|
飽きやすく何をしても永続きしない人を「三日坊主」というが、これを治す薬はないものだろうか。私自身も幼少の頃からこの坊主に随分と苦しめられているのだが、最近では私の周りでも目について仕方がない。彼らを見ていると、私の坊主は十日坊主ぐらいで、まだ良い方なのではないかと錯覚してしまうほどあきれた手合いもいる。しかしながら程度の差こそあれ、三日坊主という病に意志が急速に冒され、結果、自ら決めたことや合意の下に決められたことが実行されないで頓挫してしまうことに大差はない。たかだか三日が十日になっただけの話しである。やはり、決められた目標に向けやるべきことをやり続け、目標を達成しなければ意味がない。
そこでというわけでもないが、この坊主を退治する特効薬はないものだろうか、と考えてみた。恥ずかしながら、私の症例を紹介し、特効薬とまではいかないまでもせめて三十日坊主になるぐらいの治療薬を見つけたいと思う。
今から遙か3,700時間前、要するに今年の1月1日、お屠蘇の勢いもあって家族の前で一家の柱としての存在感を示すべく、今年の目標を発表し決意表明をした。発表したことはしたのだが、勢い余って二つもしてしまったのが今となっては悔やまれる。「正月とは言え酒の上の失敗は二度としない」と自らに言い聞かせ、これまでの経過を振り返ってみると、決意した仕事と私事のうち仕事に関する目標達成に向けての努力はどうにかこうに今でも継続しているのだが、私事はとんと実行していない。忘れたわけではないのだが、仕事に関することに比べて必要性も緊急性も低いせいか、3,700時間前に比べやや熱が冷めてきてしまっている。血液型占いに凝っている知人にいわせれば、「新しいものに飛びつきすぐに飽きる性格」は、典型的なB型らしい。しかし私としては、家族の手前父親としての尊厳が音を立てて崩れていくのを、黙って見過ごすのも性分に合わない。尤も尊厳が未だあると思っているのは私だけで、彼らの中では既に瓦礫の山と化している可能性も多少有るようなのだが……。
振り返ってみると、今まで幾つの目標を立てどれだけのことが実行でき守られたか、甚だ自信がない。目標を立てた時はほとんどの場合、「よし、やるぞ!」、と決意も新たにスタートを切る。「決意」、意を決したわけであるから、その時はやる気満々であった筈なのだが、時が経つにつれやる気は薄れ、やがて決意したことすら忘れ、何事もなかったように進歩も改善も無い元の状態に戻っていく。尤も元に戻るのは良い方で、多くの場合は周囲の状況変化に伴い事態は悪化の一歩を辿る。やはり決意をしたのにはそれなりの理由があり、必然性も有った筈である。その理由なり必然性が、どうやら三日坊主になるか十日坊主になるか、あるいは坊主にならずに済むかの鍵を握っていそうである。
子供の頃時々手伝いをした水汲みのことを、日本と飢餓に苦しむ乾燥地帯とで考えてみた。同じ水汲みでも雨の少ない乾燥地帯での水汲みは、女性や子供にとって最も過酷な労働といわれているが、遠い道のりを徒歩で運んでいく姿をテレビで見るにつけ、日本に生まれた幸せを感じないわけにはいかない。ところで、運ぶ途中で容器の中の水を全てこぼしてしまったらどうするだろうか。乾燥地帯の人達は、余程のことがない限りもう一度水源地まで戻り汲んで帰るだろう。理由は簡単である。生きるためである。慢性的に水不足に苦しめられギリギリの量で生活する彼らにとって、子女の汲む水は、正に命の水だからである。そのことを幼い子供達も知っている。だからこそ、「水を汲んで家まで持って帰る」、という目標に向けどんなことがあっても達成させるのである。あの子達にとって、水汲みを途中で放棄することになる「三日坊主」は、死を意味する。
翻って日本ではどうだろうか。私の経験した水汲みは、風呂や行水に溜めるといったものが多く、途中でやめても死に至ることはない。また、水不足に苦しめられる年もあるが、基本的には乾燥地帯と比べて格段に恵まれている。したがって、汲みに戻る必要性が低く、「三日坊主」になる確率が高くなる。
こうやってみると、三日坊主にならずに済むかどうかは、自ら決めた目標が人生の中でどう位置づけられているか、が重要であることが分かる。例えば私事の目標も、「私の老後にとってなくてはならないことだ」と位置づければ、続けられただろう。一方、仕事に関することでも、「目標を仕事と考えずに自分の人生だと考える」ことができれば、仕事上の目標は人生の目標を達成するために必要な通過目標となり、位置づけも明確になる。この位置づけが、理由や必然性の根拠となる。そしてその位置づけが高ければ高いほど、三日坊主ではなくなるはずである。平たく言えば、定めた目標が達成できないとき自分の人生設計が狂うか狂わないかで位置づけは決まる。
私と同じように三日坊主が周りをうろついているな、と感じた方は今からでも遅くないはずである。ぜひ、当初立てた目標を達成できるように、位置づけを再確認し達成したときの幸せを思い浮かべ、再スタートを切っていただきたい。そして、『三日坊主よさようなら』と大きな声で言ってやりましょう。 |