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『君天命を知る哉』

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2006年3月1日

孔子が著したとされる論語に有名な言葉がある。
  子曰く、吾、十有五にして学に志し、三十にして立つ。
           四十にして惑わず。
           五十にして天命を知る。
           六十にして耳順(みみしたが)う。
           七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず。
四十歳を意味する「不惑」の語源となったもので、次のような意味がある。
  私は、十五歳のときに、学問で身を立てようと決心した。
     三十歳で、学問の基礎が固まり独り立ちが出来るようになった。
     四十歳で、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなった。
     五十歳で、天が私に与えた使命を自覚した。
     六十歳で、何を聞いても素直に受け入れることが出来るようになった。
     七十歳で、自分のしたいようにしても、人の道を踏み外すことがなくなった。

 儒教の祖であるあの孔子でさえ、「心の迷いがなくなったのが四十歳、天命を知ったのが五十歳」と言っている。凡人の私が、四捨五入すれば六十歳の仲間入りをしてしまうこの歳になっても、いまだに天命を自覚しないどころか、迷ってばかりいるのも当然といえば当然のことだ。やはり、経験も苦労も努力も、まだまだ足りないのだろう。もちろん才能がないのが一番の理由であることは分かっているのだが、残念ながら心の迷いが無くなる気配は一向にない。
 しかし、世の中には立派な人がいるもので、孔子が独り立ち出来るようになったという三十歳(而立じりつ)で既に天命を知り、人の道を踏み外すどころか人の道を教えている人がいるのだ。そんなすごい人を扱った本を、先日、友人からプレゼントされた。三省堂から出版されている「アキラーの地雷博物館とこどもたち」(アキ・ラー編著)だ。

 アキ・ラー氏がカンボジア人で、個人で地雷の処理をし、地雷博物館を造っていることなど本の概要を説明したくれた後、本に添えられた『この本が売れると印税が彼のところに入る。俺に出来ることはまとめ買いをして、知り合いに配り、少しでも売上げに寄与することだ。俺にはそれぐらいのことしか出来ない』という友人の言葉に、閉じかけていた私の中の“人の道の扉”が静かに、少しずつ開いていった。そして、扉の奥の忘れていた熱く光るものを思い出させてくれたのは、本書に書かれていた“たった20年の間に経験しなければならなかった波乱に富んだ彼の人生”と“その後の人としての見事な生き様”だ。

 ここで、波乱に富んだ彼の人生を理解していただく為に、カンボジアの国について少しだけおさらいをしておく。カンボジアはベトナムの隣国で、ベトナム戦争(1960〜75年)のころからアメリカの空爆を受けるなど戦争状態が続き、ベトナム戦争終結後もベトナム軍との戦争やポルポト派に代表される国内の派閥同士による内戦が1998年まで続いていた。その間、ポルポト派による大量虐殺が行なわれ、多数の難民が発生すると共に、それぞれの軍隊によって無数の地雷が仕掛けられていった。1992年、日本の自衛隊が初めてPKO活動した国で、1993年に実施された総選挙の支援に行った日本人の文民二人が犠牲になった国でもある。

 彼が生まれたという1973年は、本書に書かれている「アキラの年表」によれば、丁度内戦が始まったころだ。ポルポト派によって5歳のころ両親を殺された彼は、10歳でポルポト派の兵士になり、13歳で敵であるベトナム軍の捕虜となってそのままベトナム軍兵士として故国のカンボジア兵士と戦い、ベトナム軍が去った後16歳でカンボジア軍に入りポルポト派と戦ったという。日和見的で風見鶏のように聞こえるが、「死ぬか、言われる通り戦うか」の二者択一を迫られてのことで選択の余地はない。しかも、小学校4年生や高校1年生に突きつけられた決断だ。たとえ幼くても、兵士として戦うことを“運命だ”と受け入れるしかないのだ。そのためだろう、物心付いたころから戦いの日々を送った彼は、これが普通の世界だと思っていたという。あまりにも残酷で壮絶な人生に、胸が締め付けられてしまう。
 その彼が、国連カンボジア暫定行政機構(United Nations Transitional Authority in Cambodia)で地雷除去のスタッフとして働くことになったのが20歳のときだ。そこで今までとは別の世界があることを知り、衝撃を受けることになる。そして、「生き方は自分で選べるのだとわかった」という。日本の社会では当たり前すぎてほとんど意識してこなかったことが、こんなにも素晴らしく重みのあることだとは思っても見なかった。私にとって、扉の奥の熱いものを光輝かせてくれた至宝の言葉となった。
 そして、「天命」として選んだのが、一人で地雷を掘り続け除去していくことだ。しかも無償だ。今彼は32歳(2005年現在)だが、これまでに彼が処理した地雷は約2〜3万個に上るという。掘り出された地雷は、爆薬を抜き自宅兼地雷博物館に展示されている。博物館は地雷の危険と戦争の悲惨さを伝えたいと彼が建てたもので、自ら描いた彼の戦争体験の絵も展示し、「貧しい人にも見てもらいたい」と無料にしている。博物館では地雷で体が不自由になった子供たち20名を無償で預かり、頼まれれば自費で学校も建て、その上、先生に支払う給料まで彼が出すという。その活動は、ノーベル賞ものだ。
 観光ガイドとしての収入や、博物館を訪れる外国人観光客の寄付でまかなっているというが、苦しくないはずがない。そこで、これまで四方山話では読者の皆さんにお願いをしたことはないが、今回は是非お願いをしたい。本書を購入して、彼の活動を支援していただきたいのだ。そして、その輪を広めて欲しい。それが、友人の言葉ではないが、カンボジアから遠く離れた日本に住む我々に出来るせめてもの応援ではないだろうか。

【文責:知取気亭主人】

     
『アキラの地雷博物館とこどもたち』
【著者】アキ・ラー

出版社】:三省堂
【ISBN】:
4385362084(2005/09)
【ページ】: 166 p
サイズ】:単行本:(cm) 18
【本体価格】:\1,362
(税込)
 

 

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