時のマヨン火山,ボンガリーを流下して赤く輝く溶岩流(現地の露店で購入)
写真8 レガスピ市内からみた2000年噴火時のマヨン火山,ボンガリーを流下して赤く輝く溶岩流
(現地の露店で購入)
写真9,10 2000年3月に発生した火砕流の流下状況(現地の露店で購入)
写真9,10 2000年3月に発生した火砕流の流下状況(現地の露店で購入)

ママヨン火山の標高は2463mと雲仙普賢岳(標高1483m)よりも高く、噴出量も多いため、規模の大きな火砕流となりました。写真9,10はこの時の火砕流の写真を露店で購入したものです。
 この火砕流発生以後、噴火は次第に治まっていったため、アラート(警戒)レベルは5→4→3→2→1と順次引き下げられ、5月15日には噴火活動は収束しました。このため、図7に示したように、避難勧告地域が縮小されるにつれて、避難住民は自分たちの家に戻って行きました。
 
6.2000年3月26〜28日の現地調査
 噴火がほぼ収まった3月26〜28日に、マヨン火山周辺の現地調査を行いました。図6は、国際協力事業団の業務で作成されたマヨン火山南部の地形分類図です。この地形分類図は1993年の噴火による溶岩流や火砕流・ラハールによる地形変化が示されています。3月の現地調査では、図6などを用いて、2000年噴火による地形変化を前回の現地調査結果と比較しました。
 現地調査を行う前の3月25日に22mm、26日に74mmとかなりの降雨がありました。写真11は降雨直後の27日で、マヨン火山の南麓の写真です。3月前半に流出した溶岩流に降雨が降り注いだため、高温の溶岩流から水蒸気が上がって白くなっているのが分ります。2本の溶岩流の間は、1993年の溶岩流で、溶岩堤防が明瞭に見え、かなり背の高い尾根となって続いています。この高まりのために、今回の溶岩流は2方向に分かれて流下しました。水蒸気の立ち方から見て、向かって左側が先で、右側は後から流下したと考えられます。火砕流の流下範囲は樹木が燃えて黒くなっていますが、現地調査時にはすでに常温になっていました。火砕流前方の熱風部分では椰子の林が焼け焦げ、周囲の緑とは対照的な色調になっていました。
 写真12は晴天時の28日の状況で、地形変化の状況が良くわかります。1993年の溶岩流と今回の溶岩流の流下形態がはっきりと識別できました。また、ボンガガリー頭部に向かって右側の一部が大きく崩落しており、3月7日に発生した大規模な火砕流の引き金になったと考えられます。
写真10 降雨後の3月27日のマヨン火山,ボンガガリーは高温のため水蒸気が上がっている黒色部分は溶岩流,褐色部分は火砕流で焼かれた森林 (3月27日井上 撮影)
写真11 降雨後の3月27日のマヨン火山,ボンガガリーは高温のため水蒸気が上がっている
黒色部分は溶岩流,褐色部分は火砕流で焼かれた森林 (3月27日井上 撮影)
写真11 Basud川の集落道路から1km上流まで歩く。溶岩流の流下状況(溶岩堤防から溢れている)が分る。ボンガガリーの右側が大きく崩落しているこの崩落によって3月7日に大規模火砕流発生 図2 溶岩流のハザードマップ
写真12 Basud川の集落道路から1km上流まで歩く。
溶岩流の流下状況(溶岩堤防から溢れている)が分る。
ボンガガリーの右側が大きく崩落している
この崩落によって3月7日に大規模火砕流発生
写真13 マヨンレストハウス(標高78m)から
マヨン火山の北側斜面を見る。
溶岩噴泉となって噴出した溶岩の巨礫が見える。
まだ高温の部分から白い上記が上がっている
(2000年3月28日井上撮影)

 写真13に示したように、北側のマヨンレストハウス(火口から3.5km,標高780m)まで登りましたが、溶岩噴泉や火砕流の痕跡が良く見えました。
 3月28日でも、夜になると私達の泊まったレガスピ市内のホテルからもマヨン火山の火口部が赤光っているのが見えました。

7.2000年噴火の終焉とラハールの危険性
 表2と図7に示したように、2000年噴火は4月以降次第に収まりましたが、堆積物の崩落によって、二次火砕流が発生する危険性があります。また、マヨン火山の全方位に溶岩噴泉と火砕流の堆積物が不安定な状態で残っており、これらが今後の集中豪雨によって、ラハールが発生する危険性が高いと考えられます。PHIVOLCSでは、南東方向のBuyuan-Padang川とMabinit(Pawa-Burabod)川を火砕流堆積物の量が多く非常に危険な河川と指定しています。南から西側のMiisi川、Anuling川、Tumpa川、Maninila川は中程度に危険な河川としています。今後の台風などによる集中豪雨によって、ラハールが発生する危険性が高いと判断されますので、河川毎に十分な観測・監視体制が必要と思います。
図8 ヤワ川水系の砂防施設配置計画(国際協力事業団,2000)
図8 Yawa川水系の砂防施設配置計画(国際協力事業団,2000)

 地形状況から判断してボンガガリーの上部を埋めた堆積物(数10万〜100万m3)が一度に大規模崩壊を起こす可能性があります。この場合、大規模な泥流が発生して拡大危険地域(Extend Danger Zone,半径8km)を越えてレガスピ周辺の人家密集地域まで到達する危険性が考えられます。
 なお、2000年の10月27〜28日の台風Reming(総雨量441mm,観測点Buyuan)と、11月2〜3日の台風Seniang(総雨量241mm,同)の襲来により、Basud川、Padang川、Pawa-Burabod川、Budiao川、Anuling川などの川でラハールが発生しました。Basud川では、既設の水制工や堤防が破壊され、Anuling川では11戸の家屋が全壊しました。
 2000年10月に提出された国際協力事業団(2000,日本工営(株)と(株)コーエイ総合研究所の共同企業体)の「フィリピン国マヨン火山地域総合防災計画調査」では、Yawa川水系のPawa-Burabod川、Budiao川、Anuling川などで、ラハールの堆砂地(Sand Pocket)の建設や流路工の建設や浚渫工の提案がなされました(図8)。
 これらの対策工は順次施工され、周辺の集落は少しずつ安全な地域となって行くと思われます。しかし、2006年、09年、13年、14年、18年と噴火は繰り返され、噴火後の豪雨によるラハールの発生、河川流路からの氾濫、流路の変更などが度々起こりました。
 特に、2007年11月30日には、マヨン火山周辺を台風ドリアンが襲撃し、州都レガスピ市など山麓一帯で死者・行方不明者1300名を超える大災害が発生しました(光永,2015)。2007年の災害は、台風による総降水量470mm(9:00〜20:00)、最大時間降水量136mm(14:00〜15:00)の豪雨により発生しました。固結度が低い過去のラハール(泥流)や火砕流堆積物からなる山腹で、河道が幅30〜50m程度、深さ5〜10m程度で激しく侵食されました。一部では新たなガリーが形成され、中下流部で堆積と氾濫が生じました。堆積物の大部分は細粒土砂でしたが、3m程度の巨礫が2m近い厚さで堆積し、ブロック造りの家屋の壁が完全に破壊されている箇所も見られました。
 日本からは直ぐさま12月11〜14日に綱木亮介氏を団長とする調査団が派遣されました。FCSEC(治水砂防技術センター)職員と合同で被災地の調査が行われ、DPWH(公共事業道路省)のボノワン長官へ、①防災関係機関への連携強化、②ハザードマップの更新、③降雨情報収集体制強化と降雨情報の有効活用、④導流堤や安全な避難場所の整備等緊急対応の実施、⑤今回の現象を踏まえた砂防計画の更新、を内容とする提言が行われました。
 マヨン火山では、これまでに砂防堰堤、導流堤などの構造物が整備されていました。導流堤が集落を保全している箇所もあり、一定の効果があったものと推察されます。ただし、災害後のインベントリー調査では、砂防堰堤の転倒、破壊、袖部の侵食や護岸の河床低下による破壊なども見られ、維持管理の必要性が感じられました。
註)渡辺正幸様から以下のコメントを頂きました。
 “維持管理の必要性”とはいえ,途上国では維持管理という業務が,災害で被害が発生しないかぎり発生しないという現実がある。無の状態を有の状態にする建設工事は(ワイロの機会でもあるので)業務とみなされるが,完成後の構造物の形状と機能ならびに構造物が設置されている環境の変化を観察するモニタリング作業は業務とみなされていないので,業務命令も出されず,自発的に行おうとしても旅費も日当も支給されない。機能不全になったり損傷すれば作り替えれば良いという考えで行政が動く。


引用・参考文献一覧
井上公夫(2002):マヨン火山の2000年噴火と警戒・避難対策,シリーズハザードマップ,測量,2002 年6号,p.51-45.
井上公夫(2004):マヨン火山,伊藤和明監修・荒牧重雄・勝井義雄・中川光弘・井口正人・井上公夫・小 山真人・池谷浩:世界の富士山,山海堂,p.26-29.
井上公夫(2005):マヨン火山の2000年噴火と警戒・避難対策,ハザードマップ編集委員会監修:ハザー ドマップ―その作成と利用―,社団法人日本測量協会,p.129-134.
井上公夫(2006):マヨン火山の2000年噴火と警戒・避難対策,建設技術者のための土砂災害の地形判読 実例問題 中・上級編,古今書院,p.122-125.
Ono H. (1995): Sabo Works : Challenge and Response., JICA,128p.
小川裕治(1992):5.2.3 フィリピン,砂防学会監修:砂防学講座,10巻,世界の砂防,p.145-156.
岡田弘代表(1993):1993年フィリピン・マヨン火山の噴火と災害の調査研究,平成4年度文部省科学研究費補助金(No.04306927)研究成果報告書,128p.
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国際協力事業団(2000):フィリピン国マヨン火山地域総合防災計画調査報告書,日本工営(株)・(株)コーエイ総合研究所
国際砂防協会(2015):1.3 Mt. Mayon (No.33),ピナツボ火山の噴火と復旧・復興の25年−砂防技術協力の経緯−,一般社団法人国際砂防協会,p.6-12.
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酒谷幸彦・高柳則男・井上公夫(2000):マヨン火山の2000年噴火と警戒・避難対策,平成12年度砂防学会研究発表会概要集,p.284-285.
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