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のっけから私事で恐縮だが、何を隠そう私は欲望の固まりである。「若い女性を見ては心ときめかせ、新酒という響きに胸が高鳴り、ウナギの臭いに食欲がそそられる」、そんな煩悩が私の頭の中では渦を巻いている。私ばかりでなく多かれ少なかれ人は皆、煩悩という欲望を持っている。例えば、新しい携帯電話が発売されればすぐに買いたくなり、海外旅行に出かければブランドもののバッグを買い求め、うわさのケーキ屋さんやラーメン屋さんの話を聞けば並んででも食べたくなる。それが人間の性というものなのだろう。
この欲望が異常なまでに強ければ犯罪に繋がり、反対に低ければ現代のような文明社会は遠い未来の話しになっていたであろう。そういう意味では、ある程度の欲望は必要なのかもしれない。しかしながら、そういった欲望を持っている自分たちに後ろめたさ、或いは恥じらいを感じるのか、私欲のない乳幼児を見ると何となく“ホッ”とするのは私だけではないだろう。乳幼児のように心身に汚れのない様子を「純真無垢」というが、無垢な状態を終生維持し続けるのは凡人には不可能だ。私などは小学校低学年で心ときめかせた経験を持つだけによく分かる。
欲望という煩悩は、時に物事の判断を狂わすこともある。特に善悪の判断や物事の本質を見抜く時、欲という色眼鏡を通して物事を見てしまうと自分に都合の良い情報だけを受け入れ、誤った判断をすることになる。誤った判断をしないために欲を振り払おうとするが、これがなかなか難しい。私にとっては、ほとんど不可能に近い。
ところが最近ある本に出会い、大人になってもこの難しいことをいとも簡単に実践していた人がいることを気付かせてくれた。あの「裸の大将、山下清」がしたためた「日本ぶらりぶらり」(ちくま文庫)である。
「山下清」については、芦屋雁之助主演で放映されていたテレビドラマ「裸の大将」のモデルとして有名だが、「日本のゴッホ」とも呼ばれていたと本のカバーに記されている。確か高校3年の時だったと思うが、初めて見た貼り絵の精緻さと、作品「長岡の花火」(多分そうだったと思う)のあまりの見事さに感動したのを今でも覚えている。「日本のゴッホ」と呼ばれても何ら不思議はない。
その彼の日記である。日記といっても「あとがき」と「解説」によれば、いわゆる毎日あったことを書き記す一般的なものではなく、入園していた八幡学園を飛び出して日本中を放浪してきたことを学園で命令されて、思い出し、思い出し書き記したものだそうだ。したがって、彼が訪れた各地での出来事や、それに対する彼の思い・感想を中心として書かれている。彼の恩師である式場隆三郎博士の手が多少加えられているようだが、山下清その人の澄んだ目や純真さが伝わってくるすばらしい本である。
読後感想を一言で言えば、「久し振りに心が温まった」である。世知辛い今の時代に、何とゆっくりとした時が流れていることか。そして、品の良い笑いを思い出させてくれた本でもある。手元に置き、心の栄養剤として疲れたときに読んでみたい、そんな気にさせてくれる。少々長くなるが、私が好きな行を紹介する。タイトルは「清に毛が生えた」となっている。
『(前略)食堂でめしをたべているとぼくの前にいる人が、「わしも山下清に毛のはえたような男です」とよその人に話していた。
ぼくはびっくりしてぼくに毛がはえるというのは、どういうわけですか。どこに毛がはえるとあなたになるのですかときいたら、みながどっと笑った。(中略)
ぼくはもう三十四で毛はみんなはえてるのに、この上どこにどんな毛がはえるのだろうか。ぼくは頭がわるいのでわからぬことが多いのです』
どうですか皆さん、思わず顔の筋肉がゆるんだでしょう。こういった豊かな、そして純真無垢な発想が今の日本人には必要だと強く感じている。おっと難しい話しはやめにしよう。
丁度今は年度末、建設関連業、中でも公共事業関連の業務に携わっている方々は、一年で一番忙しい時期だと承知している。そんな時期にこんな拙文を読んでいる暇もないとは思うが、4月に入り一段落できる時機が到来したそのあかつきには、是非「日本ぶらりぶらり」を読み命の洗濯をしていただきたい。心が温まること請け合いである。 |