どれ位前からか覚えていないが、最近ちょくちょく「ゴミ屋敷騒動」の話題を聞くようになった。チョット臭い町内のお騒がせ屋さんだ。どういうことがきっかけで“ゴミを集めるようになった”のか、あるいは“集まるようになった”のかは屋敷の主人によって多少異なるようだが、紹介される映像は一般常識をはるかに超えるものばかりで、テレビであることを忘れて思わず鼻を塞いでしまう。ワイドショーのレポーターが巧みに紹介する“現場”は、どれもこれも屋敷とは名ばかりで、ビックリするような大量のゴミに「ゴミ捨て場」と見間違うほどだ。
屋敷の主人が言う申し開きを聞いた限りでは、「環境に優しい生活を送るため」でもなさそうだし、「分別収集がめんどうくさいから」でもないし、ましてや「家の周りがあまりにも汚かったので掃除をやり続けていたらこんなにゴミが溜まってしまった」というわけでもなさそうだ。しかし、誰になんと言われようと、「ゴミ集め」が彼、彼女たちの趣味であることには違いない。もう少しマシなものを集めればよいのにと思うのだが、本人たちの楽しみであるから、度を超して近所迷惑になるまでは周りから『やめろよ』とは言えない。これが「ゴミ屋敷」と呼ばれるまでに発展(?)してしまう原因だ。
集めるのが趣味であれば「収集家」ということになるが、ゴミの中から金・銀を回収している様子もなさそうだし、「○○年前のゴミだから高い値で売れる」といった噂も聞かないから、「収集家」と言っても切手やコインなどのオタクとは大分趣を異にしている。金のためではないとすると浪費社会へのアンチテーゼなのか、周辺住民への嫌がらせなのか、あるいは厭世気分がそうさせているのか、どちらにしても片付けが下手糞な私でもその心の内は理解できない。我が家も決して奇麗に片付いているわけではないが、彼らには負ける(?)。脱帽だ。
『あんなところに住んでいて臭くないのだろうか?』とか、『病気にならないのだろうか?』などと、他人事ながら心配になってしまう。いくら整理整頓が苦手といっても限度というものがあるのに、一旦その限度を超えてしまうと際限が無くなってしまうものらしい。人間はすべからくそういった可能性を持っているのだろうか。いい加減な性格を自認する私としては、私にだけはその可能性が備わっていないことを祈るばかりだ。
でも考えてみたら、私が限度を超えてしまっても周りの人がせっせと片付けてくれればゴミの山にならなくて済むわけで、そういった環境を整えどんなことをしても維持していくことが、限度を超えてしまう心配をするよりもずっと重要のようだ。『♪奥様、これからもヨロシク!』
ところで、よく言われる整理整頓の「整理」と「整頓」、これを定義するとすればどのようになるだろうか。広辞苑によれば、「整理」は「乱れた状態にあるものをととのえ、秩序正しくすること。不必要なものを取り除くこと」とある。一方、「整頓」は「よく整った状態にすること。きちんとかたづけること」と説明されているが、いまいち違いが分からない。
そこで私の定義を紹介しよう。「整理」は「不必要なものを捨てること」と定義しているから広辞苑と同じだが、「整頓」は広辞苑よりももう少し具体的で、「必要なものがすぐ取り出せる状態にすること」と定義している。したがって私の定義に従えば、まず必要なものと不必要なものとを分別することが基本で、それが出来たら次に分別した不必要なものを捨て、最後に取り出しやすい状態にする。これが整理整頓の極意だと考えている。何年か前に「捨てる技術」というタイトルの本が流行ったが、まさに思い切って捨ててしまうことが重要だ。捨てることが重要なのに、いくら趣味といっても拾って集めてくればやがてゴミ屋敷になってしまうのは至極当然な話だ。
「男やもめにウジがわき、女やもめに花が咲く」と昔の人は旨いことを言ったが、確かに私の経験から言っても、男の一人暮らしは掃除や片付けをこまめにしないから汚い。ましてや、先程の話ではないが奥さんがせっせと身の回りの世話をしてくれた有難い経験を持つ男性が女性に先立たれる、つまりやもめになると、自分で片付けることをしてこなかったからもういけない。面倒くさくて簡単に限度を超えてしまうのだ。「ゴミ屋敷」の主人は、そんな男やもめが多いのに違いない。
一方、女性はというと、『そのてん、ことわざのとおり女性は違う』と言いたいところだが、最近の女やもめは花を咲かせるほど身の回りを奇麗にしている人ばかりではないようだ。「ゴミ屋敷」ではないけれど人騒がせな「騒音オバサン」の例にあるように、傍若無人の振る舞いをするオバサンたちが結構目に付くようになってきた。人の目を気にしない人が増えてきているのだ。イヤ、意外と昔から多かったかもしれない。どちらにしても、全国にどれくらいの「ゴミ屋敷」があるのか知らないが、女性が主人の「ゴミ屋敷」があってもなんら不思議はない。カカア殿下で、掃除洗濯の全てを旦那がやっていたとすれば、有りうることだ。
『待てよ? カカア殿下でそうなるということは、男の場合は亭主関白だとそうなるということか?』と、変な疑問が湧いてきた。
『ということは、亭主関白も程々にということか?』
どうやら落ち着くところに落ち着いたようだ。
『世の紳士淑女の諸君、将来ゴミ屋敷の主人にならないためには、亭主関白もカカア殿下も程々がよろしいようですぞ!』 |