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『伝えていくことの大切さと難しさ』

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   2005年01月21日

 1月17日で「阪神淡路大震災」から10年が経つ。高架橋の倒壊や炎をあげて燃え広がる街並みの映像に我が目を疑ったのをよく覚えている。また、半月後に現地に入り目の当たりにした高速道路を始めとする近代構築物の惨状が、未だに焼き付いて離れない。信じて疑わなかった日本の建設技術に対する信頼がガラガラと音を立てて崩れ去り、これまでの耐震設計の考え方を根底から揺るがした大事件と言っていいだろう。
 阪神、淡路の被災地では毎年慰霊の行事が行われており、今年も節目の年ということで政府関係者も参加して色々な催しが開催された。しかしながら、10年目にしてやっと参加できるまでに落ち着いてきた被災者の方々がいる一方で、私を含む多くの日本人の記憶からこの大惨事が消えつつあるのではないだろうか。東京に出張し雑踏の中に一人佇み街行く人々を眺めていると、今の平和な生活が未来永劫続くものと信じている人達で溢れかえっている。
 そして今月の23日で、多数の土砂災害を引き起こした「新潟県中越地震」からはや3ヶ月が経とうとしている。被災地は雪の季節となり、家に戻れない被災者にとっては厳しい季節が今しばらく続くことになる。被災した家屋の中には雪の重みで新たに倒壊したものもある。地震災害に追い打ちを欠けるような雪害だ。サンパチ豪雪(昭和38年)、ゴウロク豪雪(昭和56年)と呼ばれるような豪雪になれば、救援物資のみならず生活必需品の輸送にも支障を来し、二次災害の恐れも高くなる。豪雪にならずとも雪解けによる土砂災害の拡大も懸念されている。まさに正念場の季節を迎えているのだが、中越地震の情報はたった3ヶ月でスマトラ島沖の大地震に取って代わられた感がある。
 その「スマトラ沖地震」も1月24日で4週間が過ぎたことになる。阪神淡路大震災の時にそうだったように、時間が経ち情報が集まるにつれ死者の数は増え続け、19日現在のロイター通信によれば22万人を越えたとある。私が住む金沢市の人口の大凡半分が亡くなった勘定だ。それでもまだ阪神淡路大震災の犠牲者を凌ぐ人々が行方不明だという。何ともすごい災害だ。特に津波による被害が甚大で、津波のすさまじい破壊力をまざまざと見せ付けるビデオ映像が繰り返し放映されている。撮影した人たちにとっては九死に一生を得た恐怖の体験であっただろうが、撮られた映像は今後の津波対策の教材として大変貴重な財産となる。
 これまで放映されたビデオに共通していることだが、直前まで泰然としていた人たちがことの危険性に気付き逃げ惑う姿を見ていると、思わず『危ない!早く逃げろ!』とテレビに向かって叫びそうになってしまう。被災経験が無いため津波に関する知識がまったく無いのだ。したがって、地震が引き金となって津波が起こることも、津波の高さ・破壊力が尋常ではないことも、ましてやはるか海の向こうで起こった地震で津波が襲ってくるなどとは知る由も無い。もしこれが、昔の被災記録が文献として残り教訓が子々孫々に伝承されていたとしたら、何万人の人たちが助かったのだろう。

 1月19日の朝日新聞に正にその重要性を証明するような記事が載っていた。「97年前の津波被害が伝承されていたため多くの島民が助かった」というものだ。震源地に極めて近い(スマトラ島よりも近い)インドネシアのシムル島では、97年前の1907年、大きな地震と津波に襲われた。このとき被害を目の当たりにした島の古老が「地震の後、水が引いたら山に逃げろ」と教え、それが親から子へと伝えられ、その教訓が今回の大津波で生きたのだ。今回の津波による建物の被害は甚大のようだが、約7万の島民のうち死者は僅か7人だという(8人という情報もある)。いかに教訓の伝承が重要かが分かる。
 翻って日本を見てみよう。先ほど「昔の災害記録が残り……」と書いたが、確かに記録には残っているが果たして教訓は伝承されているのだろうか。9月1日の「防災の日」を迎えるたびに、1923年に起こった関東大震災のことが毎年報道されているが、多くの日本人にとってそれは他人事のような気がしてならない。「阪神淡路大震災」の時に、また「新潟県中越地震」の時に耳にした言葉は、『まさか自分たちが住んでいる所でこんな地震が起こるなんて!』であった。要するに『日本は確かに地震の多い国だ。地震が起これば津波も恐ろしい。それは分かる。だがしかし、私の住んでいるところは大丈夫だし、私は被災しない』と思っているのではないだろうか。永年東海地震の発生が叫ばれている静岡県でさえ、住宅の耐震診断実施率が僅か15%(静岡県ホームページ、http://www.pref.shizuoka.jp/)に留まっていることからも、いかに危機意識が薄いか推して知るべしだ。やはり昔の教訓が子供の頃から教えられていないからなのだろう。子供は感受性が豊かで素直である。したがって子供の頃に教えられた教訓は、大人になっても以外と残っているものだ。そういった意味で興味深い情報を見つけた。

 防災システム研究所のホームページ(http://www.bo-sai.co.jp/)に、昭和12年から昭和22年まで小学校の国語の教科書に載ったという「稲むらの火」の話が紹介されている。1854年に発生した安政の東海地震と南海地震の時の実話をモデルにした話だ。収穫した我が家の稲束に火をつけ津波から村人を救った物語で、小泉八雲の著書にも実話が紹介されているとある。詳しい内容についてはホームページに譲るが、感受性の豊かな時期にこのような伝承を絶え間なくしていくことは極めて重要なことだ。
 どんなにつらい記憶も風化していくように、忘れることは人間が生きていくために必要なことのようだが、教訓は風化させてはいけない。風化させないためにも、日頃から地震や津波の話題を家族の中で取り上げ、「阪神淡路大震災」や「新潟県中越地震」、「スマトラ沖地震」から得られた教訓を心の中に深く刻んでおくことが、我々一般市民が家庭でできる伝承であると考える。楽しいことや手を抜くことはすぐに伝わるが、教訓や戒め、あるいは努力することを伝えることは本当に難しい。しかし、とても大切なことなのだ。

【文責:知取気亭主人】

     

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