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日本全国に残る地名の古称は、聞くだけでなんとなく歴史へのロマンを掻き立てるから不思議だ。私が生まれ育った静岡県の西部地方は、その昔には遠州(えんしゅう)とか遠江(とおとうみ)と呼ばれ、手元にある高校時代に使った地図帳にも一般的な郡や市町村名以外に「遠江」の記載がある。また最近ではNHKの天気予報で「遠州」が使われていて、何となく復権の兆しもあるように思える。ただ残念ながら、今のところ本籍地や住民票の住所、あるいは郵便物の宛名に用いることは出来ない。
しかし、この公には使用できない古称が私は好きだ。郵便物の宛名として使っている「周知郡森町」よりは、「遠州森町」が遙かに心地よい響きを持っている。多分、子供の頃聞いた広沢虎造の名調子、「♪遠州森町良い茶の出どこ、娘やりたやお茶摘みに……♪」(森の石松・三十石船)が、耳に馴染んでいるせいだろう。
同じように、今住んでいる石川県にも耳に馴染んだ古い呼び名がある。こちらは今でも全国的に通用する「加賀」であり、そして「能登」である。もっと大きな地域で眺めてみると、北陸道の古称として、今の福井県から新潟県までを総称して「越(こし)の国」と呼んでいた。越の国には5カ国があり、先の「加賀」と「能登」、そして最も都(京都)に近い国が「越前」(福井県)と呼ばれ、「加賀」を越えて「越中」(富山県)、「越後」(新潟県)と都から遠ざかる。
これらの古称は、「遠州」と同じように公文書には使用出来ないが、今でも多くの商品などで使われていて、時代劇でお馴染みの「越後ちりめん」や「越中富山の薬売り」、「加賀鳶」、さらには「越前竹人形」などのように伝統文化として残っているものもある。一方、各県の古称に比べると今一メジャーではないが、北陸道全体を示す「越の国」も、お米の「こしひかり」やお酒の「越の○○梅」に生きている。
しかし、北陸道の古称の中で最もメジャーといえば「越前」だろう。冬になれば蟹好きにはたまらない「エチゼンガニ」として毎年話題に上る。石川県などの「ズワイガニ」や山陰地方で呼ばれている「マツバガニ」と同じ種類の蟹なのに、何故か福井で食すると「エチゼンガニ」と呼ばれる。「越前」のブランド力のなせる業なのだろう。ただ、この程度では北陸で最もメジャーとは言い難く、「加賀」もかなりのブランド力がある。「越前」のブランド力を決定的に高めたのは、何といっても今を時めく「エチゼンクラゲ」のお陰だ。あまり良い印象は与えないが、何せそのキャラクターは強烈だ。
テレビ画面に映し出されるエチゼンクラゲの姿を見ていると、昔海水浴をしていてチクチクと刺されたクラゲと比べ、あまりの巨大さに中華料理の食材であることを忘れさせてしまう。酒の肴として出される「胡瓜とクラゲの酢の物」は小鉢に入っていて如何にも食欲をそそるが、ニュースで見るあの巨大な姿から食卓に上る料理を想像することは常人には不可能だ。
兎に角、デカイ。最大なものでは、傘の直径が2m、重さはなんと200kgにも達するという(2005年10月3日、朝日新聞朝刊)。巨漢力士の武蔵丸や曙と同じくらいの重さだ。「有り難くない豊漁(?)と、そのあまりの重さに魚網が破れる被害が相次いでいる」と報じられているが、幕内力士全員が網にかかった様を想像すれば「納得!」である。
日刊工業新聞によれば、「最近の研究で、エチゼンクラゲは黄海や渤海、東シナ海北部で10月〜12月頃発生していることが分かってきた」とある。大部分は発生海域にとどまって一生を終えるが、一部が対馬海流に乗って日本海に流れ込み、発生当初わずか数cmの個体が漂いながら成長を続け、翌年日本列島沿岸に着く頃(9月頃)には、ニュースで見る巨大なクラゲになるという。また、今から85年前の1920年(大正9年)にも福井県沿岸で大量発生の記録があるというが(2005年9月15日、日刊工業新聞)、これが「エチゼンクラゲ」と命名されるきっかけとなったのかもしれない。
今年は、例年に比べ日本沿岸に漂着する数が多く、漁業被害も深刻だ。これまでは日本海沿岸を対馬海流に乗って北上し、やがて津軽海峡を抜けて太平洋沿岸を南下していたものが、今年は東シナ海での発生場所が例年より南にずれ、黒潮に乗る「南周り」ルートが出来て太平洋沿岸でも早くから見つかっているという(2005年10月3日、朝日新聞朝刊)。日本列島は、さしずめ巨大なエチゼンクラゲの軍団に包囲された格好だ。
クラゲは寒さに弱いため、海水温が20℃近くになると死滅してしまうらしいが、それまでは漁業関係者の悩みの種だ。「ゼリーや塩クラゲなどの食品化や土地改良材として利用する動きもある」と報じられているが、これといった決定打はまだ聞こえてこない。兎に角、個体そのものが巨大でしかも水揚げされる量も多いため、その処理に苦慮しているのだ。ピアノ線を張った魚網で駆除する実験などもニュースで流れてくるが、抜本的な解決とは言えそうもない。
エチゼンクラゲと一緒に網にかかった魚は、クラゲの毒で変色したりして売り物にならなくなるという。テレビで見ている限り、漁獲量も極端に少ないようだ。魚網の修理もクラゲ処理の費用も漁業関係者にとっては大きな負担だ。その上せっかく獲った魚も売れないとなれば、漁師にとっては死活問題だ。その意味では、その姿や動きは何となくユーモラスではあるが、エチゼンクラゲは正に海に放たれた「漂える刺客」と言える。 |