1. はじめに
図1に示したように、阿武隈川水系の福島市街地に流入する荒川・松川・須川流域の上流部には、吾妻火山や安達太良火山などの活火山が存在し、荒廃した地域が多く、何回も土砂災害を受けてきました。このため、明治33年(1900)に荒川流域で砂防事業が開始され、国土交通省東北地方整備局 福島河川国道事務所(当時は建設省福島工事事務所)では、昭和11年(1936)に荒川流域を、昭和25年(1950)に松川流域を、昭和52年(1977)に須川流域を直轄砂防区域に編入し、直轄砂防事業を実施しています。
図1 福島盆地周辺の概要図(1/20万「福島」図幅)
図2 吾妻山山系砂防流域図(国土交通省東北地方整備局福島工事務所資料)
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図3 阿武隈川水系直轄砂防流域の地形概念図(建設省東北地方建設局福島工事務所資料)
図2は吾妻山山系砂防流域図(建設省東北地方建設局福島工事事務所資料)で、これらの流域ではかなり多くの砂防施設が建設され、砂防事業の効果が現れています。図3は阿武隈川水系直轄砂防流域の地形概念図(同上)で、福島盆地と幾つもの火山体が存在する吾妻火山群と、そこから流出する荒川・松川・須川などの地形概要が良く判ります。
日本工営株式会社では、平成4年(1992)〜平成7年(1995)に建設省福島工事事務所のご依頼により、降雨対応火山砂防計画検討のために、生産土砂量基礎調査を実施しました(建設省福島工事事務所,1993,94,96;井上ほか,1995;Sawada, et al., 1995;井上,2006)。私はこれらの業務の主任技術者を務めました。本調査では、昭和22年(1947)以降、8時期(1957,1963,1966,1982,1983,1986,1989年)の空中写真を入手し、1/2.5万地形分類図を作成するとともに、崩壊地(地すべり地)や土地利用の変化を調べました。図4は、国土地理院の数値地図(50mメッシュ)をもとに作成した鳥瞰図で、福島盆地上空から吾妻火山方向を見た図です。俯角は30度下向きで、高さ方向を2倍に強調してあります。図5、図7〜図10は、東北学院大学の宮城豊彦教授の指導を受けながら、上記の写真を判読し、現地調査結果を加味して作成した地形分類図です。
本コラムでは、福島盆地周辺の地形分類図や鳥かん図などをもとに、当地域の地形・地質特性と土砂災害履歴の特徴を説明したいと思います。
図4 福島盆地上空から西側山地を見た鳥瞰図(建設省福島工事事務所,1993;Sawada, et al., 1995)
2. 福島盆地周辺の地形特性
図1、図3、図4に示したように、阿武隈川上流の荒川、松川、須川流域は、東北地方の南部に位置し、山地部は福島県北部の福島市と山形県南部の米沢市にまたがる吾妻火山群で、福島市を中心とする福島盆地の南西部に位置します。各河川の水源地にあたる吾妻火山群は、東北地方の中央を南北方向に走る火山帯に属し、火山帯の中でも有数の火山で、中央部には1800〜2000m級の山峰が林立し、極めて複雑な形態を示しています。
図5は地形分類図の全体図(建設省福島工事事務所,1993)で、1/2.5万地形図の栗子山、福島北部、福島南部、板谷、土湯温泉、安達太良山、天元台、吾妻山、中ノ沢図幅を貼り合せて、A0判のカラー図として作成しました。図6は地形分類図の凡例で、宮城豊彦教授のご指導で地すべり地形の分類をできるだけ詳細に行いました。図7〜10は、①吾妻火山周辺、②荒川流域、③松川流域、④須川流域の拡大図で、その範囲は図5に
赤枠線で示してあります。
2.1 吾妻火山の地形特性
気象庁(2005)によれば、吾妻火山は山形・福島県境にある多数の成層火山や単成火山などからなる火山群です。噴出物は玄武岩〜安山岩(SiO2 52〜65%)で、西吾妻火山(標高2035m)、中吾妻火山(1931m)、東吾妻火山(1975m)に分けられます。噴出中心は東南東〜西北西に走る南北の2列に大別されます。年代測定値と地形の新鮮さの程度から、全体として南列より北列が新しく、それぞれの列では西より東の方が新しくなっています。
図5 吾妻火山と福島盆地の地形分類図(建設省福島工事事務所,1993)に追記
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図6 吾妻火山と福島盆地の地形分類図の凡例(建設省福島工事事務所,1993)
このため、南列の火山は侵食が進んでいます。北列の多くは山頂火口をもち、東部の一切経山(1949m)付近には、五色沼、大穴、桶沼、吾妻小富士(1707m)など、新しい火砕丘や火口が形成されています。有史後の噴火は、一切経山(成層火山)の爆発で、現在その南〜東斜面には硫気地域が広く分布しています。大規模な山体崩壊により、東方に開口する径2kmの馬蹄形カルデラが形成されました(10万〜28万年前)。さらにその後の噴火活動で、カルデラ内に吾妻小富士や桶沼が形成されました。きれいな円錐形をした吾妻小富士は、5000〜6000年前に形成されたと考えられています(藤縄・鴨志田,1999)。その後の火山活動は、水蒸気爆発ないしマグマ性爆発が主体となっています。
図4の鳥瞰図と図5、図7の①吾妻火山周辺によれば、火山活動と直接関連した吾妻火山の火口、爆裂火口、寄生火山、溶岩流堆積面、泥流堆積面などが明瞭に識別できます。立体視写真1は、米軍が1947年9月7日に撮影したM485-110〜112(元縮尺1/43971)を立体視できるように加工したものです(写真の範囲は図5に青線で示しました)。吾妻火山は現在でも火山活動が続いている活火山で、磐梯・吾妻スカイラインで周遊すると、そのことが良く判ります。吾妻火山周辺では、水系網の発達が悪く、新期の火山噴出物に覆われ、滑らかな地形起伏になっています。溶岩流堆積面や泥流堆積面は非常に新鮮で、流出後の河川侵食をほとんど受けていないことが判ります。
吾妻火山は、東吾妻山・一切経山・吾妻小富士などの火山体から構成されています(気象庁,2005)。一切経山の活動は30万年前から開始されました。10万〜28万年前に浄土平を火口底とする山体崩壊で東方に開口する径2kmの馬蹄形爆発カルデラが形成されました。
図7 吾妻火山と福島盆地の地形分類図拡大図@(吾妻火山周辺)に追記
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立体視写真1 吾妻火山周辺の立体視写真(米軍1947年9月7日撮影 M485-110~112)
最近1万年間の火山活動で、吾妻小富士がカルデラ内に形成されました。吾妻小富士からは
東麓に大量の溶岩が流出し、明瞭な溶岩流の流下痕跡が図5、図7の地形分類図や写真1から判読できます。最近の火山活動は、水蒸気爆発やマグマ性爆発が主体で、明治26年(1893)5月19日には火口付近を調査中の2名が殉職しています。
吾妻山火山防災連絡会議監修の「吾妻山火山防災マップ」(全体版)が平成14年(2002)2月に発行されています(福島市役所生活防災課・猪苗代町役場総務課・北塩原村役場総務課発行)。平成26年(2014)8月に改訂され、関係市町村(福島市・猪苗代町・北塩原村、米沢市)において全戸配布されています。
2.2 荒川流域(流路延長26.6km,流域面積178.1km2,砂防基準点上流13.6km,64.2km2)
図5や図8の②荒川流域に示したように、荒川は東吾妻山(標高1975m)、一切経山(1949m)、鉄山(1709m)などの山々を水源とし、火山群からの溶岩による高原状丘陵地帯を深く侵食しながら東南東方向に流下しています。立体視写真2は、国土地理院が1975年10月6日に撮影したCTO-75-29,C43-4〜6(元縮尺1/8000)を立体視写真としたものです。写真3は、国土地理院が1975年11月4日に撮影したCTO-75-29,C44-1〜3(元縮尺1/8000)を立体視写真としたものです。写真2、3の範囲は図8に青線で示しました。土湯温泉付近で東北東方向に流れを変え、西鴉川、産ヶ沢、塩の川などと合流しています。流路延長
、流域面積の数値は、国土交通省東北地方整備局福島河川国道事務所(2017)から転載しました。土砂流出が極めて活発なため、下流では荒川扇状地を形成しながら、須川合流後、福島市街地の南部で阿武隈川に合流しています。調査地域はグリーンタフ地域の一部にあたっており、新第三系が基盤をなし、緑色凝灰岩層がよく発達しています。これらの基盤を覆う吾妻火山と安達太良火山の噴出物によって構成されています。流域には多くの温泉が湧出しており、温泉変質作用も激しいため、荒川の河谷は荒廃し、多量の土砂生産源となっています。
図8 吾妻火山と福島盆地の地形分類図拡大図②(荒川流域)<拡大表示>
荒川は河床勾配が急で、川幅もそれほど広くない山地河川であり、開析のあまり進んでいない幼年地形を呈しています。上流域は吾妻火山の火山地形であり、中流域は深い峡谷を形成して、山腹崩壊・地すべりが多く発生し、大量の土砂生産源となっています。中流域の谷底に「土湯温泉」の温泉街があります。1532年前の用明天皇二年(587)に、聖徳太子の使者・
秦河勝がこの地で湯治を行ったという伝説も残る古い温泉地です。
立体視写真2 荒川上流の立体視写真(国土地理院1975年10月6日撮影 CTO-75-29,C43-4〜6)
立体視写真3 荒川上流の立体視写真(国土地理院1975年11月4日撮影 CTO-75-29,C44-1〜3)
この付近は吾妻火山、安達太良火山の山麓部にあたり、火山噴出物や溶岩による台地状の緩斜面を形成していますが、斜面下部には大規模な地すべり地形が多く存在します。
このため、上流部からの土砂流出によって、温泉街は何回も土砂災害を受けてきました。
2.3 松川流域(流路延長20.1km,流域面積91.2km2,砂防基準点上流15.5km,83.8km2)
図5や図9の③松川流域に示したように、松川は東大嶺(標高1928m)などを水源とし、最初北東方向に流れて、米沢市板谷でJR奥羽本線沿いに東流して福島盆地北部に流下しています。福島市安養寺付近で山地部から出て細長い松川扇状地を流下し、福島市街地北部で阿武隈川に合流しています。
松川流域の山地地域は、吾妻火山からの火山噴出物が広く分布する上流域と新第三系の堆積岩類、花崗岩類が主として分布する中流域に区分できます。上流域では、吾妻火山山麓を深く刻むV字谷からなる火山性侵食地形を呈し、中流域は主に新第三系の凝灰岩・溶結凝灰岩が分布し、下流の赤岩(JR奥羽本線の赤岩駅)から安養寺堰堤までの狭窄部は花崗閃緑岩や結晶片岩が分布しています。この地域は比較的安定しており、山腹崩壊や渓岸崩壊は少ないのですが、凝灰岩や花崗閃緑岩は風化作用が進んでいます。
松川流域は、80%が山地地域であり、残りの20%が扇状地や沖積低地となっています。山地地域は最上流部が火山性侵食地形、中・下流部が新第三紀系(堆積岩類)からなる比較的なだらかな山地を形成しています。流域内には温泉も多く、温泉変質による温泉地すべりが各所に認められます。
図9の北西部には、非常に新鮮で巨大な地すべり地形が存在します。立体視写真4は、国土地理院が1976年10月23日に撮影したCTO-76-23,C12-17〜19(元縮尺1/15000)を立体視できるように加工したものです(写真の範囲は図9に示しました)。この地すべりは現在でも少しずつ、地すべり変動が継続しており、急激な地すべり変動が発生した場合には、松川が河道閉塞され、天然ダムが形成される可能性があると想定され、充分な監視(地すべり地の中央部を林道が通っている)が必要と考えられます。
図9 吾妻火山と福島盆地の地形分類図拡大図B(松川流域)<拡大表示>
立体視写真4 松川上流の立体視写真(国土地理院1976年10月23日撮影 CTO-76-23,C12-17〜18)
2.4 須川流域(流路延長16.9km,流域面積97.8km2,砂防基準点と同じ)
図5や図10の④須川流域に示したように、須川は一切経山(1949m)、吾妻小富士(1707m)などを源とし、ほぼ東方に流れ、微温湯、高湯などの温泉が点在する急渓流部を通過し、鍛冶屋川、白津川、天戸川と合流し、下流部で扇状地を形成しながら荒川に合流し、福島市街地の南部で阿武隈川に合流しています。流域は、下流1/3が扇状地で、上流2/3が起伏の多い山地となっています。
須川流域の基盤は新第三系のグリーンタフ地域で緑色凝灰岩がよく発達しています。この時期に噴出した流紋岩、安山岩やこの火山活動により形成された凝灰岩類が多く認められます。これらの新第三系を広く覆っているのが、第四紀火山噴出物の安山岩溶岩、火山砕屑物です。所々で温泉変質作用や風化を受けて、もろくなっており、大規模な地すべり地形が認められます。また、渓岸の屈曲部で攻撃斜面となっている箇所では、渓岸侵食を受けやすく、多くの崩壊や地すべりが認められます。
立体視写真5は、米軍が1947年4月12日に撮影したM206-163〜165(元縮尺1/43262)を立体視できるように加工したものです(写真の範囲は図5に青線で示しました)。立体視写真6は、国土地理院が1975年9月25日に撮影したCTO-76-29,C8-10〜12(元縮尺1/10000)を立体視できるように加工したものです(写真の範囲は図10に示しました)。
図10 吾妻火山と福島盆地の地形分類図拡大図C(須川流域)<拡大表示>
立体視写真5 福島盆地西縁の立体視写真(米軍1947年4月12日撮影 M206-163~165)
立体視写真6 の立体視写真(国土地理院1976年9月25日撮影 CTO-76-29,C8-10〜12)
図11 天戸川下流域の1mコンターのLP等高線図(国土交通省福島河川事務所提供)
(青枠線は、立体視写真6の範囲)
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図10などの地形分類図では、堆積地形を土石流扇状地、顕著な埋積谷床、崖錐、沖積錐、扇状地などに分類して表示しました。扇状地は、福島盆地に面した出口などに重なり合うように形成されており、繰り返し発生した洪水時に上流域から砂礫を運搬・堆積した地形です(立体視写真5,6)。扇状地の地形を判読すると、著しい土砂流出で形成された舌状の高まり(土石流堆)が認められます。3項で説明するように、福島盆地の断層運動(地震と活断層)と吾妻火山の火山活動の繰り返しによって、これらの複合扇状地が形成されました。図11は、天戸川下流域の1mコンターのLP等高線図(国土交通省福島河川国道事務所提供)で、青枠線は立体視写真6の範囲を示しています。図10に示したように、天戸川の北側には、蒲鉾状の大規模な岩屑なだれ堆積物(黄色に塗色)の地形があり、多くの小丘を持つ堆積地形が存在します。「黄金坂」という地名のある北北東−南南西に走る40〜50mの落差を持つ断層崖がこの岩屑なだれ堆積物を切るように形成されています。黄金坂から割石までの堆積地形は大規模な山体崩壊によって流出・堆積した流れ山地形と考えられます。それが、数千年おきに繰り返される断層運動によって、40〜50mにも達する落差ができたと考えられます。この大規模崩壊の発生地点はどこでしょうか。詳しくはわかりませんが、崩壊地形は新しい吾妻火山の堆積物によって埋まっているようです。
断層崖の東側には岩屑なだれ堆積物からなる泥流丘が形成され、「割石」という地名が示すように、巨大な転石が多く認められます。
立体視写真6の右端にある丘には「愛宕神社」が祀られています。昭和51年(1976)に撮影された立体視写真6では愛宕神社の東側に「福島市立庭坂小学校」があります。『庭坂小学校100年のあゆみ』という記念誌によれば、庭坂小学校は明治6(1873)に庭坂佐々木木野小学校として開校しました。明治36年(1903)に愛宕神社東側に移転したのち、統廃合、敷地内増改築しながら存続したのち、昭和58年(1983)に愛宕神社の西側の現在地に移転しました。
写真1 庭坂の愛宕神社(2019年5月,井上撮影)
図11の東端にはJR庭坂駅がありますが、明治32年(1899)5月15日に福島−米沢間の開通とともに開業しました。奥羽本線は庭坂駅を過ぎると、松川の谷部を通過するため大きく西側に迂回しながら、徐々に高度を上げて行きます。山形新幹線も同じルートを改良して建設されまし
た(平成4年(1992)7月1日開業)。山形新幹線の車窓から見ると、庭坂駅付近で多くの流れ山地形が認められますが、庭坂駅を過ぎると泥流丘を通過する部分は切土区間となり、泥流丘を過ぎると高盛土で低地部を通過し、断層崖に沿って高度を上げながら、松川谷に入って行きます。
図10をみると、岩屑なだれ堆積物と天戸川との間には黄緑色に塗色した堆積地形があります。この堆積地形は天戸川上流まで追跡できますが、崩壊の発生源は現在の吾妻火山群の堆積物に覆われて分りません。この堆積物も低落差の活断層によって段差がついています。天戸川上流からの土砂流出は極めて活発なため、天戸川の流路は南側に押しやられています。
写真2 庭坂駅を過ぎて高盛土区間を通過する山形新幹線(2019年5月,井上撮影)
3. 福島盆地の断層地形
地震調査研究推進本部(2005)によれば、福島盆地西縁断層帯は、福島盆地の西縁部に位置する活断層帯です。福島盆地西縁断層帯は、宮城県
刈田郡蔵王町から同県白石市を経て福島県福島市西部に至る断層です。長さは約57kmで、北東−南西方向に延びており、断層の北西側が相対的に隆起する逆断層です(新屋,1984)。
福島盆地西縁断層帯の平均的な上下方向のずれの速度は、約0.7〜0.9m/1000年の可能性があります。最新活動時期は、約2200年前以後、3世紀以前と推定され、平均活動間隔は、8000年程度であった可能性があります。また、活動時には、断層の北西側が南東側に対して相対的に4.0〜5.0m隆起したと推定されています。
将来の地震発生の可能性は、以下のように推定されています。
地震の規模 : M7.8程度
地震発生確率: 30年以内に、ほぼ0%(地震発生確率値の留意点)
地震後経過率: 0.2−0.3(地震後経過率=最新活動時期/平均活動間隔)
平均活動間隔: 8000年程度
最新活動時期: 約2200年前以後−西暦3世紀以前
立体視写真5と6に示したように、福島盆地西縁には顕著な断層地形が多く存在します。これらは福島西縁断層と呼ばれ、この付近に発達する扇状地面や段丘面の変位から、2.5m/
1000年の変位速度を持つ活断層と考えられます(活断層研究会,1991)。福島盆地西縁断層の歴史時代における活動記録は知られていませんが、享保十六年(1731)の桑折・白石付近を震源とする地震(M7.1)や慶長十六年(1611)の会津盆地西部を震源とする地震(M6.9)などが発生しています。今後、福島盆地西縁断層に沿った地震が発生する可能性が高いので、地震防災上は活断層の分布範囲と活動特性を正確に把握していく必要があります。
新屋(1984)は、白石−福島活断層系の断層変位地形と最新活動期の推定を行っています。
図12は松川・天戸川下流の大笹生・町庭坂の断層変位地形で、図13は天戸川・須川・白津川・荒川下流の佐原周辺の断層変位地形を示しています。図12に示したように、庭坂断層群は、福島盆地西縁の大笹生から町庭坂に至る10kmの区間をほぼ並行する⑯・⑰の断層により構成されています。断層線の走向はNE−SWで、庭坂断層群の活動により形成された断層崖は、松川左岸の安養寺、天戸川左岸の町庭坂で極めて明瞭です。特に、図10で示したように、天戸川左岸には黄色で塗色した扇状地(古期泥流堆積物)が存在し、黄金坂と呼ばれる落差40〜50mの明瞭な断層崖Pで切られています(立体視写真6)。この付近の低位段丘面で採取した泥炭などの14C年代測定では、1万〜2万年前の測定値が得られており、⑰断層の再活動時期は、2万年前から1万年前までと推定されます。
図13に示したように、佐原断層群は、天戸川谷口から南方向に延び、荒川の谷口に至る10km区間で、平行・雁行する4本の断層線(⑱〜㉑)で構成されています。その中でも、⑲断層に伴う低位断層崖は最も明瞭で、須川左岸の姥堂から桜本、白津を経て佐原まで5km続いています。姥堂付近では低位面に変位が認められるが、下盤側の扇状地には変位は認められません。白津川右岸の男浪付近では、低位面が15m変位しています。
図12 松川・天戸川下流の大笹生・町庭坂の
断層変位地形
図13 天戸川・須川・白津川・荒川下流の佐原周辺の
断層変位地形
新屋(1984)
4.崩壊地形と地すべり地形
崩壊地形は、主要な土砂の発生源として、砂防計画上非常に重要視されています。本調査地域では、新期火山群の上部斜面と荒川や松川の上流部の谷壁斜面に多く発生しています。中〜小規模崩壊地は表層崩壊が多く、大規模な崩壊地は風化のあまり進んでいない基岩層まで達する場合があります。
荒川流域には、長さ・幅が1kmにも達するような大規模地すべり地形が連続して認められます(立体視写真3)。地すべり地形は、運動域と非運動域を区切る明瞭な地形境界として、滑落崖を形成することが一般的です。これは、本地域のような新第三系を基盤とした火山地帯ではとりわけ顕著な特徴です。図5、図7〜10では、主滑落崖とその前方に移動・堆積した移動土塊を識別して図示しました。移動域は、移動の形式や物質構成を反映した形態を呈します。図6の凡例に示したように、移動域内の微地形や形態の判読に努めました(宮城,1990;地すべり学会東北支部,1992)。
地すべり地形は、地すべり変動発生直後から様々な侵食・開析の対象となり、時間の経過とともに当初の明瞭な形態を失っていきます。しかし、主滑落崖はその一部が開析されてなくなっていても、断片的に残っていれば、それらを繋いで復元することができます。いくつもの地すべり地形が重なっている地区がありますが、地すべり変動の前後関係を写真判読で読み取ることができました。
荒川の河谷に面した地すべり移動体の末端部は急傾斜で、多くの大規模な崩壊地形が存在します。崩壊現象は現在のような湿潤温帯の気候条件下では、斜面の移動プロセスの中でも非常に重要です。その発生頻度は斜面の勾配と曲性(凹・凸・直線など)に対応すると考えられます。斜面の横断形でみると、崩壊地の頭部を結んだ線は下方に急になる傾斜の遷急点を連ねた線となっており、遷急線と呼ばれています(鈴木,1997)。河床から遷急線に囲まれた谷壁斜面は崩壊の頻発する斜面です。その幅の狭広は崩壊頻発の大小を意味し、過去の土砂生産量の相対的な量を推察する指標となります。図7〜10では、緑線で示した新旧2つの遷急線が認められます。明瞭な下側の遷急線は、1万年前頃に形成された後期開析前線と想定されます(貝塚,1969)。
5.既往の災害履歴−特に天明七年(1787)の土湯温泉災害
上記のような地形・地質条件から、福島盆地や荒川・松川流域では、繰り返し土砂災害が発生していました。史料調査やヒアリング調査で、既往災害の履歴を明らかにしました(建設省東北地方建設局福島工事事務所,1994)。土湯温泉や姥湯・滑川温泉などの温泉地は変質作用が進んでいるため、土砂災害を受けやすい地区に立地しています。17世紀以降でも、幾度となく土砂災害を受けてきたことが判ります。
土湯温泉街地区自治新興協議会(2008)によれば、天明七年六月(1787年7月)には、荒川上流・土湯村の「油畑」地区で、鳥谷場山の御林の山崩れが発生し、家32軒・泉源2箇所が土中に埋まり、死者22人・怪我人30人余を出す大惨事が起こりました。
このため、寛政六年(1794)までは湯谷敷年貢全免となり、翌七、八年は増永三分を免じて五百二十五文上納となったと記されています。
写真3 鳥谷場山崩れ供養の碑 天明七年(1787)(2019年4月,井上撮影)
図14 土湯温泉付近の1/2.5万地形図(「土湯温泉」図幅,1973年測量,2011年更新)
右下図:1/5万の旧版地形図(「福嶋」,1908年測図),右中図:登録文化財の砂防堰堤
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図15 土湯村々絵図
(天明七年以前の原図に山崩れの状況を挿入)
(土湯温泉街地区自治新興協議会,2008)
(東城源次郎編(1960)「信夫郡土湯近世文書」)
図16 土湯温泉周辺のLP図
(国土交通省福島河川国道事務所提供)
興徳寺横の土湯太子堂に登る参道階段付近には、天明七年に建てられた「鳥谷場山崩れ供養碑」が建立されています(写真3)。
多くの人別帳をもとに作成された「人口増減表」(東城源次郎編「信夫郡土湯近世文書」)によれば、正徳三年(1713)の64戸322人から明和二年(1765)の91戸461人と人口が増加しています。しかし、天明三年(1783)の大凶作と天明七年(1787)と鳥谷場山崩れによって、59戸295人と人口は急減しました。
上記の鳥谷場山崩れと32軒(泉源2箇所)はどの位置だったのでしょうか。2019年4月30日に土湯温泉山根屋旅館に泊まった際に、山根屋旅館会長の渡辺久様と女将の渡辺啓子様、NPO法人土湯温泉観光協会の常務理事・事務局長の池田和也様に色々お聞きしました。供養碑の位置を教えて頂くとともに、色々な資料・本を教えて頂きました。
図14は、土湯温泉付近の1/2.5万地形図(「土湯温泉」図幅,1973年測量,2011年更新)で、右下図はほぼ同じ範囲の1/5万の旧版地形図(「福嶋」図幅,1908年測図)です。右中段の図は福島河川国道事務所の「吾妻山山系の砂防事業」のパンフレットから「登録有形文化財に選ばれた砂防堰堤」の図を挿入しました。図14の図と図8や立体視写真2と比較すると土湯温泉街と荒川流域の河川地形との関係が判ると思います。
図15は、土湯村々絵図(天明七年以前の原図に山崩れの状況を挿入;元図は東城源次郎編(1960):『信夫郡土湯近世文書』)で、天明七年以前の状況を示しています。温泉街の荒川対岸には、2ヶ所の大規模な崩壊地形が示されています。図16は、国土交通省福島河川国道事務所から提供して頂いた1mコンターのLP図で、崩壊地形の状況が良く判ります。現地調査の結果によれば、この崩壊地形の上流側のブロックを通る林道を変形させていることが判りました。図15をみると、この崩壊地の下部斜面の対岸に土湯温泉の市街地があり、天明七年(1787)の大規模崩壊で家32軒・泉源2・死者22人の大惨事となりました。
明治43年(1910)、大正2年(1913)にも大洪水がありました。昭和13年(1938)には、吾妻山地に4日間連続雨量で300〜400mmの降雨があり、荒川流域だけでなく、松川・須川流域でも大きな土砂災害が発生しました。人的被害は少なかったものの、狭い谷底に位置する土湯温泉街は、上流からの土砂流出によって大きな被害を受けました。荒川中流では、災害時までに2基の砂防堰堤(計画貯砂量9.8万m3)が完成しており、14万m3の土砂を捕捉できました。これらの砂防堰堤が建設されていなければ、土湯温泉や荒川下流の福島盆地はさらに大きな被害を受けたと想定されます。
写真4 川上第1堰堤(堤高9m,堤長70m)
(昭和21年(1946)5月31日完成)
写真5 ふくしま荒川ミュージアム・荒川土木遺産
(2019年4月,井上撮影)
写真4に示した川上第1堰堤(堤高9m、堤長70m昭和21年(1946)5月31日完成)などは、平成19年(2007)10月19日に土木学会推奨土木遺産、平成20年(2008)3月19日に登録有形文化財・に指定されました(写真5)。
本コラムをまとめるにあたって、種々の資料を提供して頂いた国土交通省東北地方整備局福島河川国道事務所、福島県立図書館、土湯温泉の関係者に御礼申し上げます。
引用・参考文献
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