またまた破廉恥なことをしでかした御仁がニュースソースになった。しかも本来であればそのような犯罪者を取り締まる立場の人間が起こしたものだから、あきれてしまう。
5月11日のYOMIURI ONLINE(読売新聞、http://www.yomiuri.co.jp/)に、「奈良県警の警官が、交通事故の処理を行なった際、怪我をした男児に付き添った母親のスカート内を盗撮していた」、というワイドショーが飛びつきそうな三面記事が載った。行為そのものは残念ながらちょくちょく話題に上りそうなことなのだが、犯行時の状況が状況なだけに事は重大だ。
これまでにも似たような破廉恥行為でニュースになった警察官もいたことはいたが、彼らのほとんどは非番の時に犯罪を起こしている。しかしこの御仁は、事故処理中でしかも救急車の車内で母親から事情を聞いているときにやったというから、まさに公務中だ。犯罪を取り締まるべき警官が公務中に犯行を重ねるとは、あきれて物も言えない。以ての外だ。明らかに警察官としてのモラルが欠如している。しかも49歳。社会人としても分別があり若手を指導監督していくべき年齢だ。これでは若者や子供たちへの示しもつかない。
年齢でいっても職業からいっても模範となるべき立場なのに、「『捜査だ』と言えば指示に従うので撮りやすかった」というから、“何をか言わんや”である。社会人としての、あるいは個人としての「品格」、もっと言えば正義を守るべき警察官としての「品格」が無いのだ。
振り返ってみると、今回のこの警察官ばかりでない。最近、人としての「品格」を疑ってしまうような出来事が目に付いて仕方がない。世界の中で自慢できると思っていた「日本人の品格」が音を立てて崩れ落ちていっているのではないか、と不安になってしまう。「国家の品格」も言わずもがなである。
例えば、国宝である高松塚古墳の壁画の人為的損傷を長年に亘りかくしてきた文化庁の組織的な隠蔽事件、教師や弁護士の少女売春や痴漢行為、政治家の公約違反等々、「品格がないな」と感ずる出来事は枚挙にいとまが無い。そして、今ボクシング界で人気のある亀田3兄弟にも、「やりすぎは如何なモノか」と感じている。
弁慶の格好をして登場したり、試合後に歌を歌ったりする“奇を衒う行為”は、「ボクシングを多くの人が楽しめるエンターテイメントに発展させる」という意味ではこれまでにないやり方としてある意味賛同している。しかし、チキンを食べながら記者会見に臨んだ姿や、負けた相手に対する礼節のなさを見ていると、いくら大衆がヒーローを求めているとはいえ「品格」を疑ってしまう。強いだけにそこが残念だ。
藤原正彦は今話題となっている「国家の品格」(新潮新書)の中で、新渡戸稲造が武士道の最高の美徳として「敗者への共感、劣者への同情、弱者への愛情」と書いていることを紹介し、自身も「卑怯を憎む心や、惻隠(そくいん)の情の大切さ」を述べている。私も彼らの考え方に賛成だ。やはり、亀田兄弟には、殴り合いといっても喧嘩ではなくスポーツである以上、「敗者への共感」を示してほしいものだ。
それにしても、藤原が「国家の品格」を著さなければならないほど、日本の品格は地に落ちているのだろうか。確かに最近の報道を見ていると、幼児を狙った凶悪犯罪や、お年寄りを狙った振り込め詐欺など、まさに劣者、弱者に対する犯罪が急増してきていることが分かる。新渡戸が言うところの「武士道の最高の美徳」が欠如している人間が増えてきているのに違いない。そうなると、総じて日本人の品格は低下していることになり、ひいては「日本国の品格」も地に落ちていることになる。地に落ちた品格を元に戻すためにはどうすべきなのだろうか。藤原雅彦の「国家の品格」にその答えがある。
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