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『一押しの一冊』

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   2004年 5月 7

 今年も新緑の美しい季節がやってきた。日本民族大移動のゴールデンウィークも終わろうとしているが、新緑や野山を彩る草花、さらには小鳥たちのさえずりを求め野山に出かけた方も多いことだろう。これから夏に向かい日一日と緑の絨毯が山頂めざし、山々の賑わいを取り戻す季節となってきた。各地で山開きが行われる時季でもある。
 北陸でも、富山県で宇奈月温泉から欅平までのトロッコ電車が運転を始めた。多くの観光客が訪れるトロッコ電車だが、春の新緑から秋の紅葉まで渓谷の自然美を堪能させてくれるこの黒部峡谷鉄道が、太平洋戦争開戦の5年も前に開通したことを知っている人は意外と少ないだろう。黒部峡谷鉄道は、昭和11年6月に日本電力株式会社(戦争遂行のために設けられた電力国家管理法にもとづいて、黒部第三発電所工事を最後に解体された)によって開通された資材運搬用の軌道である。

 トロッコ電車に乗ったことが有る人は勿論、これから乗ってみたいと思っている方、さらには土木分野に携わる人達に是非読んでいただきたい「一押しの一冊」が、その日本電力株式会社が計画した黒部第三発電所工事を扱った吉村昭の小説『高熱隧道』(新潮社)である。今は亡き石原裕次郎主演の映画『黒部の太陽』で有名な黒四ダム工事と混同されるかもしれないが、映画は第三発電所のさらに上流に建設された黒部第四ダムの工事を扱ったもので、工事時期もほぼ20年の開きがあり黒四ダムは敗戦後の昭和31年に着工されている。一方、小説が扱う第三発電所工事は、トロッコ電車の終点「欅平」からさらに上流の仙人谷に取水用のダムを建設し、そこでせき止めた水を導水トンネルで下流に送り欅平で一気に落下させて発電しようとする計画で、昭和11年8月に始められた。
 千人谷での取水用ダムの構築・取水口・沈砂池の建設、千人谷から欅平までの水路・軌道トンネル(総延長約5.2q)の掘削、欅平の発電所建設工事が主なもので、3工区に分けて発注され最も下流側の工区は現在のスーパーゼネコンである大林組が受注している。最上流工区(第一工区)のトンネル705bが、タイトルにもなっている高熱隧道である。この工区を請け負ったのは加瀬組であったが、掘削の進捗に伴い坑内の岩盤温度は上昇し続け、このことが原因で約一年後の昭和12年、工事を続けることに技術的な自信を失い工事放棄をしてしまう。資金的な問題もあったようだが、それほどまでに岩盤温度の上昇はすさまじく、ダイナマイトの自然発火など作業は困難を極め、加瀬組の後を引き継いだ第一工区第二工区の両工区を施工した佐川組の犠牲者は233名に及んでいる。
 本のタイトルにもなっているように、岩盤温度は想像を絶するもので、具体的な岩盤温度が記されている行を紹介するが、尋常な温度ではない。

 『岩盤温度は、特に千人谷側坑道で上昇がいちじるしく摂氏130度を突破、また阿曽原谷側坑道でも140度台を常時記録するようになっていた。そして熱湯の噴出による火傷事故も何度か起こって……』(※太文字強調は知取気亭主人による)

 身の回りのことと比較してみればわかるが、たった45度の風呂でさえ、入ろうとしても熱くて入ることができない。ましてや100度を越す温度となれば、忽ち火傷するのは必定である。そのため現場では工事遂行に向けいろいろな工夫が取られ、高熱対策として通常のトンネル工事では必要ない工夫の配置も行われていた。切端で削岩機を使う工夫にホースで冷水をかける工夫そのまた工夫に水をかける工夫、彼らは「かけ屋」と呼ばれ重要な任務を担うことになる。

 また、黒部のような山岳地帯では、地下深部の高温岩盤だけではなく全てを包み込む純白の雪も時として牙をむく。第二工区の志合谷では、音速の3倍以上の速さを持つとされる爆風を伴うホウ(泡)雪崩が発生し、鉄筋コンクリート5階建て宿舎の2階以上が忽然と消え、75名の尊い命を奪っている。ホウ雪崩の破壊力はすさまじく、想像を絶する光景を目にすることになるが、その辺りを吉村は次のように表現している。

 『爆風は、宿舎の二階から上部をきれいに引き裂いて、比高七八メートルの山を超え、宿舎地点から五八〇メートルの距離にある奥鐘山の大岩壁にたたきつけている。途中に宿舎の破片らしきものがなにも発見されないところから、宿舎は、そのままの形で深夜の空中を運ばれたと想像された』

 建物、しかも頑丈で重い鉄筋コンクリート製の宿舎が、500メートル以上も空中を飛ばされるなんて想像できるだろうか。よく雪深い山には魔物が棲むといわれるが、正に魔物の仕業としか言いようがない壮絶な事故であった。
 このような熱地獄や白い魔物との戦いに果敢に挑んでいく男たちの姿は、真に迫り来るものがあり胸を熱くさせる。有無を言わせぬ自然の猛威に挑んだ難工事は、資材、機械、工法、どれを取っても現在よりもはるかに劣る状況の中で、昭和15年11月21日遂に完工した。自然の圧倒的な力と人間の持つ可能性を改めて感じさせてくれる本である。

【文責:知取気亭主人】

『高熱隧道』 (改版)       
【著】吉村 昭

出版社】:新潮社(新潮文庫)
【ISBN】:4-10-111703-9
(1992/11出版)
【ページ】:237p (16cm)
【販売価格】:\420(税込)

 

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