冥王星がとうとう教科書から消えることになった。「すいきんちかもくどてんかいめい(水、金、地、火、木、土、天、海、冥)」と慣れ親しんだ受験用語呂合わせも、最後の「冥」が無くなるおかげで、「すいきんちかもくどてんかい」となにやら糞詰まりのような音感になって今一ピンと来ない。
そういえば丁度一年ほど前、「太陽系10番目の惑星発見か?」と話題になった冥王星よりも更に小さな星、仮称「セドナ」が発見され、天文学ファンの間で大きな話題となった。これを四方山話で扱い、第112話で「地球の兄弟が増える?」のタイトルで拙文を書いたが、その中で「水、金、地、火、木、土、天、海、冥、丼」 などというふざけた語呂合わせを楽しんでいたのが昨日のことのようだ。
あれから僅か1年の間に更に幾つかの小さな天体が発見されて、天文学者の間では、太陽系の惑星は今回決定した8個だとか、これまでどおり9個が良いとか、新しく発見されたものを加えて11個だとか、イヤイヤもう一つ加えて12個だとか、色々な意見が飛び交っていたようだ。しかし、プラハで開かれた国際天文学連合で、惑星の定義として、@太陽の周囲の軌道を回る、A自分の重力で固まって球形をしている、Bその天体が軌道周辺で圧倒的に大きい、の三つが採択された。その結果、より大きな海王星と軌道が重なる冥王星は、Bの条件を満たすことができず消えることになったというわけだ。
冥王星は1930年に発見されたそうだから、表舞台に立っていたのは76年だったことになる。丁度人の一生ほど、太陽系の最遠惑星として注目を浴びていたことになるわけだ。これまでの76年の栄誉を称えてなのかどうかは不明だが、新たに設けられた「矮小惑星」としてその名を留めることになる。今回の決定によって惑星の名前からは消えることになるが、実体が消えて無くなるわけではない。
このニュースを聞いたとき、「冥王星が惑星でなくなっても大きな影響は教科書やプラネタリウムぐらいで他への影響は殆どないだろう」と考えていた。ところが、テレビに「宇宙戦艦ヤマト」の作者松本零士氏が出演し、「冥王星が太陽系の果てである」という彼の漫画の基本思想が変わってしまうから残念だといった話を聞き、思わぬところで影響が出るものだなと関心をした次第である。
ところで、冥王星の場合はその影響も夢のある話で留まっているし、「惑星の名前から消えても実態としては存在している」ということは世界万民が認めるところである。ところが、我が地球上では、同じ「有るのに無い」という話なのに、ロマン溢れる宇宙や惑星と対極をなす事件が新聞紙上を賑わしている。
実態としては有るにも拘らず「無いと言い張れ」、あるいは「バレやしないから無いことにしてしまえ」と、事実を消し去ろうとしているとんでもない組織があるのだ。どうやら頭隠して尻隠さずの状態なのに、羞恥心がないのか、やけっぱちになっているのか、みっともないことに日本中に醜態をさらけ出している。岐阜県庁による裏金づくりと隠蔽工作のことだ。やっていた裏金作りは公金横領の立派な犯罪なのに、あろうことか組織ぐるみで行われていたのだ。
岐阜県の調査によると、カラ出張、カラ雇用、カラ会議などの架空経費を計上する方法で、1994年まで殆どの部局で裏金づくりが行なわれ、しかも不正経理をチェックする立場の監査委員事務局や出納事務局までもが関与して、1994年度中に捻出していた裏金は驚くなかれ約4億6600万円にも上っていたという(2006年8月18日、読売新聞朝刊)。
1995年から1997年にかけて他の都道府県でも裏金づくりが次々と明るみに出たが、岐阜県ではそれから10年も遅れてやっと今年になり明らかになった。それは、職員組合から副知事まで(副知事の話では当時の知事も承知していたという)組織ぐるみの隠蔽工作が行なわれていたからだという。
読売新聞によれば、集められた4億円以上の裏金のうち2億円以上が組合に流れ、その半分は組合員の飲み食いや処分を受けた職員への貸付などに使われていたという。そして、何と言っても全国的にこの隠蔽工作を有名にしたのが、個人で裏金を保管していた職員が処分に困って400万円を焼いてしまったというものだ。400万円といえば、ちょっとしたサラリーマンの年収だ。それを焼いてしまうなんて、もったいない! 『焼いてしまうぐらいなら、俺にくれ!』と叫びたいけれど、忘れてはいけないこれも税金なのだ。
しかし、証拠隠滅を図るとは以ての外だ。しかも、自分の金でもない県民の血税を焼いてしまうなんて言語道断だ。もっと驚いたことに、焼いたのは県教委の職員だというではないか。これでは、児童や生徒に示しが付くはずがない。
その上、この裏金騒動には笑うに笑えない“笑い話”もある。2006年8月23日の読売新聞朝刊に、「裏金の一部が国連児童基金(ユニセフ)をはじめ、複数の慈善団体に寄付されていた」というブッラクユーモアばりの記事が載った。読んだとたんに思わず『アホか!』と叫び、悔しいことに笑ってしまった。ユニセフは「公金でつくった裏金の寄付は非常識」としているそうだが、当然だ。誰が考えても常識ある行為だとはお世辞にも言えない。
多少なりとも良心の呵責に苦しんだのかも知れないが、額を寄せて
『使ってしまったものは仕方がない。なかったことにしよう』
『残った金の一部を慈善行為に使っていれば、例え見つかっても穏便に済ませてくれるだろう』
と、ヒソヒソ話をしている職員の姿が目に浮かぶ。『やっていたのは俺だけじゃないよ』と、やって当然といった言い訳があちらこちらから聞こえ、やがて一つにまとまって『みんなでやってりゃ怖くない。責任のとりようがないもん』と、開き直りの大声が聞こえるような気がするのは、やはり気のせいかい?
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