今年の4月から社会人になる娘が「電子辞書をほしい」というので、初売りバーゲンをやっている家電量販店に行ってきた。雪深かった正月休みのことだ。風邪を引いた娘はコタツにあたりながら『風邪を引いているから私行かない。お金は出すから電子辞書買ってきて』と言いつつミカンを食べ、もうすぐ60に手が届こうとする父親が深深と雪降る中を娘のために買い物である。『娘のくせにオヤジ虐待だ!』と泣き泣き買い物に行った。というのは冗談で、「昨年から調子の悪かった固定電話機を安いときに買い換えるついでに電子辞書も買ってきてやろう」という優しい親心がそうさせたのだ。
買ってみて驚いた。私が愛用している一昔前のモノに比べ、収録されている辞書の種類が圧倒的に多い。なんと、広辞苑はもちろんのこと逆引き広辞苑、古語辞典、英和、和英、ビジネス便利事典、冠婚葬祭マナー事典などなど、驚くなかれ100冊もの辞書が小さな文庫本サイズの中に収録されている。「これだけの辞書が必要なのかな」という疑問は残るが、一般的な教養はもちろん、子育てから冠婚葬祭まで生活全般の疑問のほとんどを解決してくれるスーパーマシンといったところだ。
分かりきったことだが、56年もののビンテージマシンを自認する私より遥かに優秀だ。その上初売り期間中ということもあり値段も格安で、買ってからチラシや店頭で眼にした価格より4〜5千円も安く手に入れることができた。もちろん希望小売価格の半値以下で、なんと19,990円だ。1冊あたりに換算すると約200円というビックリするような値段になる。しかも、値段もさることながらカサもかなり効率的に圧縮されていて、1冊2cmとしても100冊の本を積み上げれば200cmにもなるものが、厚さ1冊分にも満たないサイズに収まってしまっている。177cmの私よりかなり優れものなのだ(?)。
娘のものとはいえそんな優れものを手に入れたのだ。興味を引かないわけがない。新しいものが手に入れば早速使ってみたくなるのが人情というもので、我が家にはそんな人情に従順な人種が多い。血液型はお察しのとおり……と……だ? そんな冗談はさておいて、1月15日が祭日ではなくなってから疑問に思っていたことを、早速娘に調べてもらった。「何日までを松の内というか」である。
私の意識の中では、今でも1月15日までが「松の内」だ。ところが、調べて驚いた。広辞苑には、「正月の松飾りのある間の称。昔は元旦から十五日まで、現在は普通七日までをいう」とある。つまり年始の挨拶は、7日までということになるらしい。そうなると今年は7日が土曜日であったから、極論を言えば正月3ヶ日の休みを除いた4〜6日の3日間だけが、お客様のところに行って「おめでとうございます」の挨拶ができた期間ということになる。それでは“色々な意味で”あまりにも短すぎる。
新しい電子辞書で「昔は元旦から十五日まで」と記載されているということは、私の古い辞書ではきっと「十五日まで」となっているに違いないと調べてみたが、やはり同じ記述である。それではと、我が家にある一番古い広辞苑、昭和48年発行の第二版でも調べてみた。ところが「昔は元旦から十五日まで、後世は七日まで」と、表現はやや異なるものの内容はやはり同じだ。「じゃあ昔っていつの頃だ」となるわけだが、これがハッキリとしない。
ハッキリとはしないが、少なくとも昭和の時代にはもう既に「松の内は7日まで」が普通になっていたようだ。そうなると、私の記憶はなんだったのだろうか。まさか前世の記憶ということもないだろうが……。
記憶の源泉を求めてインターネットで調べているうちに、「松の内とは、元日から、門松を取りはずす日までの期間をいい、普通、七草の7日に取りはずす。地方によっては、4日、6日あるいは15日までと様々なようだ」と我が意を得たりの説明しているサイトを見つけた。
(http://www.yuzawa-gh.co.jp/annualfunction/syougatu/syougatu_light_frame/syougatu_ligth_frame.htm)
このいわれが正しいとすれば、私の記憶もあながち“化石の記憶”ということでもなさそうだ。ただ、「地方によっては」と書かれても、生まれ育った遠州地方なのか今住んでいる金沢なのか、どちらが15日まで門松を飾っていたか分からない。何しろ門松を飾っている一般の家を見たことがないのだ。
門松に比べ今もよく飾られている「しめ飾り」にしても、“いつまで飾るか”は私の家の周りでもまちまちでよく分からない。15日が祭日だったときは、その日が“左義長(どんど焼き)”と決まっていたため、我が家では当日まで飾っておいたし、周りでもそんな家が多かったような気がする。ところが、15日が祭日でなくなり左義長の日もその年によって変わるようになった最近では、私の観察が正しければ、比較的古い文化が残る金沢でも7日ではずす家もあれば、左義長の日まで飾ってある家もある。正直なところ、文化に疎くしかも外様の私ではよく分からない。
「だからどうだ」ということではないけれど、「昔に比べると随分と気ぜわしくなってしまった現代だからこそ、せめて正月気分ぐらいはゆったりと長い時間味わいたい」というのが私の本心だ。そういう意味では、何が何でも15日間は新年を祝う行事をしなければいけないと思っていた私の秘かな楽しみは、最新の電子辞書に興味を持ったばかりに見事打ち砕かれてしまった。ただ、おかげで少しばかり休肝日が増え、一時的とはいえ健康的な生活が取り戻せたことは“人情に従順な我が性格”に感謝しなければならないのかもしれない。 |