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『ケータイ、持たせていますか?』

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   2004年 4月 9日

 ケータイ電話の普及がすさまじい。社団法人「電気通信事業者協会(TCA)」発表のデータによれば、平成16年3月末現在の契約者数は81百万台を超え(PHSを除く)、約1.5人に一台保有している計算になる。乳幼児や小学生、さらにはお年寄りを対象から外せば、ほぼ全ての日本人が持っていると言っても過言ではない。確かに便利な機械だ。しかも、会話やメールができることは勿論、写真を撮ったり着信用のメロディーを作曲できるなど、進化のスピードがこれまたすさまじく速い。私のように、メガネを外さないと文字が読めない世代にとっては、あまりにも速すぎて付いていけず機能の半分も使えない。ただ、負け惜しみとして言わせてもらえば、会話以外にはあまり使う必要がないのも事実だ。今の若い人たちにとっては、コミュニケーションの手段としてなくてはならない道具になっているようだが、「見てごザル、聞いてごザル、言ってごザル」おじさんとしては、いささか心配の種になっている。

 先月東京に出張した折のことである。品川駅で新幹線から在来線に乗り替えようとホームに出た途端、異様な光景に出くわした。列車待ちの乗客で混雑するホームの上で、線路側に立った先頭の女性たち10人程が並ぶようにして一心不乱にケータイ電話の画面を覗き込んでいるのだ。薄暮の中でケータイの画面が異様に光り、10人が10人とも同じようにそれを見つめ親指でボタンを操作している。当然同じ姿勢だ。まるで、どこかの国のマスゲームを見ているような錯覚に陥る。集団催眠を掛けられ、操られているようにも見える。彼女たちの周りだけ別の世界があるようで、『何なんだ、あの集団は!』と気色悪く感じたのは私だけなのだろうか。以前から電子メールの乱用に懸念を抱いていたことが、現実のものとして見せられると、“これはやばいな”といった感が否めない。
 


カリンの花


シロヤマブキの花


 ケータイは確かに便利な道具で私も毎日利用しているが、この便利さ、中でもメールの多用がコミュニケーション能力の発達を阻害しているように思えてならない。極端な話しとして、「隣同士に座っているのに、電子メールで情報のやりとりをする」、そんな現象も起こっていると聞く。顔を合わせることなく情報をやりとりするメールは、気楽にできる反面、送り手の意図がどこまで正確に伝わるか疑問だ。メールでは、怒っている顔も、哀しげな表情も、満面の笑みも伝わらないし、メール文化の落とし子である絵文字も使っている若者が思っているほど強力な手助けにはならない。A.メラビンの法則では、コミュニケーションで印象に残るのは、話の内容がたったの7%声の抑揚や大きさなど話し方が38%顔の表情や身振りや手振りなどの態度が最も印象に残り55%、と言われている。ケータイ、中でもメールは、その中の大事な伝達手段の二つが欠けているのだ。
 したがって、コミュニケーション能力が十分に発達していない若いとき、例えば小学生や中高生などが、早くからメールの魔力に取り憑かれてしまうと、コミュニケーションがうまくとれないまま大人になってしまう危険性がある。当然の結果として、社会性が乏しくなり、他人との交わりに対して自信がなくなり拒否反応がでてくる場合もあるだろう。すると益々メール仲間との交わりが濃くなることは必定で、悪循環に陥ることになる。

 私のそう言った不安や心配を、サルとの比較で見事に代弁してくれている本がある。京都大学霊長類研究所教授の正高信男氏執筆による「ケータイを持ったサル」(中公新書)である。『「人間らしさ」の崩壊』が副題として付けられているとおり、ユニークな切り口で日本の家族が持つ病巣を看破している。コミュニケーションがうまくとれない若者やケータイを手放せない若者を、「成熟した大人になることを拒否している」と捉え、その原因が「子供中心主義の家庭で育ったことにある」としている。納得である。
 ニホンザルは、仲間が見えなくなると相手の所在を確認するために声を出し合うそうだが、その行動がケータイでメールをやりとりする若者の行動にそっくりらしい。また、ケータイを使い出すと常に身につけていないと不安な気分に陥るところも、起きている間中誰かと繋がっていないと落ち着かないニホンザルに似ているのだという。これらを称して著者は、「コミュニケーションのサル化」、と呼んでいる。要するに、サルと同程度のコミュニケーション能力しかないということらしい。ケータイを持つことが「コミュニケーションのサル化」に繋がっているとは限定していないものの、私と同様に作者にもケータイを持ったときの行動はやはり異様に映るようだ。
 子どもの将来と家計の懐具合を考えれば、小さなうちからケータイを持たせるのは、やはり慎むべきだろう。大事なことは、メル友を沢山持つことでも機能を使いこなすことでもなく、コミュニケーション能力を十分に磨き、社会の中で独立して生きていける力を付けてやることだ。そう言った意味でも、小さい子供にはコミュニケーション能力を見極めてから与えることをお勧めする。
 なお、本書には「家庭に於ける父親の居場所」を切り口として家族論を展開している章もあり、“正に俺のことだ”と納得させられる男性も多いのではないだろうか。その他、色々な切り口で家族論を展開しており、若いお父さんお母さんにとっても、子育てをしていく上で示唆に富む本である。

【文責:知取気亭主人】

『ケータイを持ったサル』  
      −「人間らしさ」の崩壊       
【著】正高 信男

出版社】:中央公論新社
【ISBN】:
4121017129(2003/09/25出版)
【ページ】:187p (18cm)
【販売価格】:\735(本体価格:\700)

 

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