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 シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く
 コラム64 群馬県北東部尾瀬沼南東部の巨大地すべり地形
1. はじめに
 今回のコラムの場所は私にとって大変思い出深い現場です。そして、社会人または技術者として最初の一歩として2年間(7月〜11月)を過ごした地すべり調査の経験は貴重な財産となっています。さらに、もう一つ忘れられない出来事が重なっています。
 それは、これから説明する尾瀬沼南東部の巨大地すべり調査を終了して、東京に帰る途中の昭和46年(1971)11月11日15時頃、車内のラジオで「川崎ローム斜面崩壊実験事故」のニュースを聞いたからです(コラム43参照)。
 この崩壊実験では、報道関係者を含め15名が死亡しました。取りまとめ役だった防災科学技術センターの地表変動防災研究室長の大石道夫氏も重傷を負われました。東京都立大学理学部地理学科の学生時代に当時東銀座にあった防災科学技術センターで写真判読関係のアルバイトを大石氏の下で行っていました。このため、崩壊実験事故の現場である川崎市生田緑地の現場には弾性波探査などの手伝いで何度か通いました。もし、日本工営鰍ノ入社せず、大学院に進学していたら、崩壊実験の当日は確実に現場にいたことでしょう。この崩壊実験事故もあったため、尾瀬沼南東部の巨大地すべり地は今でも忘れることのできない現場となっています。
 群馬県北東部尾瀬沼南東部の巨大地すべり地は、群馬県林務部沼田林業事務所の発注の復旧治山事業の地すべり調査で、昭和46〜47年(1971〜1972)7月〜11月に片品村戸倉の旅館から大清水を経由して、林道を40分かけて通っていました。その現場に、令和元年(2019)7月27日(土)〜29日(月)と11月1日(金)〜2日(土)の2回、48年ぶりに有志で現地調査を行いました。
 群馬県森林環境部森林保全課から当時の報告書と国土交通省関東地方整備局 利根川水系砂防事務所から赤色立体地図のDEMデータを借用しました。潟vライムプランの足立勝治氏は、詳細赤色立体地図の作成と米軍・国・群馬県撮影の数時期の航空写真をもとに、地すべり地形の比較判読を行いました。詳細は今後、日本応用地質学会で公表される予定です。
 これらの資料を持って現地調査を行いました。本コラムでは昭和46〜47年度の調査結果と2回の現地調査の結果をもとに、巨大地すべり地形について説明します。防災科学技術研究所の佐藤昌人氏は、ドローンによる空撮を3箇所で行いました。

2.大清水-沼山峠間の自動車道建設問題
 昭和46年(1971)当時、大清水から沼山峠に抜ける自動車道建設工事が進捗中で、地元はかなりもめていました。大清水(標高1190m)から一ノ瀬(標高1420m)まで工事が進んでいましたが、石清水の湧水が枯れるなど、様々な問題が発生していました。
 以下に、平野(1972)『尾瀬に死す』より、簡単にこの問題の経緯を記します。
明治22年(1889):桧枝岐村の平野長蔵(当時19歳)、仲間と燧ケ岳に登頂する。
明治23年(1890):平野長蔵(当時20歳)、尾瀬の沼尻に小屋を建てる。
大正4年  (1915):沼尻より現在地の尾瀬沼東岸に移築し、山小屋営業を開始する。
昭和9年  (1934):日光国立公園に指定される。
昭和13年(1938)5月13日:特別地域に決定される。
昭和15年(1940)1月1日:公園利用計画の一部として、旧沼田街道を県道沼田・田島線の名で車道化することが計画される。
昭和24年(1949)10月15日:一部計画の追加決定。上記の道路は主要地方道大清水七入線として確認される(大清水〜三平峠〜尾瀬沼〜沼山峠〜七入)。
昭和28年(1953)12月22日:尾瀬地域は特別保護地区に決定される。
昭和33年(1958)春:厚生省は日光国立公園尾瀬管理事務所を開設する。
昭和35年(1960)3月25日:特別天然記念物に指定される。
昭和41年(1966)後半:大清水から奥の拡幅工事始まる。
昭和42年(1967)12月5日:日光国立公園尾瀬地区の公園計画(尾瀬を守る計画)が決定される。昭和24年の計画路線を特別保護地区界沿いに迂回するルートに変更される。
昭和45年(1970)8月25日:柳沢〜三平峠間の自動車道着工を厚生大臣が承認した。
昭和45年(1970)12月:柳沢〜一ノ瀬間の建設工事がほぼ完了した。
昭和46年(1971)春:一ノ瀬〜石清水間の建設工事が着工される。
昭和46年(1971)6月20日:三平峠手前の石清水がつぶれる。
昭和46年(1971)7月1日:環境庁(自然保護局を含む)が開設(初代長官・大石武一)される。
昭和46年(1971)7月19日:「尾瀬の自然を守る会」結成の準備会ができる。
昭和46年(1971)7月21日:平野は大石武一長官に面会し、「尾瀬の現状を直接見て下さい」と陳情する。
昭和46年(1971)7月22日:大石長官「現地を視察し計画を再検討したい」と語る。
昭和46年(1971)7月30日〜8月1日:大石長官、尾瀬を視察し、三平道路の中止または路線変更の意向を表明する。
昭和46年(1971)8月2日:守る会発会へのアピールを発送した。道路建設反対の署名活動がはじまる。
昭和46年(1971)8月18日:環境庁が群馬・福島・新潟県知事に、47年度以降の工事の中止と46年度分の遊歩道化への協力を求める。
昭和46年(1971)8月19日:神田群馬県知事「工事中止と路線変更を検討する」と語る。
昭和46年(1971)8月21日:尾瀬の自然を守る会発会する(署名はこれまでに1万)。
昭和46年(1971)8月22日:平野長靖、東京新聞に「なぜ車道に反対するか」を投稿し、掲載される。
昭和46年(1971)8月23日:平野長靖、大石武一長官に書簡を送る。
昭和46年(1971)12月1日:平野長靖、冬籠りの支度に区切りをつけて、山麓・戸倉の家族の元へ帰る途中、猛吹雪に遭い、石清水付近でビバーク中に遭難死する。


3.尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の特性
 図1は,国土地理院昭和53年(1978)編集,昭和54年1月発行の5万分1集成図「尾瀬」の一部です。北西部から至仏山・尾瀬ヶ原・燧ケ岳・尾瀬沼が並んでいます。尾瀬戸倉は群馬県側の最後の集落で、尾瀬ヶ原にはそこから鳩待峠まで車で行き、下って行く人が多く、尾瀬沼へは尾瀬戸倉から大清水まで車で行き、三平峠経由で入る人が多いようです。北東部に沼山峠があり、福島県側の自動車道(国道382号)は沼山峠まで開通していました。2項で述べた自動車道建設問題は、大清水−三平峠−沼山峠間の道路建設と環境(完成後の観光客増加問題を含む)に関する問題でした。
図1 昭和33年(1958)9月26日0時の天気図  図2 台風22号による被害調査(9月30日現在) (気象庁,1964年12月:『狩野川台風調査報告』,気象庁技術報告,37号)
図1 1/5万集成図「尾瀬」(昭和53年(1978)編集),赤丸が調査地の巨大地すべり地形
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図2 防災科学技術研究所:立体地すべり地形分布図「燧ケ岳」「藤原」図幅 多くの巨大地すべり地形が存在する(赤丸が調査地の巨大地すべり地形)
図2 防災科学技術研究所:立体地すべり地形分布図「燧ケ岳」「藤原」図幅
多くの巨大地すべり地形が存在する(赤丸が調査地の巨大地すべり地形)

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 図2は、防災科学技術研究所の立体地すべり地形分布図「燧ケ岳」「藤原」図幅で、図の北部に尾瀬ヶ原、尾瀬沼が存在します。赤丸の範囲が調査対象の巨大地すべり地形です。大きさは尾瀬沼とほぼ同じで、南北1.2km、東西1.0kmあり、頭部滑落崖は落差80〜100mで半円形に続いています(大八木,1974)。図2をみると、この地域周辺には調査地域と同様の巨大地すべり地形が多く存在することがわかります。
 図3は,尾瀬沼東南部の巨大地すべり地周辺の赤色立体地図(国土交通省利根川水系砂防事務所提供のDEMデータをもとに足立勝治作成)です。図1と比較するとわかりますが、巨大地すべり地形の西側には、小淵沢田代から小淵沢(ニゴリ沢)、中ノ岐(奥鬼怒林道が通る)を経由して大清水に至る登山道(白点線)があります。巨大地すべり地の東側には、奥只見ダム(高さ157m,総貯水量6.01億m3,電源開発褐嚼ン,1960年完成)から首都圏を結ぶ只見幹線(高圧送電線鉄塔)が建設されています。巨大地すべり地内のNo.130鉄塔は地すべり変動によって、数m移動したと言われており、鉄塔基礎の補強工事が実施されています。小淵沢林道終点の巨大地すべり地の尖端部からNo.130鉄塔を通り、No.129,No.128,No.127,No.126,No.125を通る巡視路があり、白点線で示されています。
図3 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の赤色立体地図(足立勝治作成)(国土交通省利根川水系砂防事務所提供の1mDEM利用)
図3 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の赤色立体地図(足立勝治作成)
(国土交通省利根川水系砂防事務所提供の1mDEM利用)

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 2019年7月27日(土)〜29日(月)の第1回現地調査は、足立勝治(潟vライムプラン)、泉水友裕(潟_イヤコンサルタント)、神谷振一郎・金容喜(渇棊p地理研究所)と井上の5名で行いました。27日15時に上毛高原駅に集合し、レンタカーを借りて尾瀬戸倉まで行き、四季亭で一泊しました。夜は夕食後、シンポジウムを開催し、昭和46,47年(1971,72)の調査時に大変お世話になった松浦旅館の松浦和男氏にも参加して頂き、以下の発表と活発な議論を行いました。
 井上公夫:コラム64 群馬県北東部尾瀬沼東部の巨大地すべり地形を歩く
 足立勝治(潟vライムプラン):山地の応用地形学図(巨大地すべりの地形変化)
 泉水友裕(潟_イヤコンサルタント):表層崩壊に関する研究事例の紹介
 金容喜(渇棊p地理研究所):榛名湖の湖底堆積物に見られるイベント堆積物
 図1に示したように、28日(日)は2班に分かれました。1班は尾瀬戸倉から鳩待峠まで低公害乗り合いタクシー(一般車通行禁止)で行き、尾瀬原経由で尾瀬沼まで徒歩で行きました。2班は尾瀬戸倉から大清水まではレンタカー、大清水から一ノ瀬まで低公害乗り合いタクシーで行き、三平峠経由で尾瀬沼まで徒歩で行きました。尾瀬沼の沼尻で合流し、夕方長蔵小屋に到着して、宿泊しました。天気は大変良く、尾瀬ヶ原や尾瀬沼を探索するとともに、燧ケ岳などが良く見えました。
 29日(月)は、尾瀬沼→大江湿原→小淵沢田代→No.125鉄塔→巨大地すべりの頭部滑落崖(No.126鉄塔)→登山道経由で巨大地すべり地末端部(小淵沢林道終点)→小淵沢林道→林道奥鬼怒線→大清水と歩きました。途中から雨になりましたが、巨大地すべり地の中を歩くことができました。帰りに松浦旅館の「おぜの山偶楽」を見学させて頂きました。この資料館には松浦氏が猟師として捕獲した熊や鹿などの動物や尾瀬に関する貴重な資料が多く展示されています(見学するには松浦旅館(尾瀬戸倉温泉ロッジマツウラ:電話0278-58-7341)に事前連絡する必要があります)。
 第1回現地調査終了後、様々なことが判明しました。新たに只見幹線の送電線巡視路を踏査し、ドローンによる空撮を行いたいという要望が出されました。このため、 第2回現地調査は大清水からの林道奥鬼怒線・小淵沢(ニゴリ沢)林道をレンタカーで通行し、巨大地すべり地尖端部(小淵沢林道終点)まで行き、只見幹線の巡視路(No.130鉄塔からNo.125)を通って巨大地すべりを踏破し、西側の登山道で下山して、小淵沢林道終点まで戻る計画を立てました。群馬県森林環境部森林保全課に連絡したところ、林道奥鬼怒線は群馬県片品村の管理となっており、通行許可申請が必要だと教えて頂きました。片品村農林建設課に問い合わせたところ、片品村・梅沢志洋村長宛の「林道使用許可申請書」を提出するように言われ、令和元年(2019)9月9日付で片品村に書類を申請しました。
 「通行証」を発行して頂き、10月11日(金)に出発する予定でしたが、台風19号の襲来が予想されたため、現地調査を延期しました。その後参加予定者の日程を調整し、11月1日(金)〜2日(土)に第2回現地調査を実施することにしました。しかし、台風15号・19号の襲来もあり、参加者は足立勝治と佐藤昌人(防災科学技術研究所)と私の3名となりました。
 1日(金)の夕方に片品村農林建設課で、今回の現地調査の目的を説明して了承して頂くとともに、通行証を受け取り、林道の鍵を借用しました。1日の夜は松浦和男氏経営の松浦旅館(尾瀬戸倉温泉ロッジマツウラ)に宿泊し、足立から航空写真の比較判読結果の説明を受けました。
 2日(土)は7時40分に尾瀬戸倉を出発し、大清水から林道奥鬼怒線に入りましたが、小淵沢分岐2km手前のオモジロノ沢(滝が見える)付近で、台風19号による路床の洗堀により、通行不能となりました(写真1,2)。やむなくここから小淵沢林道終点まで歩くことなり、登りに2時間、下りに1.5時間を要することになりました。小淵沢林道終点到着後、防災科学技術研究所の佐藤が地すべり地尖端部周辺のドローンによる空撮を行いました。その後、送電線巡視路を通り(多くの地すべり亀裂が存在)、No.130鉄塔まで行きました。13時半頃No.128鉄塔まで到着しました。No.130鉄塔とNo.128鉄塔付近でドローンによる空撮を行い、巨大地すべり地のほぼ全体を写真撮影できたので、帰ることにしました。
図4 狩野川台風による横浜・川崎市内の崖崩れ崩壊箇所図(気象庁,1964)
写真1 オモジロノ沢の滝
図4 狩野川台風による横浜・川崎市内の崖崩れ崩壊箇所図(気象庁,1964)
写真2 路床洗堀で通行不能となった林道奥鬼怒線
(2019年11月2日井上撮影)

 写真3は,巨大地すべり地周辺の空中写真(林野庁1963年10月13日撮影,山-232(ダイニオクアイズ),C-29-10)で、井上が判読した地すべり滑落崖を赤線で示してあります。写真の上端部に白く見えるのは、小淵沢田代で尾瀬沼の東部にありますが、あまり登山客の通らない湿原で、観光客が増加する前の静かな湿原の雰囲気が残っています。巨大地すべり地の南側の尖端部は地すべり変動が活発で,群馬県林務部によって昭和44年(1969)年頃から復旧治山事業が行われました(私の2年間の調査は復旧治山事業のための地すべり調査でした)。地すべり地形内の東側には只見幹線の送電線が通り、路線下付近が幅100mにわたって刈り込まれ、送電線巡視路が通っています。
 写真4は、大八木(1974)に掲載された林野庁1974年10月25日撮影の山703(オクトネ),C5-26,27,28写真で、尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形を立体視できるように加工してあります。写真上の記号は大八木(1974)が写真判読した結果の記号で、詳しくは「地すべり技術」1974年10号をご覧ください。
写真3 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の地すべりブロック図 (林野庁1963年10月13日撮影,山-232(ダイニオクアイズ),C-29-10)
写真3 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形の地すべりブロック図(群馬県林務部,1971)
(林野庁1963年10月13日撮影,山-232(ダイニオクアイズ),C-29-10)
写真4 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形(大八木,1974) (林野庁1974年10月25日撮影,山703(オクトネ),C5-26,27,28)
写真4 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形(大八木,1974)
(林野庁1974年10月25日撮影,山703(オクトネ),C5-26,27,28)

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 写真4を立体視して頂くとわかりますが、巨大地すべり地形の頭部滑落崖は非常に明瞭で、北から東方向に半円形に続いています。しかし、地すべり地形内はかなり平坦で、当初の地すべり変動によって分離した平坦部が多く残っています。地すべり地の滑落崖上部の平坦地は袴腰山(高石山,標高2042m)の古い溶岩台地です。図4は、北関東の主な降下火山灰(テフラ)を示したもので、町田・新井(2003)をもとに井上が編集しました。6世紀に榛名山から噴出した二ツ岳降下軽石(FP)が当地区周辺にも降下堆積しました。このFPが数cmの厚さで黒土層の直下に存在するのを確認しました。上記の地すべり地内の平坦部にもFPが残っている箇所があり、巨大地すべり地形の形成史を考える上で貴重な火山灰(テフラ)となっています。
図4 北関東の主な降下火山灰(テフラ) 町田・新井(2003)より井上編集
図4 北関東の主な降下火山灰(テフラ) 町田・新井(2003)より井上編集
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 写真5は、復旧治山事業にごり沢地区の調査時に入手した国土地理院 1976年10月7日撮影のカラー航空写真(CKT-76-2, C6-28,S=1/15,000)で、巨大地すべり地の地形・植生状況が良く分かります。昭和45年(1970)頃建設された小淵沢林道が明瞭に認められます(写真3にはないが、写真4の航空写真(1974年の撮影)には林道が認められる)。No.130鉄塔に向かって直線状に設置された測線が認められます。この測線は、昭和46年度(1971)に調査した弾性波探査の測線です(群馬県林務部,1971)。立体視すると、カラー写真であるため、送電線巡視路や登山道、湿地や沼地、地すべりブロックの詳しい形態を読み取ることができます。
写真5 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形のカラー航空写真 (国土地理院 1976年10月7日撮影,CKT-76-2,C6-28,S=1/15,000)
写真5 尾瀬沼東南部の巨大地すべり地形のカラー航空写真
(国土地理院 1976年10月7日撮影,CKT-76-2,C6-28,S=1/15,000)


4.昭和46〜47年度の日本工営の調査・解析結果
 群馬県森林環境部森林保全課から「昭和46〜47年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)」の報告書を借用しました。図5は、調査地域周辺のクラック分布図(戸倉ニゴリ沢地区)です。地すべり地下部の地すべり変動は大きく、多くの地すべりクラック(ブロック)が認められました。
 図の下部には直線状の測線が記されていますが、弾性波探査のために伐開され、測量された測線です。この測線の伐開・測量(5m毎に測量杭を設置)は非常に大変でしたが、松浦和男氏をはじめ、尾瀬戸倉周辺の方々に参加して頂き、熊笹を伐採しながら測量を行いました。写真5に示されているように、A測線は目印となるNo.130鉄塔をめざして、測線設定を行いました。測線測量完成後、これらの測線上で弾性波探査を行いました。探査に利用した火薬は、沼田の火薬店まで毎朝片道2時間かけて往復して購入し、基本的に購入した火薬はその日の内に消費しました。
 図の上部には道路の計画路線が認められますが、中止となった大清水−沼山峠間の自動車路線です。地すべり地の頭部滑落崖付近を通っており、この道路計画の工事が開始されていたら、巨大地すべり地の地すべり変動に多大の影響を与えた可能性があります。この点においても、大清水−沼山峠間の自動車道は中止されて良かったと思います。
図5 調査地域周辺クラック分布図(戸倉ニゴリ沢地区) 群馬県林務部(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)
図5 調査地域周辺クラック分布図(戸倉ニゴリ沢地区)
群馬県林務部(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)

 図6は、昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)の調査計画地すべりブロック図(戸倉ニゴリ沢地区)で、地すべり地下部の地すべりブロックと調査測線、ボーリング地点、傾斜計・伸縮計の配置図を示しています。左端には治山堰堤があり、この付近は巨大地すべり尖端部で、地すべり変動は継続しており、多くの崩壊地形が認められました。昭和47年度には直線状の測線は50m格子に配置され(図6参照)、放射能探査やボーリング調査が実施されました。ボーリング孔を利用して地下水検層を実施するとともに、薬品(硫酸マンガンとフローレッセン)を上部孔に投入して、ボーリング孔や湧水点で1か月間毎日採水して、地下水追跡試験を行いました。採水は日本工営葛Z術研究所に送付し、化学分析を実施しました。その結果、何点かのボーリング孔や湧水点で投入薬品が確認され、地下水の流動方向と流速が確認できました。傾斜計や伸縮計で地すべり変動が確認されました。
図6 調査計画地すべりブロック図(戸倉ニゴリ沢地区) 群馬県林務部(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)
図6 調査計画地すべりブロック図(戸倉ニゴリ沢地区)
群馬県林務部(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)

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 図7はA測線地質推定断面図、図8はB測線地質推定断面図(昭和46年度報告書)です。断面図には弾性波探査とボーリング調査などに基づく、地質推定断面図が表示され、断面の上部に断層破砕帯が描かれています。
図7 A測線地質推定断面図(昭和46年度報告書)
図7 A測線地質推定断面図(昭和46年度報告書)
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図8 B測線地質推定断面図(昭和46年度報告書)
図8 B測線地質推定断面図(昭和46年度報告書)
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 図9は、昭和47年度戸倉地区地すべり調査と安定解析の結果をもとに作成された防止工検討平面図です。平面図に示された集水井工(計画は6基で4基が施工済)や流路工,谷止め工が順次施工されました。
図9 防止工検討平面図(昭和47年度戸倉地区地すべり調査報告書)
図9 防止工検討平面図(昭和47年度戸倉地区地すべり調査報告書)
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 図10は、平成17年度復旧治山事業にごり沢地区平面図(群馬県利根沼田県民局・利根環境森林事務所,2005)で、昭和46・47年度業務から35年後の巨大地すべり地の現地調査と地すべり変動調査の結果を示しています。今回の現地調査はさらに14年経過しているため、樹木が生い茂り、伐開しないと集水井戸などの施設にたどり着けませんでした。
 昭和46、47年(1971,1972)当時は、完成したばかりの治山堰堤には水がたまり、野鳥や熊の水飲み場でしたが、今回の調査時には、堰堤の背後には流出土砂が大量に堆積していました。この堰堤に流入する渓流は裸地状態でしたが、鋼製の谷止工が施工され、植生は繁茂し、安定しているようでした(写真6,7参照)。
図10 平成17年度復旧治山事業にごり沢地区平面図  群馬県利根沼田県民局・利根環境 森林事務所(2005):平成17年度復旧治山事業(調査委託)にごり沢地区報告書
図10 平成17年度復旧治山事業にごり沢地区平面図  群馬県利根沼田県民局・利根環境
森林事務所(2005):平成17年度復旧治山事業(調査委託)にごり沢地区報告書

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5.1mDEMによる赤色立体地図と詳細地形判読をもとにした現地調査
 足立ほかの未公表資料によると、応用地形学研究部会で、山地の応用地形学図を作成し、山地の応用地質学の課題として、地すべりの活動状況を時系列で推定した地形学図の作成方針を検討しています。応用地形学図の作成手順として、下記の検討を行っています。
 1)地すべり地形の読図(5mDEMの3D立体地形図)
 2)空中写真による微地形変化判読(1947年から2014年の6時期)
 3)微地形変化による地すべり活動推移
   (地すべりブロック不安定箇所推移状況図)
 4)既存地すべり調査資料の分析
 5)山地の応用地形学図の凡例作成
 6)本手法の有効性検討
 模式地として人為的地形変化がなく、地すべり変動のある尾瀬沼南東部の巨大地すべり地形を選んでいます。5mDEMによる3D立体地形図(赤色立体地図)の作成と数時期の航空写真を用いて、写真判読を行いました。第1回現地調査時のシンポジウム(7月27日)で、詳細な分析結果の説明を受けました。28日(土)と29日(月)の現地調査では、赤色立体地図と写真判読結果は非常に役に立ちました。
 このため、国土交通省関東地方整備局 利根川水系砂防事務所から1mDEMの提供を受け、詳細な赤色立体地図(2mコンター入り)などを作成しました。
 現地調査前に使用したDEMは、国土地理院が公表しているデータを使用しました。
  5mDEM:国土地理院 基盤地図情報(5mメッシュ標高)
 利根川水系砂防事務所から提供を受けた1mDEMは以下の業務で作成しています。
  1mDEM:H29片品川航空レーザー測量業務(2017/10/18〜2018/11/07)
 判読に利用した航空写真は以下の機関が撮影したものです。
  国土地理院1976年撮影カラー写真(CKT-76-2)
  群馬県 2004年撮影白黒写真(第6武尊山 C04-7)
  群馬県 2014年撮影カラー写真(第8武尊山 C14-3)
上記の判読結果については、足立が応用地形学研究部会や日本応用地質学会などで詳細に公表されると思います。本項では、現地調査結果と関連付けながら説明します。
 防災科学技術研究所の佐藤がドローンによる空撮を3回行いましたが、ここではその一部を紹介します。
 図11は、No.128〜No.129鉄塔について、巨大地すべり地形の移動体内部の微地形表現の差を示したものです(左:5mDEM,右:1mDEM)。1mDEMでは現地調査時に通行した送電線巡視路や写真判読で確認できた地すべり亀裂が認められます。
 図12は、地すべり地尖端部からNo.130鉄塔に向かう巡視路付近の2mコンターを入れた赤色立体地図を示しています。途中にはかなり深い谷地形があり、沢部には多量の流水があり、新たに発生した地すべり微地形も多く認められました。
図11 巨大地すべり地形の移動体内部の微地形表現(左:5mDEM,右:1mDEM) (国土交通省利根川水系砂防事務所の1mDEMをもとに足立勝治作成,No.128〜No.129)
図11 巨大地すべり地形の移動体内部の微地形表現(左:5mDEM,右:1mDEM)
(国土交通省利根川水系砂防事務所の1mDEMをもとに足立作成,No.128〜No.129 鉄塔)
図12  ニゴリ沢地すべり尖端部の2mコンター赤色立体地図(只見幹線No.129,130,131鉄塔付近)(国土交通省利根川水系砂防事務所の1mDEMをもとに足立勝治作成)
図12 巨大地すべり尖端部の2mコンター赤色立体地図(只見幹線No.129,130,131鉄塔付近)
(国土交通省利根川水系砂防事務所の1mDEMをもとに足立作成)

 
6.ドロ−ンによる空撮写真と地上写真との比較
 防災科学技術研究所の佐藤の操縦によるドローンの写真と地上写真を紹介します。
写真6 地すべり地尖端部の治山堰堤(小淵沢林道からドローンで撮影)
写真6 地すべり地尖端部の治山堰堤
(小淵沢林道からドローンで撮影)
写真7 小淵沢林道から見た治山堰堤(1971年には堰堤上部に水が溜まっていた)
写真7 小淵沢林道から見た治山堰堤
(1971年には堰堤上部に水が溜まっていた)
写真8 No.130鉄塔上空からNo.131を望む
写真8 No.130鉄塔上空からNo.131を望む
写真9 No.130鉄塔からNo.131を望む
写真9 No.130鉄塔からNo.131を望む
(No.131鉄塔手前に巨大地すべり地の側方崖が見える)
写真8 No.130鉄塔上空からNo.131を望む
写真10 地すべり変動後補強したNo.130鉄塔
写真9 No.130鉄塔からNo.131を望む
写真11 No.130鉄塔の補強された基礎
(No.130鉄塔は4脚を結んでいる,内側に補強以前の基礎が見える)
写真12 No.129鉄塔付近の伐開状況
写真12 No.129鉄塔付近の伐開状況
写真13 No.129鉄塔の基礎は補強されていない
写真13 No.129鉄塔の基礎は補強されていない
(伐開地には赤色立体地図で見える亀裂に対応する段差が見える)
写真14 No.128鉄塔から南側の地すべり地を望む(左上は四郎岳2156m)
写真14 No.128鉄塔から南側の地すべり地を望む(左上は四郎岳2156m)
写真15 No.128から北側の頭部滑落崖を望む
写真15 No.128から北側の頭部滑落崖を望む
写真16 No.128から北側を望む
写真16 No.128から北側を望む
足立追記(頭部滑落崖には新しい崩壊地が見える)
写真17 N.128鉄塔から燧ケ岳、小淵沢田代、地すべり地上部を望む(地名などは足立追記)
写真17 N.128鉄塔から燧ケ岳、小淵沢田代、地すべり地上部を望む
(地名などは足立追記)
写真18 No.128〜No.127鉄塔間の伐開地には地すべり亀裂などが見える
写真18 No.128〜No.127鉄塔間の伐開地には地すべり亀裂などが見える


7.むすび
 2回の現地調査で多くのことが判明しましたが、新たな不明点が多く見つかりました。巨大地すべり地の先端部付近は、地すべり対策工事(4基の集水井)や治山堰堤・谷止工などの施工により、植生が繁茂し安定しているように見えます。小淵沢林道は小淵沢通過後、巨大地すべり地の尖端部に到達するまでに、数回のヘアピンを通って登って行きますが、ここでは新第三紀の流紋岩(石英粗面岩)の小尾根部を通過します。この基岩はまるで巨大な深礎杭のように巨大地すべりの変動を抑止しているように見えます。しかし、送電線の巡視路付近を写真判読・現地踏査すると、まだ地すべり変動が継続していることが判ります。
 今回の現地調査とドローン撮影結果をもとに航空写真を詳しく比較判読することにより、地すべり変動の状況がより鮮明になります。来年度以降さらに追加調査することにより、当巨大地すべり地形の発生機構を解明していきたいと思います。図2に示したように、群馬県北部には巨大地すべり地形が多く存在します。この点を含めて調査・研究を進めて行くべきだと思います。
 本コラムをまとめるにあたり、種々の資料を提供して頂いた国土交通省関東地方整備局 利根川水系砂防事務所、群馬県森林環境部森林保全課、並びに林道奥鬼怒線の使用を許可して頂いた片品村役場に御礼申し上げます。

引用・参考文献
井上公夫(2019.7):現地見学会 コラム64群馬県北東部尾瀬沼東部の巨大地すべり地形を歩く,配布PPT資料,40コマ.
井上公夫(2019.11):第2回現地見学会 コラム64群馬県北東部尾瀬沼東部の巨大地すべり地形を歩く,配布PPT資料,48コマ.
大八木規夫(1974):尾瀬沼南東の大規模地すべり地形,講座V 空中写真で見る地すべり地形,地すべり技術,10号,口絵,p.47-49.
群馬県利根沼田県民局・利根環境森林事務所(2005):平成17年度復旧治山事業(調査委託)にごり沢地区報告書
群馬県林務部(1971):昭和46年度復旧治山事業(戸倉地区地すべり調査)報告書
群馬県林務部治山造林課・沼田林業事務所(1973):昭和47年度復旧治山事業戸倉(ニゴリ沢)地区地すべり調査報告書
平野長靖(1972):尾瀬に死す,新潮社,274p.
町田洋・新井房夫(2003)新編火山灰アトラス―日本列島とその周辺―,337p.

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