私の読書時間は、まとまって時間がとれる出張時の移動中を除けば、就寝前の5分〜30分がメインである。時間に幅があるのは、「眠いか眠くないか」と言うよりは「本が面白いか面白くないか」によるところが大きい。勿論、時間の経つのも忘れ徹夜したことも若い時にはあったし、50を過ぎた今でも眠れぬ時は無理矢理徹夜することもある。一方で、途中何ヶ月も休み、足掛け2年経つのにまだ読み切っていない本もある。総じて、睡眠効果が高いのは専門書に多く、史実に基づいた小説やエッセイ、レポートなどは睡眠効果が低く長時間読めるのが私の特徴である。要するに勉強嫌いなのである。
そんな私からすると、『その歳で、そのバイタリティー、子供のような飽くなき好奇心はどこからくるの』と聞いてみたくなるような女流作家がいた。幸田文(1990年没)である。幸田露伴の娘と言えば、年輩の方には分かりやすいだろう。その幸田文が書いた本に、以前から読んでみたいと思っていたエッセイがある。金沢の店頭で探していたものの長い間見つけることができずにいたが、今回東京の書店で見つけやっと手に入れることができた。「崩れ」(講談社文庫)である。
砂防畑の技術者にはお馴染みの安部川の大谷崩れや富士山の大沢崩れ、立山の鳶山崩れなど大規模な土砂災害地の見聞録で、専門書では味わえない何とも言えぬ人の温もりが感じられ、30分は優に楽しむことができた。
土砂災害と言えば、梅雨時や台風シーズンになると毎年のように悲惨な被害を発生させている。今年も既に、宮城県北部を襲った地震を始め、熊本の土石流災害や台風十号による水害・土砂災害など、まだ耳に新しい災害が各地で発生している。日本は正に災害多発国だと言うことを再認識させてくれるが、痛ましい犠牲者報道だけは聞きたくない。一般の人々が幸田文のように「崩れ」に対し関心を持つようになれば、最悪の事態だけは避けることができるのではないかと思っているが、関心は低いようだ。行政も一般市民の関心を高める為の広報活動を行っているのだが、今ひとつ浸透しない。そこで、私が考えた方法を実施してみてはどうだろうか。土砂災害に関するものをNHKの「プロジェクトX」で取り上げてもらうことである。難しいことではないと思うのだが……。
話は少し横道にそれたが、「崩れ」に戻ろう。「崩れ」は1976年(昭和51年)、幸田文72歳の時に「婦人之友」に連載されたもので、1994年に文庫本として発行されている。訪れた崩れは、上記の他に静岡県の由比と大崩れ海岸、新潟県の松之山地すべり、日光男体山の崩れ、長野県の稗田山崩壊と姫川の暴れ、桜島、有珠山と正に北は北海道から南は九州まで、72歳の年齢を感じさせない行動力である。
文中、林野庁広報課から建設省富士砂防工事事務所(※省庁名は執筆時のまま)へ作者を紹介する電話が入るのだが、その内容が作者も言っているようにふるっている。
『──幸田さんは年齢72歳、体重52キロ、その点をご配慮──どうかよろしく』
この意味はやがて分かるのだが、その辺りを表現した私の好きな行を紹介しよう。
『負うてもらって行けば、驚いたことに、私が自分の足で行くより、ずっと速いのだった。私の体重は正味五十二キロ、そこへ寒くないようにと、しっかり着込んだ風袋を加えれば、負う人にとってはそう楽な重さじゃないと思う。(中略)ひょいひょいと軽く行き、のしのしと強く行く』
専門書には無い味わいが伝わってくると思うが、如何だろうか。決して、専門的に深く追求している本ではないが、技術的な視点以外から日本を代表する崩れを見つめてみるのも良い機会ではないかと思う。
睡眠効果はあまりないが、枕の友としてお薦めの本である。 |