梅雨寒の7月が終わり8月に入った途端にこの猛暑である。「誰が見ているでもなし」と、できうる限りの涼しげな格好で寝てみてもなかなか眠れない。「エエ〜イ! クーラーは使うものか」と見得を切った手前、やせ我慢をして目を瞑ってみるものの頭は冴えるばかりである。
それではと、夏にふさわしくペンギンを「一匹、二匹、・・・・」と数えてみても効き目がない。いっそ難しいことを考えたら眠くなるかと社会問題を思い浮かべてみたが、不況、拉致事件、イラク問題、頭の砂漠化問題など暗い話ばかりで、かえって滅入ってしまい逆効果である。何とか諸問題を解決しようと記憶容量の減った頭をいくら使っても、所詮市井人のたわごとで解決できるはずもなく、ただただ溜息と眠れぬ焦りが増すばかりである。薄暗い洗面所の鏡で我が顔をのぞき込んでみれば、過ぎゆく時間とともに顔の表情が貧困になり胃も痛むようになってきた。別に食べ過ぎではない。飲み過ぎはあるかもしれないが・・・。
「これではいかん」と思いながら鏡を見ていると、突然頭の上に電球がついた。そう、妙案が浮かんだのである。妙案とは、「眠たくなければ起きていればいいんだ!」である。こんな単純なことがなぜ思いつかなかったのか腹立たしいが、兎に角起きていることに決めた。そこで、「起きているためには時間が経つのを忘れるくらい面白い本を読みことが一番」と考え、以前読んだ中で一番面白かった本を読むことにした。柳家小三治の噺の枕を集めた本「ま・く・ら」(講談社文庫)である。
本を読みながら一人笑っている人を見ていると何となく気持ちの悪いものであるが、この本は読みながら笑える数少ない本の一冊である。深夜、しかも薄暗い部屋の中で息を堪えながら笑っている姿は何とも異様だが、ベッドの上で体は揺れ、時間の経つのも忘れさせてくれる。
噺の枕とは、落語家などが本題の噺の前に付けて話す短い話のことであるが、小三治の場合はことのほかこの枕が面白く、とうとう本になってしまった。アメリカに一人旅行した時の話を語った「ニューヨークひとりある記」、3週間の語学留学体験の「めりけん留学奮戦記」、生玉子をご飯にかけて食べるだけの話の「玉子かけ御飯」等等、とにかく面白い。
特に私が好きなのは、オートバイ用の駐車場にホームレスが住み着いた「駐車場物語」である。ホームレスの自称長谷川さんと小三治の何とも言えない浮き世離れしたやりとりと、長谷川さんを暖かくそして豊かな感性で描写する小三治の語りは、とにかく面白く抱腹絶倒の話である。是非眠れぬ夜の読み物としてお薦めしたい一冊である。 |