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『菅原道真の祟り? 鰤が目を覚ます?』

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   2003年11月28日

 11月23日は24節気の1つ「小雪」に当たり、通常であればこの頃から冬型の気候が強まるとされている。ところが今年は、「例年になく・・・・・・」と言えばいいのか、「温暖化の影響で予想通り・・・・・・」と言えばいいのか、いずれにしても暖かい。もうすぐ12月になろうとしているのに、ここ北陸の金沢では最高気温が20度を超える日さえあり、私の嫌いな冷たい霙(みぞれ)も未だ本格的に降っていない。日本海側の冬の風物詩である雷も遠雷すら聞こえてこない。 
 静岡で生まれ育った私は、金沢に来るまで雷は夏に鳴るものだと思っていた。当時の記憶を辿れば私の中の雷は、入道雲、麦藁帽子とランニングシャツ、そして蚊帳を連想させる。蚊帳と言っても今の若い人はご存じないだろうが、下水道が未整備だった昭和40年代前半まで、蚊に刺されないで安眠する為の必需品であった。その蚊帳が、私にとって蚊除けばかりでなく雷除けにも威力を発揮していた時がある。小学校に入るか入らないかの頃だったと思うが、雷が鳴ると急いで蚊帳に飛び込み、蚊帳の中で『クワバラ、クワバラ、・・・』と言ってじっとしていたのを懐かしく思い出す。

 『雷はね、菅原道真の祟りだよ。その昔、大宰府に流された菅原道真公が、雷様になって恨みを晴らすようになったんだとさ。だけど、領民思いの道真公は、昔領地だった桑原(クワバラ)にだけは雷を落とさないそうなんだよ。だから、クワバラ、クワバラ、と唱えると自分の領地だと勘違いして落とさないんだよ』

と母が寝物語で語ってくれた。小さな手を合わせ大きな声でクワバラ、クワバラと唱えていた坊主頭の自分の姿が走馬灯のように浮かぶ。忘れていた純真な自分がそこにはいる。

 一方、北陸の雷は冬がシーズンである。今から35年前に初めて迎えた金沢での冬、丁度「小雪」の頃から始まる曇天の毎日と夕暮れかと見紛う薄暗い空から降る冷たい霙、そして強烈な雷に、本当にここは日本か、と思ったものである。本格的な冬に入り雷鳴と共に“バリバリ”と音を発てて降り始める霰(あられ)や雹(ひょう)を体験した時にも、何事が起こったのか、と目が点になったが、その時生まれて始めて霰と雹を知り、冬には寒い冬冷たい冬があることを知った。静岡の冬は木枯らしの吹く乾いた寒い冬であり、金沢の冬は太陽が顔を隠す湿った冷たい冬である。
 もう1つ、北陸に来て初めて知ったことがある。冬に鳴る雷を「鰤起こし」と呼ぶことである。広辞苑によれば、丁度鰤の漁期に鳴る雷をそう呼んでいる、とある。そう言えば、冬の味覚の代名詞であるズワイガニもこの頃漁期となる。「鰤も蟹もあの大きな雷鳴にビックリし、鰤は目を覚まし右往左往しているところを、蟹は泡を吹き気絶したところを生け捕りされる」と考えれば、何となく納得できる。勿論そんなことは有り得ないだろうが、北陸地方の人達は、うっとうしい天候と引き換えに美味しい食材を与えられたのかもしれない。これが、菅原道真の計らいだとすれば、結構粋なことをするものである。

 ところで、冬の雷と言えば風力発電にとって重大な障害を与える厄介者であるようだ。11月17日付けの日刊工業新聞によれば、日本海側の冬の雷は欧米の雷に比べ破壊的な威力を持っていて、これを解決するのが結構重要らしい。そう言えば、若い頃に読んだ「雷」(岩波新書、中谷宇吉郎著)を手に取り繙いてみると、「雷雲の電気は何百万ボルトにも達する」と書いてある。鮮明に記憶に残る稲妻の写真も懐かしい。私が生まれる10年も前に執筆された古い本だが、鰤の刺身でも食べながら捲ってみたいと思う。

【文責:知取気亭主人】

『 雷 』
【著者】中谷 宇吉郎

出版社】:岩波新書46
初版・1939年9月29日

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