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『幼い頃の記憶』

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   2003718

 今、我が家の玄関では芳しい香りの梔子(くちなし)の花が真っ盛りである。朝晩の出入り時、さわやかな目覚めと疲労回復の特効薬として、アロマセラピーの役目を果たしてくれている。私の大好きな花の一つである。花は、小椋佳風に言えば「真綿色」しているのだが、秋に付ける実は黄色である。

  毎年この時期になりこの芳しい香りが楽しめるようになると、決まって幼い頃のかすかな記憶が戻ってくる。多分4,5歳の頃のことだと思うが、梔子の実で黄色く色付けした餅やヨモギで色付けした草色の餅を、大人数でついている情景である。丁度その頃父が亡くなったのだが、父の記憶はほとんどない。しかし、不思議と梔子で色付けした餅をついている情景はしっかりと記憶に残っている。今から考えれば、父の死のほうがどれだけショックだったか計り知れないのに記憶にはない。幼い頃から食べ物に執着していたわけでもないと思うが、不思議だ。「父の最期は病床に伏せていた」と母から聞かされているので、記憶に残るようなことがなかったのかもしれないが、それにしても食べ物のことしか記憶にないとは親不孝者である。

 そういえば、私の右脳に刻み込まれた幼い頃の記憶は、食べ物に関することが意外と言うか当然と言うか、兎に角多い。食べ物に関することしか思い出せないのかもしれないが、「母の実家でヤギの乳を初めて飲んだ時の美味しかったこと」、「ザリガニを茹でた時の鮮烈な赤色に驚いたこと」、「お富さんの家の前にある金柑を『死んだ筈だよお富さん〜』と【春日八郎のお富さん】を歌いながら失敬して怒られたこと」など、入学前の記憶だけでも枚挙に暇がない。 
 小学校に入り、一気に世間が広がると新たな体験が次々と記憶に書き加えられていった。給食で初めて食べた「コッペパンや脱脂粉乳」は「世の中にこんなに美味いものがあったのか」と私を感激させてくれた。今で言えば、初めてハンバーガーやジュースを口にした子供の感激と同じと言えば、言い過ぎだろうか。給食は「学校に行く楽しみ」の大部分を占めるように成って行ったが、月に1回全校生徒の食卓に上った「鯨肉の竜田揚げ」はそれを決定的なものにした。少し顎の力は必要だったが、今の私の体力と咀嚼力を付けてくれた栄養源だった。
 ほとんどが美味い記憶なのだが、たった一つまずい記憶がある。小学校低学年の時に飲んだ(飲まされた?)虫下しの薬「海人草」である。まずかった! 腹の中の回虫を退治してくれる有難い薬なのだが、なかなか飲み込めなかった。しかし、こんな記憶を持てるのも無農薬&有機栽培のお陰だとすれば、昔に戻るのも健康の為には良いのかもしれない。

 私の幼い時の記憶で悲しい記憶は意外と少ない。記憶として蘇って来るのは食べ物をはじめ楽しい記憶が多い。何故だろうかと今振りかって見ると、それは多分不足していたからだと思う。よく言われる「腹八分」である。チョット不足している状態だったのではないだろうか。そして、時々腹一杯になり、その時「幸せ」を感じ記憶にインプットされたのだろう。「物より思い出」というコマーシャルがあるが、思い出になる(記憶される)ためには「幸せ」を感じる必要がある。「幸せ」を感じるためには、「日頃はチョット不足状態で時々腹一杯になること」が、子供にとっては大変重要なことだと思っている。 
  我が家の高三の次男もチョット不足している状態が、約2年半続いている。携帯電話である。幾たびかの交渉を重ね「携帯電話は高校卒業してから」と決めたが、彼にとって長かったであろう不足状態ももうすぐ解消される。半年後にはきっと「腹一杯になり幸せを感じてくれる」のではないかと、今から楽しみにしている。 

【文責:知取気亭主人】

 

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