昨年暮れから居座っている寒波の勢いが衰えそうもない。日本海側の広い範囲で雪を降らせ、各地で20年ぶりともいわれる豪雪となっている。中越地震の被災地では2年続きの大雪が震災被害に追い討ちをかけ、新潟県津南町では4mに迫る積雪が市民生活を不安に陥れている。豪雪地帯は山間地域と重なるため過疎地となっているところが多く、除雪中の事故をはじめ雪によって亡くなる高齢者が増えている。9日昼のニュースによれば、大雪による死者は全国で68人にのぼり、けが人も1,000人を超えているという。まさに、白い悪魔だ。
石川県でも白山麓の集落で、93歳の母親と71歳の長女が雪の重みでつぶれた家屋の下敷きになって亡くなった。県内で最も雪深い白山麓一帯では過疎化、高齢化が進み、事故のあった集落の18世帯34人の平均年齢は70歳を超え、3分の1が一人暮らしだという(2006年1月7日、朝日新聞朝刊)。70を
超えた高齢者にとっては、屋根に上り雪下ろしをすることはできないし、家の周りの除雪でさえ大変な重労働だ。いつまで続くのか、この先が思いやられる年頭だ。
「戌年は景気も上向き平穏な年が多い」と言われているが、ところがどっこい今年は豪雪以外にも事件・事故の多いスタートとなってしまった。仙台では6日未明、生まれたばかり(生後11日)の赤ちゃんが病院から連れ去られるというショッキングな事件が発生した。幸いにも事件発生から二日後の8日には容疑者が逮捕され、赤ちゃんも無事保護されて早期解決となったが、厳しい冷え込みが続いていただけにその安否に日本国中が胸を痛めていた事件だった。
胸を痛めたといえば、4日未明に姫路市で火災が発生し、小学生の子どもばかり5人が亡くなるという痛ましい事故も発生した。本当にかわいそうなことだ。今年は厳しい寒さが続いているだけに、新聞を読んでいると火災のニュースが例年より多いような気がする。火災に関しては、事故ではないけれど放火して下関駅の駅舎を全焼させた馬鹿な輩もいた。
いずれにしても、今年はまだ始まったばかりだ。多くの事件・事故でざわついた世間が落ち着きを取り戻し、平穏な一年になってほしいものである。その願いを籠めて、せめて四方山話くらいは楽しい話題を提供していこうと思う。
お正月は、新しい年の初めということでなんとなく晴れやかで嬉しいものであるが、大人にとっては「お年玉」という厄介な作業が待っている。一人当たりでは僅かでも、人数が増えると結構な金額になってしまう。ましてや、年齢と金額を比例させてしまうと、親自らの小遣いを削り「顔で笑って心で泣いて……」ということになりかねない。
小学生の頃には高学年でも千円程度で納得していたものが、中学、高校へと進むにつれて徐々に高額になっていく。子どもがそれを当たり前と考えるようになると、親としては『この程度でいいだろう』と思ってやった金額では満足しなくなり、「如何にして、そこをそうならないようにするか」が親の知恵の見せどころとなる。
我が家は子どもが四人いる。一番上が小学校六年生のとき一番下が一年生、要するに四人全員が小学校に通っていたときがある。そうすると、六年生と一年生に同じ金額のお年玉というわけにもいかず、必然的に年齢に応じて額を変えざるを得なくなった。そこでどうしたかというと、うまい手を考えた。
その手を明かす前に、お年玉としての子どもの収入(?)を整理しておこう。我が家ではおばあちゃんなど親以外からの“札の種類が違う高額な収入”と、親からの“僅かな収入”がある。まず、高額な収入は『服や学校のものを買おうね』と言って親が管理することを子どもに納得させる必要がある。当然ではあるが、「管理したものを何に使うか」は親の裁量に委ねられることになる。我が家では、「小さな子どもでは親に刃向かわないだろう」という深い読み(?)もあり、暫く前までは成功してきた。もちろん子どもの本心を確認しているわけではない。
管理を納得してもらった後が知恵の使いどころとなる。『おばあちゃん達のお年玉は子どもが使うにはたくさんすぎる。父さんたちがあげるお年玉は正月で使ってしまってもいいからね』と優しく言ってお年玉の袋を渡すわけだが、その金額に少しだけ工夫を加えておくのが味噌だ。
毎年変えていたつもりだが、我が家では語呂合わせの金額をお年玉としてやっていた。そして、その語呂合わせを当てさせるのだ。例えば、「年齢+29円」だと「(あなたに)フク(29)がありますように」となるわけである。これをゲーム感覚で結構楽しんでくれた。おかげでそう高額なお年玉をやった記憶もない。
しかし、さすがに高校生くらいになるとその手も使いづらくなり、新たな方法を使うこととした。この方法は初期投資と継続させる努力が必要となるが、10年ぐらい前から始め全員が成人した今でも我が家の正月行事として続いている。そして、不思議なことに今年から家内も参加するようになった。
やり方は至ってシンプルで、お年玉の原資として一年間をかけ1円、5円、10円といった小銭を貯金箱に貯めていくのだ。私の場合これをやらないと、4人もいるだけに年末にまとまった金が必要となり泣きを見ることになる。そのため、毎週金曜日の夜に小銭入れにある小銭を貯めるようにしていった。一番大きくて重い小銭は貯金箱に入ることを何故かためらうため、金額はたいしたことはないが“カサ”だけはしっかりとある。4人、あるいは5人で分けるとなるとこの“カサ=見た目”が結構重要で、とにかく量が多いほうが得した気分になっていいのだ。しかし、小銭といっても馬鹿にできないもので、時々100円玉を混ぜると1万円前後は確実に貯まる。
このたまった小銭を新聞紙の上に広げ、よくかき混ぜる。見た目で同じ位のカサになるように百円ショップで買ったアルミ缶に適当に分け、重さを量り重い順番に番号をつける。そして、これを「お年玉」として“ビンゴゲーム”で当てていくのだ。重いのが金額も勝っているとは限らないため、これが結構面白い。そして、意外と差がつかないため不公平感がなくてよい。
ちなみに、今年は“私の努力”と“カサ”が少なかったために子どもや家内にも小銭の出資を求めやったところ、5人とも2,700円〜3,100円の範囲に収まった。すごいことだ。この方法の良いところは、少額でも楽しんでお年玉をもらえるところだ。
初期投資としてビンゴゲームの器械を買わなければならないが、ビンゴゲームがない場合にはトランプでも、ジャンケンでもよい。とにかく楽しんでお年玉を受け取ってもらえる工夫をすることが、たとえ少額であっても親の気持ちも子どもの気持ちもハッピーにさせるコツだ。
“語呂合わせ”でも良し、“ビンゴゲーム”でも良し、お年玉を楽しみにしている子どもを持っている家庭では、是非お試しあれ。
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