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『一年の長さ』

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   20040206

 早いもので今年も一月が過ぎてしまった。僅かなお賽銭で沢山の願い事をした初詣が、昨日のことのように思われる。年々一年が短くなっていくような気がするが、人口が増えすぎた影響で地球の自転速度が速くなってしまったのではないだろうか。例えば一人増えると“1m/時間”ずつ速くなるとか……。
 それは冗談として、或る人に言わせると『人が感じる一年間の長さは、1/(その人の年齢)』らしい。私は今年55歳になるが、1歳の幼児が感じる1年の長さの55分の1になる。短い筈である。これを数式では、人が感じる一年の長さをy年齢をaとすると、

      y=1/a ・・・・・・(1式)

と表すことができる。でも、こんなに単純なことなのだろうか。
 サムエル・ウルマンは、「青春の詩」(岡田義夫訳)の中で

     青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
     優れた創造力、逞しき意思、燃ゆる情熱、……(中略)
     年を重ねただけでは人は老いない。
     現実を失うときに初めて老いがくる。(後略)

と詠っているが、正にその通りだと思う。とすると、やはり(1式)のように単純ではなく、しかも年齢は実年齢ではなく精神年齢と考えた方が良さそうである。精神年齢が加齢される“老い”には“現実を失う”と言う因子が関わってくる訳だが、私なりに解釈すれば、

      “現実を失う”=“感動しなくなる”

となる。別に、アルコールの飲み過ぎによる脳軟化症の為、夢と現実の境界が不明瞭になり“現実を失う”訳ではない。
 私の解釈でいけば「老いの特効薬は毎日感動すること」になるが、よく考えてみると、感動するのは初めての体験をする時が圧倒的に多いことに気が付く。しかも初めての体験は年齢が低いほど多いのが道理だ。また、同じ体験をしても「感動する人」と「感動しない人」がいるが、これは感受性が大きく関与していると考えて良い。この感受性は、個人差はあるものの、やはり年齢が下がるほど豊かなことは明らかだ。そう言えば私自身を振り返ってみても、子供の頃は毎日が感動の連続だったような気がするが、齢を重ねる度に感動が減り、代わりに体脂肪とストレスが増えてきている。感受性が衰えてきているのだろうか、あっちも衰えてきているのに……。
 いずれにしても、年齢が低いほど一年が長く感じられ、しかも感動する回数も多く感動の大きさも大きい訳であるから、感動した回数をn、その時々の感動の大きさをsとすると、その人が感じる一年の長さは、

     y=(1/a)×(s1+s2 +s3+・・・+s)・・・(2式)

で表すことができる。(1)式より大分文字が増えたが、内容は至って簡単である。要するに、日々の些細な出来事にも感動する人ほど一年が長く感じられる、と言うことである。
 画期的な理論だと自画自賛しているが、私の理論をもう少し詳しく述べるならば、次のようになる。
     「感動する」と「一瞬時が止まる」
     「止まる時間の長さ」は「感動の大きさに正比例する」
     「時は止まる」が「意識はある」
     「時が止まった分だけ長く感じる」
 この理論の根幹をなす『感動すると一瞬時が止まる』は、ほぼ間違いないと確信しているのだが、如何せん被験者である私の感動が小さすぎてまだ実証できないでいる。ジャンボ宝くじの一等が当たったら証明できるのだが、その可能性は殆ど無い。理論の実証は本当に難しい。
 いずれにしても、日々大いに感動をして老いにブレーキを掛け、万年青年の気概で充実した一年を過ごしたいものである。そのためにも、錆び付いた感受性の錆を早急に洗い落とす必要がありそうだ。やはり今年は、『見てごザル、聞いてごザル、言ってごザル』の精神でいくことにしよう。

 ところで、2月3日は節分である。節目の時に何とか証明をしたいが、こんなに沢山食べなきゃ行けないのか、と変なところで感動しても難解な理論(?)の実証は難しい。となれば、しかたがない。今まで数え切れないくらい行い不思議なことに実証実験の記憶が時々なくなる危険な方法ではあるが、節分の豆をつまみに思考回路を麻痺させて、時の長さが長く感じられるか否かの実験をやってみることにしよう。

【文責:知取気亭主人】

 
 

 

柊(ヒイラギ)

 (節分に柊の枝に鰯の頭を指したものを戸口に立て、豆をまく習慣がある)


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