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『ストロー現象』

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2006年6月7

 これまで東京都に続き日本で2番目に多かった大阪府の人口が、ついに神奈川県に抜かれ都道府県別の順位で3位となった。大阪府が6月1日に発表した「5月1日現在の推計人口」で神奈川県を約2千人下回ったというのだ(2006年6月2日、朝日新聞朝刊)。
 別に大阪府の人口が減少した為に逆転されたわけではなく、神奈川県の人口増加が大阪府のそれを上回った結果だ。データのある1920年(大正9年)から2005年(平成17年)までの国勢調査の結果を調べてみると、1975年(昭和50年)以降に両者の人口が一気に縮まってきていることが分かる(下のグラフ参照)。50年程前までは日本の政治・経済を二分してきた二大経済圏が少しずつ瓦解し、一極集中になり始めているとも見える今回のデータだ。
 しかし、白髪よりも黒髪が圧倒的に多かった大学受験のときの“うろ覚えデータ”によれば、大阪府の人口は確か神奈川県よりも200万人余り多かったはずだ。この差を40年ほどの間に逆転したのだから凄い。地方にいると然程実感できないが、日本の人口も総人口以外の切り口で見直してみると、結構ダイナミックに変動しているようだ。

 今回は、この話題や「2005年の合計特殊出生率が1.25と過去最低を記録した」との発表があったこともあり、真面目に日本の人口問題に焦点をあててみたいと思う。
 総務省統計局発表の「男女別人口及び人口性比」を基に、話題の大阪府と神奈川県、そして比較対象のために日本で最も人口の多い東京都と最も少ない鳥取県、更に私の二つの故郷、静岡県と石川県の計6都府県と日本の総人口のグラフを描いてみた。


(総務省統計局 「我が国の推計人口 大正9年〜平成12年」に平成17年分を加え知取気亭主人作成)

 左の縦軸が各都道府県の人口を、右の縦軸が日本の総人口(全国)を表し、単位は各々千人である。このグラフを戦前と戦後で分けて見ると面白い。まず戦前について見てみよう。

 戦前は東京都と大阪府の増え方が際立っており、神奈川県は総人口も増え方も静岡県と同じ程度で、1940年時点では大阪府の半分にも満たない人口であった。このデータから、当時の神奈川県は、まだ本格的に首都圏の一部として組み込まれていなかったことがうかがえる。そして、増え続けていた二大都市圏の人口が、日本の総人口共々太平洋戦争で激減することになる。
 詳しい数字で見てみると、東京都は1940年の736万人から1945年(終戦の年)には349万人に、大阪府は479万人から280万人へと、何と合計586万も減少している。この数値は、1940年当時の神奈川県(219万人)の約3倍の人口に相当する。2都府だけでこれだけの減少になったのは、戦死による減少もさることながら、空襲からの難を逃れるために大挙して地方へ疎開したことが大きな原因と考えられる。このことは、神奈川県も含めた大都市圏が減少しているにも拘らず、静岡県や石川県、島根県が僅かではあるが増加していることからも分かる。
 日本の総人口(棒グラフ参照)もこの5年間で、7,311万人から7,200万人へと約100万人も減少している。これに太平洋戦争が始まる前の5年間(1935年から1940年)に有った自然増386万人(=7,311−6,925)が可能だったとすれば、500万人近くも減少していることになる。結婚適齢期の男子の殆どが戦場に送り出され、出生数が極端に低下したことを考慮に入れても、この大戦で軍人と非戦闘員、約300万人もの国民が犠牲になったとされるのも頷ける。戦争はやはり悲惨だ。二度と繰り返してはいけない。

 さて次は戦後だ。出生兵士が帰国して国土復興へ向けて歩み始めると、日本の人口は再び増加の一途を辿ることになる。団塊の世代と呼ばれる我々が1947年から1949年にかけて産声を上げ、これと呼応して日本の総人口は終戦(1945年)から僅か5年で約1,200万人も増え、初めて8,00万人を超えた(8,400万人)。
 そしてその5年間を含めた1945年から1975年までの30年間は、若者を始めとする地方の働き手が夢と職を求め都会に集中するようになり、東京に代表される大都会の人口増加が再び突出することになる。静岡県、石川県、そして鳥取県の人口増加に比べると、東京都、大阪府、神奈川県の大都市圏のそれが如何に顕著であったか見てとれる。
 1975年(昭和50年)を過ぎると、ようやく東京都と大阪府の伸びは鈍化し、増え方は静岡県と変わらなくなる。そして、2大都市圏から離れている石川県と鳥取県に至っては、「戦前」、「戦後の1975年まで」、と「それ以降」、どの期間をとってもごく僅かな増減に留まっている。ところが神奈川県だけは、多少鈍化したものの、その後の30年間で石川県民総数のほぼ2倍に当たる239万人も増加している(=879−640)。東京のベッドタウンとしての人口集中が戦後から一貫して続いていることの現れだ。

 いずれにしても、東京都と神奈川県の人口増加の凄まじさをみると、如何に首都圏へ人口が集中しているか分かる。この傾向は、鉄道や高速道の整備率などと同じ歩調をとっているように見える。しかも、少子化により総人口の伸びの鈍化が顕著になってきた1995年以降も、羽田空港や地方空港の整備と呼応するかのように、東京都と神奈川県は順調に増加している。
 このように大都市と地方の時間的距離が短くなればなるほど、人、物、金、そして情報は、経済活動のより活発な大都市に集まるようになる。地方で見れば県庁所在地などの都市と周辺の農村部の関係がそうであり、もう少し広い目で見ると、政令指定都市とその他の市町村の関係も然りである。そして首都圏とその他の道府県との関係も全く同じ図式である。こういった関係を「ストロー現象」と言うそうだが、その結果、首都圏に政治と経済が集中するという極めてリスクの高い状態を招いてしまった。リスク管理の上からいっても、早くこの状態を解消しなくてはいけない。そう思うのは私だけではないだろう。

【文責:知取気亭主人】

     
 

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