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 シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く
 コラム67 地形・地質特性からみた沖縄本島中南部の土砂災害
1. はじめに
 私は、昭和47年(1972)の沖縄施政返還の翌年に、沖縄県土木部のご依頼により、日本工営株式会社が実施した「沖縄県中南部地すべり地及び急傾斜地調査」の一部を担当しました(沖縄県土木部,1973,井上,1979,井上,1990,井上ほか,1973)。調査時期は復帰直後で自動車は右側通行であり、日本との違いを色々な面で経験しました。
 この調査では、沖縄本島中南部の地形・地質特性を検討するとともに、航空写真の判読によって、地すべり地形や崩壊地を抽出し、それまで沖縄県では指定されていなかった「地すべり地」「急傾斜地」および「土石流危険渓流」のリストアップ作業を行いました。沖縄県土木部では上記の危険個所の指定はされていませんでしたが、この報告書などをもとに、「地すべり危険個所」「急傾斜地崩壊危険個所」および「土石流危険渓流」の指定を順次行い、これらの対策事業を実施しています。その後、私は昭和62年(1987)〜平成2年(1990)に日本工営福岡支店に勤務することになりました。このため、沖縄県内で色々な調査をすることができ、17年経過した沖縄の発展と対策事業の進捗を把握できました。さらに30年経過した現在、沖縄県で散見される土砂災害の状況を報道などで知ることができますが、基本的な沖縄本島中南部の地形・地質特性は変わっていないので、50年前を振り返りながら説明したいと思います。

2.広域砂防調査の目的
 沖縄本島中南部は、いわゆる“島尻層”と呼ばれる新第三紀層が大部分を占め、地すべりや崩壊の発生しやすい地帯です。このため、この地域には多くの地すべり、崩壊および土石流の痕跡地形が存在し、梅雨・台風などに伴う集中豪雨や地震などを直接の発生誘因として、今までに何回も地すべりや崩壊が突発的に発生し、多くの土砂災害を発生させてきました。つまり、沖縄本島中南部の東海岸一帯は、他の地区に比べ災害危険度の高い地区が連なります。さらに、昭和47年(1972)の施政権返還以降、昭和50年(1975)の海洋博などに伴う急激な開発ブームに乗って、このような土砂災害危険度の高い地区にも、地すべり対策がほとんど実施されないまま、レジャー施設・工場・道路ならびに宅地(特に大規模な団地)の開発が急激に進み、それらの災害危険度を高めている地区もあります。このため、すでに大きな土砂災害の発生してしまった地区や、今後の集中豪雨や地震を発生誘因として土砂災害が発生する可能性の高い地区も多く存在します。このような状況は50年経った現状でもあまり変わっていないと思います。
 このため、災害危険度が高いと想定される沖縄本島中南部について、「沖縄県中南部地すべり地及び急傾斜地調査」が沖縄県土木部によって計画されました。この調査は「沖縄県中南部における地すべり等の災害を未然に防止するため、地すべり・崩壊・土石流の危険性の高い地区を航空写真判読や地表踏査などによって選定し、地形・地質などの地域特性を分析することによって、人家および公共施設などに直接の被害を及ぼす可能性の高い地すべりなどについて、今後実施すべき防止対策を計画するために必要な調査計画を立案する」ことを目的としたものです。
 図1は本調査で判読に使用した航空写真の標定図で、国土地理院が1970年5月〜9月に撮影したものです。MOK-70-1のC1〜23は縮尺1/1万の密着写真112枚と、MOK-70-1XのC22〜24は縮尺1/2万の2倍引伸写真13枚を用いて判読しました。写真判読に利用した地形図は、縮尺1/2500と1/5000の国土基本図を1/1万に縮小して貼り合わせた7枚の地形図を利用しました。

図1 沖縄本島中南部の航空写真標定図と調査範囲(井上,1979)
図1 沖縄本島中南部の航空写真標定図と調査範囲(井上,1979)

3.沖縄本島中南部の地形・地質の概要
3.1 琉球弧の構造
 琉球列島(南西諸島)は、九州から台湾に至る南海の海に1200kmにもわたって分布する弧状列島です。プレートニクス説によれば、琉球弧はアジア大陸の縁辺にあった褶曲山系が、今から1000万年ほど前に分裂し、南方に漂移してできた新しい弧状列島と言われています。この弧状列島を東西方向で見ると、アジア大陸側(東シナ海側)からフィリピン海溝に向かい、①東海陸棚、②尖閣群島、③琉球舟状海盆、④琉球火山弧、⑤琉球前縁弧、⑥前縁弧より海溝にいたる斜面、⑦琉球海溝、⑧フィリピン海盆、と弧に平行な帯状の区分ができ、各帯ともそれぞれ特有の地質構造を持っています。

3.2 地質構造
 琉球列島(南西諸島)⑤の琉球前縁弧に位置し、小西(1965)は先中新世基盤岩を、内側から外側(琉球海溝側)に向かって、a)甑島累帯、b)石垣累帯、c)本部累帯、d)国頭累帯、e)島尻累帯、f)熊毛累帯、の6つの構造帯に区分しました。表1に示したように(小西,1965)、琉球列島の帯状構造の配列は、西南日本の帯状構造の配列とよく似ており、各累帯の境をなす構造線も良く対比されます。
 e)の島尻累帯は、浅海ないし半深海相の純海成層の中〜鮮新統の砂岩・泥岩(最上部付近に浮石質石灰岩)の厚層からなり、沖縄本島の中城ドームのように、褶曲変形している地区も存在します。この累帯は、西南日本外帯の四万十累帯の南帯に相当し、北部の国頭累帯とは天願構造線をもって境界されています。

3.3 調査地域周辺の地質
 米国地質調査所(USGS)は米国陸軍工兵隊と共同で、1946〜49年に沖縄島の地質図を編集し、Flint et al.(1959)は“Military geology of Okinawa-jima Ryukyuretto”として公表しました。1973年の調査では、この報告書にある1/5万地質図を利用しました。図2に沖縄本島中南部の地質図、表2に地質対比表を示します。この地質図は、米軍占領下の沖縄において軍事地質図として作成されたもので、最近の研究成果とは少し異なっている部分もあります。
(1)沖積層
海浜堆積物(Qb):海岸や汀線平地の未固結な砂、礫、シルトならなり、隆起汀線と砂嘴の砂礫、浜堤や砂丘の砂を含みます。堆積物はほとんど石灰質で、固結した海浜崖錐(ビーチロック)の小岩体が散見されます。また、沖縄本島南部の海岸では、近傍の島尻層から洗出された粘土の被覆層に覆われています。
沖積層および河口堆積物(Qal):谷底部や内湾部に堆積した未固結なシルト、粘土、砂、礫などからなります。特に、中南部では島尻累層から流出したオリーブ色〜褐色の可塑性粘土と粘土質シルトからなります。
図2 沖縄本島中部,南部地質図(Flint et al., 1959)

隆起珊瑚礁石灰岩(Qr):淡黄色から褐色を呈する礁性石灰岩からなります。隆起した裾礁は、原位置性の珊瑚に富み、礁性破砕物が珊瑚と古期石灰岩片からなる基底礫岩類を覆っています。
(2)洪積層
牧港石灰岩(Qm):淡黄色〜黄褐色を呈し、わずかに硬化した多孔質で透水性の大きな石灰岩からなります。有孔虫に富み、原位置性の遺体と破片が下部層に多く認められます。一般に、海岸地域では他の地層を覆う被覆層であり、港川付近では隆起した内湾での厚層な堆積物です。岩石は大気にさらすと再結晶して硬さを増しています。
読谷石灰岩(Qm):白色を呈し、多孔質で透水性の良い砕屑石灰岩からなり、珊瑚片に富みます。石灰質砂を基質とし、直径数インチに達する珊瑚片や相対的に硬い石灰質ノジュールの良く締まっていない角礫層からなります。
(3)那覇累層(鮮新世)
石灰、砂岩部層(Tm):淡黄色〜クリーム色を呈し、層理面の乏しい石灰岩からなります。貝殻片と細かに分離した石灰岩が多く、部分的に十分保存された化石が集積している層が認められます。
石灰砂部層(Tns):淡黄色〜褐色を呈する非石灰質のシルト、砂、礫を10%以上含む砂質石灰岩ならなります。自然の露頭面ではよく固結されているが、新鮮な露頭での岩石は大気にふれて硬化した所を除いて、軟らかく脆くなっています。
礫部層(Tng):峡谷や盆地を埋めた厚い堆積物で、非石灰質粘土、砂、礫のレンズ状の地層からなります。炭化木片を伴う灰色粘土が局所的に本部層基底付近に分布します。
知念砂岩部層(Tnc):灰色〜褐色を呈し、多少固結したわずかに石灰質な泥質砂岩からなります。沖縄南部では上部に向って不純な石灰岩に漸移し、局地的な斜層理部分を除いては、厚い塊状の層となっています。
(4)島尻累層(中新世)
凝灰岩(Tat):白色〜淡黄色を呈し、多孔質で透水性のよい多少固結した滞水性シルト質凝灰岩と軽石礫岩からなります。この累層内では上部層に位置し、厚層から薄層まで変化します。
シルト質粘土部層(Ts):灰色を呈し、不透水性で稠密な石灰分を多少含むシルト質粘土層からなり、シルトとシルト質砂の薄層を狭在します。層理は表面の風化により、一般には不明瞭であるが、不規則な割れ目は認められます。肉眼で識別できる化石は、数層の砂質層内に集中的に分布します。
シルト質砂部層(Tss):灰色〜淡黄色を呈し、多孔質で透水性のよいわずかに固結したシルト質砂岩とわずかに狭在された層状のシルト質粘土よりなります。
(5)名護累層(中生代−白亜紀〜ジュラ紀)
 千枚岩、絹雲母片岩、粘板岩、砂岩準片岩、緑色片岩類と少量の葉片状石灰岩よりなります。新鮮な千枚岩は暗灰色ないし帯緑黒色を呈し、風化岩は赤色、褐色ないし灰色を呈します。

 図2の地質図では、島尻累層を中新世の堆積物としていたが、兼島(1959)の天然ガス資源調査のボーリングによって、中新世から鮮新世の堆積物であることが判明しました。また、琉球石灰岩(那覇石灰岩)を鮮新世堆積物としていたが、大部分は第四紀洪積世の堆積物であると考えられます。島尻累層からなる丘陵部には山頂部に珊瑚石灰岩が存在したり、斜面中腹部にも珊瑚石灰岩やその転石が認められることから、中南部全域が琉球石灰岩に覆われた時代が存在しました。これらの珊瑚石灰岩(琉球石灰岩)は、海成層の島尻累層が海面上に姿を現し始めてから、島尻累層の上に繁殖した珊瑚や貝類・有孔虫などの石灰質動物の遺骸が堆積溶結し、次第に隆起したものと考えられます。
 古来沖縄では、泥岩地帯の表層土壌は「クチャ」と呼び、石灰岩の風化土壌は「マージ」と呼んでいました。泥岩を主とする丘陵地や沖積低地に相当するところはクチャ地帯で、石灰岩からなる台地と斜面はマージ地帯となっています。クチャ地帯は後述するように地すべり地形の多い地帯であり、表土は降雨によって泥濘化し、山脚と低平部との境がはっきりしないことが多いようです。マージ地帯は比較的高燥な台地が多く、雨水は褐色のマージ土壌を経て多孔質の石灰岩からなる地層中にしみ込み、地上を流れる河川はほとんどありません。マージからしみ込んだ雨水は石灰岩の地下深く潜り込み、下位にある不透水性の地層に達すると、地層勾配に沿って地下水脈をつくりながら地下河川となって流れています。クチャ地帯では地表を流れる河川が、マージ地帯では地下にあることになります。

4.地形解析(接峰面図)からみた地域特性
 一般に、河川侵食は他の地形形成営力に比較して、その速度は速くなっています。このため、火山作用や地殻変動などの内的営力に起因する地形形態は、河川侵食によって複雑に修飾され、わかりにくくなっています。地形学では、山頂に接する面を想定して、山地を刻む谷を埋めて作成した面を「接峰面」とよんでいます。この図を作成することによって、山地・丘陵地の高度分布の概略を認識することができ、最近の河川侵食を無視した山地や海面の垂直変動(隆起と沈降)および火山作用などを推定する手がかりを得ることができます。また、埋める谷の大きさによって、考察する視野の広がり、それに関係する地形形成営力やそれらの時間的広がりを自由に選択することができます。
 本調査では、1万分の1地形図をもとに、0.5km以下の谷埋め法によって、図3に示した10mコンターの接峰面を作成しました。図4は、沖縄県土木建築部河川課(1990)より、南部土木事務所と中部土木事務所の管内図(土石流危険個所、砂防指定地、急傾斜地危険個所及び指定地、地すべり危険個所及び指定地)を示しました。
 沖縄本島中南部は、何段かの海岸段丘からなり、段丘崖で急傾斜をなすほか、平坦面が何段か認められます。これらの段丘面は東海岸程高く(標高150〜170m)、西海岸に向かうにしたがって次第に高度を下げています。このため、東海岸の段丘崖は急崖をなし、海岸近くの沖積低地に達しています。このことから、東側が西側よりも隆起速度が大きいことが判ります。琉球列島の喜界島の測定結果によれば、過去12〜13万年の間に年平均1.5〜2.0m/年の割合(1000年で1.5〜2.0m、1万年で15〜20m)で隆起運動を続けていることが判明しています。沖縄本島中南部の標高150〜170mの高位面は、今から12〜13万年前の下末吉海進時に海水準よりも高くなり、年平均1.5〜2.0mの割合で隆起運動を続けているものと考えられます。
 段丘面上には、珊瑚石灰岩の厚く堆積する地区(層厚10〜30mで帯状に続く)と海成のシルト質粘土層が薄く堆積する地区(層厚1m以下)とが認められます。このことは、サンゴ礁の形成が外洋に面した海面付近の帯状の部分にかぎられ、海面の上昇に伴って、海面付近の斜面にだけ珊瑚が生育するのに対し、その内側のラグーンには海成のシルト質粘土層しか堆積しないことからもうかがわれます。そして、緻密な珊瑚石灰岩がキャップロックとしてのる段丘面は侵食に対して強いため、地形原面がよく保存され、段丘面の縁辺部は急崖をなしています。
 那覇から玉城村(現南城市)にかけての南東部(知念岬周辺)には、頂面が標高60〜70mの丘陵地が存在します。これはキャップロックとして残っていた珊瑚石灰岩や海成シルト質粘土層がなくなり、基盤の第三紀層(島尻累層)が針状の尾根を形成し、全体的に老年期の形態を示していると考えられます。
図3 沖縄本島中南部の接峰面図(井上,1979) 図4 沖縄本島中南部の危険箇所図(沖縄県土木建築部河川課,1990)
図3 沖縄本島中南部の接峰面図
(井上,1979)
図4 沖縄本島中南部の危険箇所図
(沖縄県土木建築部河川課,1990)
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 また、断層による急崖が数本認められます。最も顕著な断層は首里断層で、現在でも活発に変位している活断層で、接峰面上では針状の尾根部として表現されています。地表踏査によれば、断層に沿って石灰岩の尾根が認められるが、これはかなり固結した石灰岩からなり、石灰岩の採取が行われていました。珊瑚石灰岩の石灰分が水分に溶けてから再結晶して固結したものと考えられます。これらの断層には、琉球列島の軸に沿うNE-SW方向の断層とそれを横切るNW-SE方向とが認められます。特に、沖縄本島中南部にはこれらの断層群が発達しており、東海岸側がより多く隆起しているため、一種のケスタ地形をなしています。

5.写真判読・現地調査による地すべり地・崩壊地分布図
 図1に示した航空写真をもとに写真判読を行い、写真判読図を持って現地調査を行いました。現地調査は毎日10〜20kmの区間を徒歩で夏の時期に1か月ほど実施しましたので、沖縄の暑さを身に染みて感じました。これらの結果のうち、図3に範囲を示した図5と図6の地すべり、急傾斜地、崩壊地分布図を作成しました。
図5 中部(B地区)の地すべり地・急傾斜地・崩壊地分布図(井上,1979)
図5 中部(③地区)の地すべり地・急傾斜地・崩壊地分布図(井上,1979)
図6 知念岬地区(F地区)の地すべり地・急傾斜地・崩壊地分布図(井上,1979)
図6 知念岬地区(⑦地区)の地すべり地・急傾斜地・崩壊地分布図(井上,1979)

 今回の地すべり地、崩壊地調査は、「急傾斜地の崩壊などによる災害危険個所の総点検の実施要領について」という建設省河川局砂防発第50号(昭和47年7月20日)の実施要領に基づいて作成しました。
 急傾斜地は1/1万地形図から30度以上の斜面を抽出しました。地すべり地形については、地表踏査の結果を参考にして、①現在移動中のブロック(道路などに変形が認められる)、②やや安定している地すべり地であるが、人為的改変や集中豪雨などによって、すべり出す可能性の高いブロック、に分類しました。さらに、上流部に地すべり地・崩壊地があり、斜面下部に崩積土が厚く堆積していて、土石流が発生する危険性の高い渓流は土石流危険渓流として表示し、発生した場合の流下方向を⇒で示しました。
 図7は防災科学技術研究所(2013)の地すべり地形分布図57集「沖縄県域諸島」のうち,「那覇」,「沖縄市南部」,「糸満」図幅(判読者:大八木規夫)をまとめて表示したものです。図7と図5,図6と比較すると色々なことがわかりました。
図8 地すべり地形分布図(防災科学技術研究所,2013),「那覇」,「沖縄市南部」,「糸満」図幅
図7 地すべり地形分布図(防災科学技術研究所,2013),「那覇」,「沖縄市南部」,「糸満」図幅
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6.地域の諸特性と地すべり・崩壊との関連
 地すべり・崩壊現象は3〜5項で説明した地域特性とかなりの因果関係を有しています。つまり、地すべりや崩壊現象は、その斜面自身が本来持っている素因に加えて、現在までの長い期間にわたって受けてきた内的・外的影響を歴史的条件としてもち、人為的な地形改変による斜面の安定度の低下や、集中豪雨、地震などを誘因として発生します。
 今回の調査範囲である沖縄本島中南部は、古い岩盤の露頭は全く認められず、砂岩を挟む泥岩層からなる新第三紀の島尻累層と珊瑚礁が隆起してできた琉球石灰岩が丘陵や台地を形成しています。
 沖縄本島中南部の地すべりは、ほとんどが「クチャ」地帯の中・下部斜面で、比較的緩傾斜な斜面で発生しています。「クチャ」地帯の基盤を構成する島尻累層は大部分が泥岩層からなります。この泥岩は水分を含むと膨張して泥濘化しやすく、逆に乾燥すると収縮して片理上のクラックが無数に発達します。このため、かなり深部まで風化していて軟弱化していると考えられます。特に、水が集中しやすい馬蹄型の斜面の中心部で深層風化は激しいようです。
 今回の調査範囲内の地すべりの大部分は、このような地形・地質条件の斜面に集中豪雨があって、風化泥岩が表層性地すべりを起していると判断されます。「クチャ」地帯の斜面では表層性の地すべりが何回も発生し、多くの地すべり地形が発達しているのが認められます。
 崩壊地は、「クチャ」地帯の斜面上部の急斜面に多く認められますが、表層崩壊的なものが多くなっています。上流部で崩壊が頻発している渓流では、下部斜面にかなりの崩積土が堆積しており、土石流が発生する危険性が高くなっています。
 同じ「クチャ」地帯でも、図6に示めした具志川市から知念岬にいたる東海岸に面した斜面部に地すべり地形が多く認められます。これは、沖縄本島の東側が西側よりも隆起速度が大きいので、中南部では崖高が最も高く、泥岩からなる比較的緩傾斜な斜面の崖高が150〜170mにも達しているためと考えられます。しかし、このような斜面でも表層崩壊的なものが多く、一度に斜面全体が変動する大地すべりは少ないようです。

7. 土砂災害の発生事例
7.1 シャーロット台風(1959)による土砂災害
 戦後(1945)で最も被害が大きかったのは、昭和34年(1959)10月14〜17日に沖縄本島を襲来したシャーロット台風(18号)によるものです。この台風の特徴は、
台風の接近までにかなりの降雨量があり、引き続いて台風による集中豪雨があった。
台風による雨量が前線の停滞による雨量と合わせて556.9mm、日降雨量468.9mm という沖縄測候所始まって以来の記録的豪雨であった。
16日16時から17日未明4時までの短時間に344mmという集中豪雨があった。
大暴風と記録的な雨量が同時に伴った。
ことなどをあげることができます。この台風による被害は、沖縄全島に未曾有の大災害を起し、各地で地すべり、崩壊、土石流が発生しました。死者46人、家屋の流失・半壊1455戸、田畑の埋没106haにも達しました。
 災害の中心地は沖縄本島北部西海岸の古生層砂岩および粘板岩の地帯で、山腹崩壊の大部分がこの地帯に集中しました。今回の調査範囲の中南部地区では、新第三紀島尻累層の泥岩からなる急斜面部に、地すべり性崩壊が多く発生しました。最も大きな被害が発生したのは佐敷村(現南城市)新里で、約2haの地すべり性崩壊が発生し、流出した土砂は下方の耕地3haを埋没させました(図6の北西端)。このほかにも、北中城村熱田、中城村伊集、奥間(図5の中央部)、佐敷村伊原、手登根(図6の中央部)などでもかなり大きな地すべり性崩壊が発生し、田畑に被害を与えています。

7.2 昭和48年(1973)調査時の土砂災害
 6項で説明したように、沖縄本島中南部の島尻累層からなる「クチャ」地帯では、多くの地すべり、崩壊および土石流の痕跡地形が存在します。このような地すべり多発地帯に構築された道路や人家には、昭和47年(1972)5月の施政権返還、ならびに昭和50年(1975)7月20日〜昭和51年(1976)1月18日に開催された海洋博覧会に伴う急激な開発ブームや那覇市のスプロール化に伴って、災害危険度の高い地区にも地すべり対策などがほとんど実施されないまま、道路、宅地(大規模な団地)、工場、レジャー施設などの開発が進み、地すべり危険度を増大させる事例がありました。
 昭和48年(1973年)当時、中城村泊の中城公園下の県道146号、中城村安里の県道35号線、玉城村(現南城市)中山の国道338号のように、地すべり被害が発生した地区もありました。東海岸から西側の海岸段丘面に通じる道路では、多くの地すべり地形を経由するため、道路面に亀裂が発生し、路肩が崩れている箇所もありました。これらは馬蹄形をした地すべり地の頭部に盛土した部分に多く認められました。
 最も大きな地すべりが発生したのは、知念半島に建設工事中の守礼カントリーでした。ここでは大規模な切土工が行われ、3方向の谷部に大量の盛土を行ったために、泥流状の地すべりが発生しました。3か所の谷は自然状態においても、頭部に崩壊地が認められ、土石流の発生しやすい場所でした。そこに水分を含むと軟弱化しやすい土砂(もとは島尻累層の泥岩)を盛土したため、泥流が発生したものです。これらの泥流は谷地形に沿って流下し、キビ畑を埋めてしまい、微粒子は海まで達して海水を汚濁し、漁場に被害を与えました。多量の豪雨があれば、泥流は再発しやすい状態となっていました。現在は対応策が実施され、風光明媚なゴルフ場として有名です。

8.中城(なかぐすく)村安里地すべり(2008)
8.1 地すべりの推移
 沖縄県土木建築部海岸防災課(2008)によれば、平成18年(2008)6月10日に発生した中城村安里地区の地すべりは、長さ500m、最大幅250m、移動土量34万m3と、沖縄県では前例がないほどの大規模なものでした。この地すべりによって、県道35号線および中城村道坂田線が寸断され、中城村北上原地区で17世帯、安里地区で65世帯に避難指示・勧告が出され、一部の世帯では、長期間にわたる不自由な避難生活を余儀なくされました。このように、地域に大きな混乱をもたらした地すべり災害でしたが、幸いにも人的被害がなかったことは、地元住民による前兆現象の発見から、早急な対応がなされた結果です。
 安里地区は、図5の中央部に位置し、沖縄本島中南部の東側の急斜面部に位置します。写真1は国土地理院が平成17年(2005)1月24日に撮影した安里地区の航空写真(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)です。同様に写真2は平成18年(2006)6月21日に撮影した航空写真です(同上)。どの範囲で地すべり変動が発生したかがわかります
写真1 災害前(2005年1月24日)国土地理院撮影(国土地理院HPより) 写真2 災害後(2006年6月21日)(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
写真1 災害前(2005年1月24日)   
国土地理院撮影(国土地理院HPより)
写真2 災害後(2006年6月21日)
(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)

 木崎(1985)によれば、当地区は島尻層群与那原層に対比される泥岩であり、沖縄本島中南部地区から宮古島にかけて広範囲にわたって分布しています。この地層は、数百万年前に深海底に積もった泥でできた地層で、水分を多く含むと固まりが崩れて、どろどろになりやすい性質を持っており、当地では「クチャ」とも呼ばれています。このため、多量の雨によって、地すべりを起しやすい地層であるといわれています。また、丘陵部の東側には北東から南西方向の推定断層があります。
 本地すべり地近傍の胡屋観測所による降雨記録によれば、地すべり発生前(5月1日〜6月9日)の降雨量は533mmであり、地すべり発生日(6月10日)の降雨量は88mm、12日夜までの降雨量は139mmに達しました。

8.2 緊急対策・応急対策
 地すべりは6月10日に一次すべりが発生しました。10日午前11時頃、斜面上部の村道路面に於いて亀裂が拡大し、午後には斜面中腹の県道35号線に隆起が確認されました。午後4時30分頃地すべりが発生し、村道が完全に崩落、県道35号線が地すべりにより寸断されました。午後7時過ぎ斜面上部、北上原地区の集落11世帯30名に避難指示・勧告が出されました。
 さらに6月12日夜に二次すべり(クサビすべり)が発生し、一次すべり体を下方に数十m押出しました。流動化した土塊が民家附近に押し寄せたが、発生後から続けられた緊急対策により、顕著な流動は14日深夜にほぼ終息しました。このため、図9に示した緊急対策が実施されました。
 地すべりの現地調査は6月12日より開始され、6月14日には学識経験者や地すべり専門家による調査が行われました。6月15日に災害救助法が適用され、沖縄県災害対策本部が設置されました。定点カメラやセンサーなどの設置により地すべり変動を監視するとともに、緊急対策に続く応急対策工事の検討が行われ、6月19日より仮設排水路工事が始まりました(図10参照)。
 緊急対策工事に引き続き、図10に示したように、地すべり地内の地表水や地下水排除と地すべり地末端部での二次災害の発生を防止するための仮設土留めなどによる応急工事が平成18年(2006)7月末にかけて実施されました。地すべり変動の監視を行うため、定点観測位置を設け、簡易移動杭やワイヤーセンサーによる半自動伸縮計を設置し、移動量の観測・監視を行いました。緊急時の連絡体制及び対応は、中城村、沖縄県、専門企業が連携して行いました。
図9 安里地区緊急対策平面図(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
図8 安里地区緊急対策平面図(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
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図10 安里地区応急対策平面図(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
図9 安里地区応急対策平面図(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
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8.3 復旧計画・地すべり対策
 学識経験者らにより構成される対策検討委員会が設置され、地すべりの緊急および恒久的な対策の検討が進められました。地すべり本体の対策と県道・村道の復旧のために、測量と調査・設計が行われ、平成18年(2006)12月までに詳細な設計がなされ、図10に示した対策工事が翌年1月より実施されました。この間、災害関連事前協議と本申請、住民への状況と対策の説明を経て、表3と図11に示した対策工事の進捗により(総事業費22.2億円)、災害から1年半を経た平成19年(2009)12月10日に地すべり斜面上の北上原地区に出されていた避難指示(7世帯19名)は解除されました。
表3 安里地区の各事業の概要(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
表3 安里地区の各事業の概要(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
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図10 安里地区全体計画平面図(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
図10 安里地区全体計画平面図(沖縄県土木建築部海岸防災課,2008)
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9.むすび
 以上詳述してきたように、沖縄本島中南部はいわゆる“島尻層”と呼ばれる新第三紀層が基盤をなしており、その上にキャップロックとして珊瑚石灰岩がのる何段かの海岸段丘(高位面の標高150〜170m)と、段丘崖の急〜緩斜面部および沖積低地からなります。この段丘面は東に向かうにつれて高くなっているため、東海岸に面する段丘崖は、150〜170mにも達する斜面になっています、このため、沖縄本島東海岸一帯の泥岩からなる斜面部には多くの地すべり、崩壊、土石流の痕跡地形が存在し、台風などによる集中豪雨や地震などを直接の発生誘因として、7,8項で説明したように多くの土砂災害が発生しています。
 現在は、新型コロナウィルス問題もあり、現地調査をすることはできませんが、少し落ち着いたら、50年前を振りかえりながら現地調査をしたいと思います。

参考文献
井上公夫(1979):7.1.2 広域砂防対策調査,藤原明敏:地すべりの解析と防災対策,理工図書,p.174-207.
井上公夫(1986):写真判読による大規模地すべり地形の変化,地すべり,23巻2号,p.8-16.
井上公夫(1990):地形・地質特性から見た地すべりの危険個所設定に関するコメント,地すべり学会シンポジウム「地すべり災害発生危険個所の把握に関する諸問題」論文集,p.85-88.
沖縄県土木部(1973):沖縄県中南部地すべり地及び急傾斜地調査報告書,日本工営株式会社
沖縄県土木建築部海岸防災課(2008):沖縄県中城村安里地すべり災害と対策の記録,64p.
沖縄県土木建築部河川課(1990):沖縄の砂防,95p.
木崎甲子郎(1982):琉球弧の形成,土と基礎,30巻10号,p.3-5.
木崎甲子郎(1985):琉球弧の地質誌,付地質図,沖縄タイムス社,278p.,
建設省河川局砂防部(1972):急傾斜地の崩壊などによる災害危険個所の総点検の実施要領について,建設省河川局砂防発第50号(昭和47年7月20日)
小西健二(1965):琉球列島(南西諸島)の構造区分,地質雑,7号,p.437-457.
平上誠喜・渡辺興一・井戸徹・川島紘・井上公夫(1973):沖縄本島中南部の地すべりについて,地すべり学会12回研究発表会発表要旨,p.25.
防災科学技術研究所(2013):地すべり地形分布図,57集「沖縄県域諸島」のうち,「那覇」,「沖縄市南部」,「糸満」図幅,防災科学技術研究所資料389号
Flint, D.E., Saplis, R.A and Cowin, G.,(1959):Military geology of Okinawa-jima Ryukyuretto,Intell. Div. Eng. HQ, USAP with USGS, 88p.

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