1. はじめに
私は、ヨーロッパアルプス地方で開催された国際防災会議(Interaevent,インタープリベント)に4回参加させて頂きました。
2004年 イタリア,リーバデルガルダ
2008年 オーストリア,ドルンビルン
2012年 フランス,グルノーブル
2016年 スイス,ルツェルン
図1は、アルプスの範囲図の上に4回の国際防災会議の開催都市と主な都市を追記したものです。これらの時に行われた現地見学会などで、アルプスの各地を見学させて頂きました。2004年の時に現地見学したバイオントダムについては、コラム5で紹介しました。
コラム5 イタリア・バイオントダム(1963)の被災地を訪ねて
土木情報サービス「いさぼうネット」で『歴史的大規模土砂災害地点を歩く』を閲覧して頂くか、拙著(2018, 丸源書店発行)をご覧ください。
図1 アルプスの範囲図の上に4回の国際防災会議の開催都市と主な都市を追記
2016年の国際防災会議中に、以下の本を入手しました。
Eisbacher G.H. & Clague J.J. (1984): Destructive Mass Movements in high Mountains; Hazard and Management, Geological Survey of Canada office, Canadian Government Publishing Center., 230p.
Paravicini F. (2016): Nature recognizes no catastrophes. Canton of Lucerne., 320p.
特に、カナダ地質調査所の本では、アルプス各地で歴史時代に発生した大規模土砂移動を詳しく説明しています。
「新型コロナウィルス問題」で出張・現地調査にほとんど行けず、自宅にいることが多くなったので、塚本良則先生から紹介して頂いた下記の本を読みました。
塚本良則・靖子(2015):老夫婦だけで歩いたアルプスハイキング―氷河の地形と自然・人・材―,山と渓谷,393p.
これら3冊の本などをもとにアルプスで発生した大規模土砂災害の事例を紹介します。
2.アルプスにおける大規模土砂災害の概要
図2は、スイスアルプスの谷と山脈の連なりを示す概観図(塚本良則・靖子,2015)です。塚本先生がSwiss Travel System (2010)のThe classic scenic routesと地勢図(30万分の1)をもとに作られたもので、スイスの地形の全体像が理解しやすくなると思います。スイスと他国との境界は薄紫色でぼかしてあります。スイスの地形は南にアルプスの高山があって、北に平地が広がります。スイスは3つの異なる大地形区から成り立っています。ひとつは南のアルプスの高山区で(図2の茶色部分)、スイス全体の60%を占めます。次はアルプスの北に帯状に広がるミッテルランド区(緑色部分)と呼ばれる緩い傾斜の波状地形で、スイスの30%にあたります。氷期にアルプスから運ばれた土砂の堆積でできている肥沃な土地で、スイスの農業や産業の中心地になっています。3つ目はジュラ山地区(薄青緑色部分)で、標高1000m程度(最高峰ル・ルキュレLe Reculet,標高1719 m)の石灰岩からなる谷密度の小さい山地で、スイスの10%を占めます。地形は農業向きですが、土壌が悪く農業には適さない地区で、時計産業などが発達しています。
図2から分かるように、アルプスやその周辺には湖が多いことがもうひとつの特徴です。これら湖のほとんどは氷河がつくったものです。図2に載るような大きな湖は、アルプス山塊の麓につくられ、谷氷河が流れた方向と一致して南北方向に向いた形をしたものが多いようです。山の中の小さな湖は山岳氷河がつくったカール底に水が溜まったものが多いようです。
図2 スイスアルプスの谷と山脈の連なりを示す地図(塚本良則・靖子,2015)
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図3は、Eisbacher & Clague(1984)に記載されているアルプスの歴史的大規模土砂災害地点です。表1は、Eisbacher & Clague(1984)をもとに作成したスイス国内の歴史的大規模土砂災害の一覧表です。図3の緑下線の数字は、表1のNo.と一致します。
図3 アルプスの歴史的大規模土砂災害地点の分布図(Eisbacher & Clague, 1984)
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ヨーロッパアルプスは土砂災害が比較的少ないと地域と思われていますが、図3と表1を見ると大規模な土砂災害がかなり多く発生している地域であることが分かります。日本列島と比較すると、活火山はほとんどありませんが、アルプス造山運動によって、地盤が隆起するとともに大規模地震が時々発生しており、土砂災害もかなり発生しています。降水量を日本と比べるとアルプスは半分程度ですが、年間降水量が1500mm以上,1000〜1500mmの地区もアルプス南部の山岳部には多く、地中海から吹き込む南風によって集中豪雨が発生すると,土砂災害が発生することがあります。
表1 スイスの歴史的大規模土砂災害の事例(Eisbacher & Clague(1984)をもとに編集)
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表2は、表1をもとに集計した土砂移動形態の一覧表です。表1の134事例(複数回答)のうち、土砂移動形態は崩壊(深層)が55件、崩壊(浅層)が51件、岩石なだれ・落石が46件、氷河性土砂移動が12件となっています。
表3は、表1をもとに集計した発生誘因の一覧表です、豪雨が97件、人為活動が50件、雪解,氷河融解が44件、地震が9件となっています。
図4は、表1をもとに集計した土砂災害の世紀別発生件数を示したものです。16世紀から土砂災害の記録が増え始めています。文明の発達と産業革命、地球の温暖化による氷河の後退などが影響しているのでしょうか。
表2 スイスの土砂災害の土砂移動形態
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図4 土砂災害の世紀別発生件数
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表3 スイスの土砂災害の発生誘因
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アルプス地方は、日本よりも高緯度で標高が高いため、氷河地形(と周氷河地形)が発達しています。日本は地震(活断層)、火山活動が活発で、豪雨を頻繁に受けるため、侵食作用が激しく、非常に複雑な地形をなし、多くの河谷地形が発達しています。アルプス地方は大部分が氷河(と周氷河)地形からなります。しかも,第四紀後半には氷期と間氷期が繰り返し起こったため、氷河地形はかなり複雑となっています。最終氷期(今から1万年前)には山岳氷河がアルプスの多くの河谷を埋めていました。その後、間氷期になると気温が上昇して氷河が後退し、U字谷が残されるようになりました。
図5は、Eisbacher & Clague(1984)の氷河期(左図)と後氷期(右図)の山岳地帯の土砂移動を示した模式図で、山岳河谷地形中の氷河と後退した氷河周辺の土砂移動の形態を示しています。左図に示したように、氷河が発達していると、アルプスの河谷は氷河(Valley glacier)に覆われ、ゆっくりと移動する氷河によって、河谷壁は少しずつ侵食されます。氷河に覆われた河谷の支流からは氷塊を多く含んだ岩塊堆積物(Ice margin deposits)が流出して堆積するが、崩壊や地すべり・土石流はあまり発生しません。氷河の存在しない河谷の急崖部では岩屑なだれ(Rock avalanche)が多く発生します。
図5 氷河期(左図)と後氷期(右図)の山岳地帯の土砂移動
山岳河谷地形中の氷河と後退した氷河周辺の土砂移動
Eisbacher G.H. & Clague J.J. (1984)
図5の右図の後氷期(間氷期)になると、氷河は大きく後退し、急峻なU字谷が形成されます。大規模な氷河の後退では、U字谷の急崖は500m以上に達することもあります。U字谷に流入する支流(Mountain torrent)には厚い岩屑が残されており、岩屑扇状地(Debris fan)が形成されます。U字谷で不安定となった斜面では、地すべり(Sagging slope)が発生することがあり、地すべり土塊が大きく移動して、河道を閉塞する場合があります。
氷河が後退していくと、河床にはモレーン(Moraine,堆石,氷堆石)が残されます。氷河が谷を削りながら時間をかけて流れる時、削り取られた岩石・岩屑や土砂などが土手のように堆積した地形(モレーン)を形成します。氷河が後退すると、モレーンの背後の河谷にはモレーン湖(Moraine lake)が形成されることが多くあります。アルプスでは、高標高部に残る氷河とU字谷、モレーン湖などが、美しい渓谷美を示していますが、土砂災害もしばしば発生しています。スイス、オーストリアは砂防発祥の地です。
最近の地球温暖化に伴って、数百年の間に数kmも氷河が後退していることが報告されています(塚本,2015)。また、モレーン内の氷塊が解けてモレーン湖が決壊する現象(氷河湖決壊,Glacial lake outburst flood, GLOF)が、アルプスやヒマヤラで時々発生し、中・下流域に多大な被害を与えています(山田,2002)。
3.ルツェルン周辺(A69,A71地区)の歴史的大規模土砂災害
図6は、スイスの北東部のルツェルン(Luzern)周辺の1/20万地勢図で、2016年に国際防災会議(インタープリベント)が開催されたルツェルンは、四森州湖(Viervald-statter-see, Lake Luzern,湖面標高435m)の西端に位置する美しい都市です。
図6 スイスの北東部のルツェルン(Luzern)周辺の1/20万地勢図
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図7は、四森州湖(Lake Luzern)北部の土砂災害関連地図(Eisbacher & Clague, 1984)で,図3・表1のA69地区を示しています。1659年6月23日にRigi山(標高1801m)で大規模崩壊が発生し、土石流が流下して下流の集落を襲いました。1764年7月23日に四森州湖の西側地区が激しい豪雨を受け、急勾配の扇状地(Buochs村が存在)を土石流が襲いました。このため、建物12戸が押し流され、11人が死亡しました。1769年12月8日には、Seelisberg付近で石灰岩からなる急峻な尾根部が崩落し、四森州湖に飛び込んで津波を発生させました。1795年7月には、Rigi山塊の麓では集中豪雨に見舞われ、四森州湖に接したWeggis村では1km幅の地すべりが発生しました。崩積土は四森湖に流入し、Weggis村は全壊しました。土塊の移動が緩やかであったため、住民は救出されました。その後、Weggis村はすぐ近くに再建されました。
1801年5月14日にUrner See(四森州湖の奥)に土砂が流入し、津波(段波)が発生し、数戸が全壊し、14人が死亡しました。1879年10月にVitznauerstock山(標高1452m)が大規模崩壊し、土石流が四森州湖にまで到達し、Vitznau集落は被災しました。1964年8月8日にObermattで4万m
3の土砂が湖面に流入しました。
図7 四森州湖(Luzern lake)北岸(A69地区)の歴史的大規模土砂災害地点
(Eisbacher & Clague,1984)
上記のように、四森州湖(Lake Luzern)周辺では、斜面上部で大規模崩壊が発生し、土石流が湖面に到達し、大きな被害がでています。Paravicini (2016)には、ルツェルン周辺の歴史時代の洪水災害や土砂災害を描いた絵図が多く掲載されています。(図8,9に示した絵図は(Paravicini (2016)に掲載されている洪水などを示す絵図で、2016年の国際防災学会のポスター会場でも展示されていました)。
図8,9 ルツェルン市と四森州湖周辺の洪水などを示す絵図(Paravicini ,2016)
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図10に示したように、四森州湖(Luzern lake)の北側のGoldau地区(A71地区)では、大規模土砂移動が繰り返し発生しました。最も古い巨大崩壊の記録は1354年です。1798年、1804年、1805年はかなり降雨の多い年でした。1805〜1806年の冬は極めて積雪の多い年で、Rossberg村は積雪で孤立しました。1806年9月2日に1000〜2000万m
3の巨大崩壊(岩石すべり)が発生し、300戸が全壊し、457人が死亡しました。この崩壊土砂は、Lauerzer湖にまで突入し、高さ20mの津波が発生しました。1806年の災害は極めて大きく、復旧はなかなか進みませんでした。1874年8月には小規模な岩屑なだれが発生しました。鉄道の開通でGoldauの復興事業は進みました。
図10 Goldau地区(A71地区)の歴史的大規模土砂災害
(Eisbacher & Clague,1984)
Goldauには動物園がありますが、園内には巨大崩壊で流下してきた巨石が多く存在します。園内の建物配置はこれらの巨石群を利用しており、特異な地形となっています
毎年ルツェルン市に行かれている児井正臣様(娘様ご家族が同市に在住)から、Goldau動物園の貴重な写真(写真1,2)とコメントを頂きました。
「私は2000年からほぼ毎年ルツェルンに行っていますが、スイスは火山がないと聞き、土砂災害には全く関心を持っていませんでした。リギ山には何度も行き、フィッツナウからの登山電車にも乗っていますが、これらの地で死者がでるほどの大規模土砂
災害が起きたと聞いて驚いています。ゴルダウ動物園には2回(2010年と2017年)行きましたが、2回目に行った時には、多くの樹木が生い茂り、岩も苔むした感じでした。展望台に上がると(写真1)、土砂崩れの跡がわかりました。動物園といっても、1周が1km近くもあるような範囲に熊と狼が一緒に飼われており(写真2)、ゴツゴツした岩山は自然のままでした。「狼の遠吠えタイム」があり、人間が何かの仕掛けをすると、十数匹の狼が次々と遠吠えをはじめ、なかなか迫力がありました。」
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写真1 Goldauの動物園の展望台からの遠景 |
写真2 園内の転石と飼育場 |
(2017年 児井正臣撮影)
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4.インターラーケン周辺(A22地区)の歴史的大規模土砂災害
2016年の国際防災会議の現地見学会では、図11の地勢図に示したルツェルンから南に2時間ほどのブリエンツ湖(Brienzer See,Lake Brienz)周辺を案内して頂きました。国際防災会議終了後、インターラーケン(Interlaken)からグリンデルバルド(Grindelwald)に行き、1泊してから登山電車でユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)まで登りました。その時のコースを赤線で示しました。
図11 インターラーケン周辺の1/20万地勢図(赤線は2016年の経路)
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図12は、ブリエンツ湖東部の土砂災害関連地図(Eisbacher & Clague,1984)で,図3,表1のA22地区を示しています。ブリエンツ湖(Lake Brienz,標高570m)はアーレ(Aare)川の河谷の凹地に形成されています。ブリエンツ湖東側の北側には、Brienzer Rothorn山(標高2350m)が存在し、Trachtbach川、Schwanderbach川、Lammbach川とEistlebach川などで、昔から多くの土砂災害の記録があります。これらの渓流の下部には土石流扇状地が発達し、Brienz、Schwanden、Kienholz、Hofstettenなどの集落が立地しています。
1499年に豪雨を誘因として、Lammbach川上流で大規模地すべりが発生し、崩落土砂は渓流を河道閉塞しました。その後決壊して多量の土砂が土石流となって、ブリエンツ湖畔に立地していたKienholz集落を襲いました。流下土砂は集落を10mの厚さで覆い、400人の犠牲者がでました。この土砂流出でブリエンツ湖の湖岸線は100m西へ移動しました。その後も1529年、1542年、1616年に小規模な土石流が発生しました。
図12 ブリエンツ湖東部地区(A22地区)の歴史的大規模土砂災害
(Eisbacher & Clague,1984)
1624年にはEistlebach川からの土砂流出で、Hofstetten集落が被災しました。1797年にはLammbach川、Schwanderbach川、とEistlebach川で土石流が発生し、37棟の建物が破壊されました。
1824年11月2日には、Brienzer Rothorn山の山頂付近から崩落し、Trachtbach川を土石流(巨礫を伴って)が流下しました。1894年には再び土石流が流下し、建物や道路網に激甚な被害を受けました。
現地見学会では、これらの渓流に設置されている多くの砂防施設を見学しました。写真3は、ブリエンツの渓流の道路防災施設です。豪雨を受けて土石流の発生が想定される時には、道路を下流側に移動させ(移動させても車両の通行は可能)、渓流の流下断面を大きくして、氾濫を防いでいるとの説明でした。
写真3 ブリエンツの渓流を通過する道路の防災施設
土石流が流下する危険性がある時には橋を下流に移動させる
図13は、インターラーケンの上空から南のユングフラウ山方向を眺めた鳥瞰図で、美しい氷河地形とグリンデルバルドとラウターブルンネンの谷地形のパノラマ図を示しています(塚本良則・靖子,2015)。塚本ご夫妻は、『老夫婦だけで歩いたアルプスハイキング―氷河の地形と自然・人・材―』で、アルプスのハイキングの様々な思い出を語っています。赤線で示したコースは、実際にご夫妻が歩かれた16のコースを示しています(スイス全体で50コース)。80歳前後でこれらのコースを踏破されており、その健脚ぶりに驚かされます。
私達は、ルツェルンから列車でインターラーケンに行き、登山鉄道でグリンデルバルド(1034m)に行って泊まり、その辺を散策しました。翌日、登山電車に乗りクライネシャイデック駅(2061m)で乗り換えて、アイガー山(3970m)の山体をトンネルで通過して、ユングフラウヨッホ駅(3454m)まで行きました。ユングフラウヨッホ展望台(3571m)で、周囲の山々(メンヒ山4107m,ユングフラウ山4158m)を眺めるとともに、アレッチ氷河の雪原を歩きました。帰りは、クライネシャイデック駅で登山電車を降りて、展望台に行き、アイガー北壁の雄大な垂直に近い急斜面を眺めました。この近くに写真4に示した説明看板があり、1969年に辰野勇・今井道子をはじめとする日本隊が登った北麓の直登ルート(赤線)が示されていました。
その後、登山電車でインターラーケンまで戻り、宿泊しました。
図13 グリンデルバルトとラウターブルンネンの谷地形のパノラマ図(塚本良則・靖子,2015)
インターラーケンの北の上空から南のユンフフラウ山方向を眺めた鳥瞰図
赤線と番号は塚本ご夫妻がハイキングされたコースを示す
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図14は、グリンデルバルドからアイガー山(3970m)、メンヒ山(4107m)、ユングフラウ山4158m)周辺の1/5万地形図です。グリンデルバルド(標高1034m)からユングフラウヨッホ駅(標高3454m)まで登山電車で通ったルートをピンク色で示してあります。ユングフラウヨッホ駅から南側には見事な氷河の白い雪原が続いており、500mほど雪原を歩きました。
図14 グリンデルバルトから登山電車でユングフラウヨッホまでのルート
(1/5万地形図に登山電車のルートを追記)
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5.モンブランの雪崩災害と防災施設
2012年の防災国際会議は、フランスのグルノーブルで開催されました。現地見学会は、モンブラン付近の雪崩防災施設のコース(エクスカーション5)を選びました(図15)。グルノーブルからバスでシャモニー近くのタコノス(Taconnaz)に着きましたが、雪が舞い始めモンブラン等の山頂部は見えませんでした。
図16の1/2.5万地形図と写真5に示したように、モンブラン(標高4807m)の山頂付近から流下するタコノス沢があり、雪崩開始標高は4000m付近で流下距離7500m,平均勾配46%、流下幅300〜400mの渓流で、1900〜2000年の100年間に75回雪崩が発生したと説明を受けました。
図15 モンブラン周辺の1/20万地勢図(Taconnazに雪崩防止施設)
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土石流扇状地の下部地区にはタコノス集落が立地していました。1999年に大規模雪崩が発生し、タコノス集落を襲いました。雪崩災害前から土石流扇状地の上に、写真6に示した雪崩堆砂施設が建設されていました。しかし、1999年の大規模雪崩は、この雪崩堆砂施設を乗り越え、タコノス集落を襲ったようです。その後、雪崩堆砂施設は強固に補強されました。堆積地内には流下する雪崩の流下力を押さえるため、防護壁(Deflecting Walls)が模型実験の結果をもとに構築されました。雪崩堆積施設の上に上がりましたが、降雪が激しくなり、良い写真は撮れませんでした。
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図16 タコノス沢付近の1/2.5万地形図
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写真5 タコノス沢の雪崩流下堆積地形
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(青線は1999年の雪崩の流下堆積範囲,現地見学会の案内書より)
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写真6 タコノス沢の雪崩堆積施設と防護壁(現地見学会の案内書より)
6.オーストリア・ツェルアムゼー(Zell am See)の土砂災害
2004年8月にオーストリアの砂防施設を現地見学する機会を得ました。図17はその時の移動コースで、ザルツブルク(Salzburg)からツェルアムゼー(Zell am See)まで周辺の砂防施設を見学して回りました。そして、ツェラー湖畔の治山事務所の宿泊施設に泊めて頂き(2泊)、周辺の山をハイキングしました。翌日にキッツシュスタインホルン山(Kitzateinhorn,標高3203m)まで登山電車(その後車両が全焼する事故あり)で行き、山頂部付近の素晴らしい景観の氷河の上を歩くことができました。
ツェルアムゼーはツェラー湖 (Zeller See,標高750m) のほとりにある小さな町で、周囲は2000m前後の山で囲まれています。740年にザルツブルグ大司教ヨハネスの命により、修道士がこの地に村を創りました。今は一年中人気の高いリゾート地(冬はスキー、夏は湖岸沿いのサイクリングや湖でのウォータースポーツ)となっています。また、この地域は、映画「サウンドオブミュージック」のトラップ大佐の次女が生まれた場所でもあります。
その後、インスブルック(Innsbruck)からイムスト(Imst)を経てゾルデン(Solden)まで行き、多くの砂防施設・雪崩防止施設を見学しました。この中で一番い印象に残ったツェルアムゼー周辺の土砂災害と防災施設について説明します。
図17 オーストリア西部の現地見学コース(1/50万案内図)
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図18 ツェルアムゼーの地形概要と繰り返し発生した土砂災害
(Eisbacher & Clague,1984)
図18は、ツェルアムゼー(Zell am See)周辺の土砂災害関連地図(Eisbacher & Clague,1984のA130地点)です。町の中心部からケーブルカーに乗って、標高 1967 m のシュミッテンヘーエ山の山頂へ行きました。そこから尾根伝いに北へ回り、反対側のケーブルカーで町に戻りました。この尾根道はツェラー湖、そこに流れ込むシュミッテン(Schmitten)川と見事な土石流扇状地の上に発達したツェルアムゼーの町が良くみえました。また、前日登ったキッツシュスタインホルン山が良く見えました。
1567年10月29日の豪雨で、大規模な土石流がシュミッテン川を流下し、ツェルアムゼーの町を襲いました。1598年、1632年にも災害が発生しています。1737年7月3日の激しい豪雨で土石流が流下し、多くの人家を破壊するとともに、死者4人となりました。7月21日にも2回目の土石流が発生しました。その後も災害が発生したため、1817年には住民が250mの長さの石積擁壁を建設しました。しかしながら、1834年と1879年には石積擁壁を土石流が乗り越え、1884年7月17日には集中豪雨によって集落が破壊されました。これらの堆積物は1.5mも堆積したため、図18の右下写真に示したように、教会の入口は街路より低くなり、現在では階段で降りています。19世紀には平均2万m
3/年の土砂の流出・堆積がありました。1886年からシュミッテン川では、流域内の組織的造林や砂防堰堤、流路工などの建設が開始されました。その結果、年平均流出土砂量は1200m
3/年に減少しました。19世紀後半の50年間に、ツェルアムゼーの町は観光の中心地となり、シュミッテン扇状地の上に多くの建物が建設されました。
写真7 シュミッテン山の尾根部からツェル湖と土石流扇状地の上に発達した町を望む
伐採跡地には木製の雪崩防止冊が多く建設されている(2004年8月井上撮影)
1966年7月12日には円形のシュミッテン川流域に60mm/90分もの集中豪雨があり、土石流や浅い地すべりが発生し、主流路を閉塞しました。このため、ツェルアムゼーの町を流木や移動岩塊が襲い、70戸の建物が全壊し、6人の犠牲者がでました。1966年8月15日〜19日の豪雨では、別な箇所で土石流が発生し、被災しました。
今日ではシュミッテン川には多くの砂防堰堤や流路工が建設され、斜面の森林面積は1884年の58%から1975年の75%に増加し、安定化しつつあります。しかし、高標高部で新しいスキーコースが建設され、侵食に対する危険度は増しているようです。
写真7は、シュミッテン山の尾根部からツェラー湖と土石流扇状地の上に発達した町を望んだものです(2004年8月井上撮影)。伐採跡地には木製の雪崩防止冊が多く建設されていました。関係者の話では、木製で弱いと思われるかもしれないが、植林した木が順調に育っていけば、雪崩は発生しなくなるので、それまで木製の防護柵が持てば良いとのことでした。自然環境に配慮した施設だと思いました。
7.むすび
アルプス地域の大規模土砂災害の事例を紹介しましたが、山岳部の鉄道や山岳鉄道をみると、極めて急峻な斜面に建設されていることに驚かされます。鉄道の建設と維持管理は土砂災害との闘いだったようです。「新型コロナウィルス問題」で日本ではあまり報道されていませんが、ヨーロッパ各地で、洪水氾濫が多発しています。佐川(2009)『パリが沈んだ日―セーヌ川の洪水史―』では、1910年1月にパリのセーヌ川で長期間続いた洪水・氾濫状況を説明しています。セーヌ川などのヨーロッパの河川は、ピーク流量が冬場に現れ、洪水期間も1か月以上に及ぶことが多いようです。
多くの報道情報によれば、2021年2月7日にヒマラヤ山脈が連なるインド北部、ウッターラーカンド州チャモリ地方ライニ村から下流にかけて、洪水が発生しました(小森,2021.2.10)。当初は氷河湖決壊洪水の可能性が指摘されましたが、原因は氷河崩壊であることが分かってきました。2月10日現在、死者・行方不明者190人以上で、Rishi Ganga水力発電所(13.2MW,取水口標高2050m)とTapovan Vishnugad水力発電所(520MW,取水口標高1800m)が流失しました、
NHKのニュース画像を見ると、決壊洪水の激しさに驚かされます。Nanda Ghunti峰(6309m)の北側稜線2.5kmの北向き斜面の懸垂氷河(分布標高6000〜5500m)のうち、最大0.2km
2の範囲(厚さ平均10mと仮定すると、全氷河・移動土塊量は2000万m
3)がRishi Ganga川の左岸支流に崩壊したことが速報されています。周辺は世界遺産のナンダ・デヴィ国立公園の南部に位置します。
Google Earthの2017年10月7日の画像によれば、崩壊した氷河の本流合流点(3800m)には、谷底に岩屑の堆積物が細長く分布しており、陥没や割れ目の入り方から内部には氷体の存在が予想されます(小森,202.2.10)。これは今回崩壊した氷河の周囲での過去の氷河崩壊を起源とする再生氷河(トルキスタン型氷河)と考えられます。この再生氷河の長さは変動しており、特に2013年〜2014年6月と2015年5月〜2017年10月までの2期間には、再生氷河がそれ以前と比べて1km以上拡大しています。このことは、今回の崩壊より規模が小さいとしても、懸垂氷河周辺からの崩壊が繰り返し起こったことを示しています。
氷河崩壊による災害は、1965/2000年のスイスアルプスAllain氷河、2002年カサフス山脈北麓Kolka氷河(死者約140人,岩盤を含む)、2012年カラコルム山脈パキスタン側南麓Gayari氷河(死者139人)などの事例があります。氷河崩壊は一回の発生で大きな被害をもたらすうえに、事前の予測が極めて困難です。
この事例については、注意深く報道を閲覧して行きたいと思います。
引用・参考文献
Eisbacher G.H. & Clague J.J. (1984): Destructive Mass Movements in high Mountains; Hazard and Management, Geological Survey of Canada office, Canadian Government Publishing Center., 230p.
ブルーガイド編集部(2014):わがまま歩きJスイス,実業之日本社,360p.
檜垣大助・八木浩司(2021.2.14):緊急報告2021年2月7日インドウッターランド州の突発洪水をもたらした岩盤崩壊の発生,日本地理学会災害対応委員会,2p.
檜垣大助(2101.2.22):インドウッターカンド州で発生した岩盤氷河湖崩壊と鉄砲水,ネパール治水砂防技術交流会の情報ページ,p.1
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