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『家宝の発見』

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2006年11月15

 一月ほど前、ひょんな事から家の模様替えをしようと思い立ち、以来時間を見つけては家の中の整理を始めている。整理し始めたのはいいのだが、なかなかイメージどおりの部屋になってくれない。家族の殆どが「捨てられない症候群」に長いこと冒されているせいか、一目見て『これは要らないだろう』というものから『これ何でこんな所にあるの』といった類のものまで、『良くもまあこれだけゴタゴタとあるな』とウンザリするほどのモノが次から次へと出てくる。したがって、整理を始めてから既に4週間が過ぎているというのに、一向に片付かないのだ。勿論整理にかけている時間が少ないということもあるが、それ以上に、成人した家族が6人もいてそれぞれの「取って置きたい」と思うモノが別々にあるため、兎に角量が多いのだ。例えば、毎日届けられる郵便物もちょっとした会社並みだ。その上、本人以外その重要性や貴重性などを認識していないため、片付ける人によって大事なモノだったりゴミだったりするわけだ。そうなると、他の5人に聞かないと捨てられなくなり、貴重なスペースを占有して鎮座まします珍品が必然的に増えてくることになる。

 そんな珍品の中に「何か掘り出し物はないか」と目を光らせているのだが、これまでのところ私が密かに期待している「忘れられていたへそくり」も、思わず顔がほころんでしまうような金目のモノもまだ見つかっていない。家宝として代々受け継がれるような高価な骨董品や、再販が利くような価値あるモノがあれば良いのだが、大きな顔をして部屋のそこかしこを占領している品物の中にそんな棚ボタのような話があるはずもない。ましてや、かすかに希望が残る「子供が小学生の時に作った迷作(?) の図画や工作」も、本人のこれからの出世如何で価値が決まるため、残念ながら現時点ではテレビ番組に出せるような代物は何もない。ただ、ひょっとしたら将来日本を代表するような有名人になって、『これが幼少の頃にお描きになった絵です』と紹介され数百万円の値が付くかも知れないので、やはり捨てられないでいる。結局、なんだかんだといって「捨てられないで場所を移動しただけ」ということになりそうな気配だ。
 とは言っても、「場所を移動しただけ」ではなく直ちに廃棄処分にしたモノも少なからずある。「整理とは、要らないモノを捨てること」という私の考えが、見事(?) に実践されていることをいくつかの事例で紹介したい。
 余り自慢できるモノではないが、器械のほうはとっくに壊れて捨てられてしまったのに何故か大事に保管されている取扱説明書と有効期限の切れた保証書、中身のない広辞苑のハードケース、読む当てのないカタログ販売の雑誌、いつの間にか、いやいや買ってすぐに熱が冷めてしまった健康グッズなどなど、枚挙に暇がない。お恥ずかしいことに、広辞苑のハードケースのように誰が見ても「これはゴミだ」と即断するようなものまで見つかった。「見事に実践されている」の思いとは裏腹に、「捨てられない症候群」もここまでくるとかなり重症だ。そしてその典型が、語学教材だ。

 学生時代に英語の成績が悪かったことをコロッと忘れ、「これを読めば、これを聴けば、英語の達人になれるはずだ」と勘違いして買い求めた数々の本やカセットテープ。今でも時々聞くテープはあるものの、『エッ、こんな教材も買ったんだっけ』とビックリするような量だ。『子供の分もあるからな』と自分に言い聞かせてはみても、読んでも聴いてもままならない英会話の実力を考えると、随分と無駄な買い物をしたものだ。健康グッズと同じように熱が冷めるのが少しばかり早かったのか、元々日本語だけしか理解できないようなDNAを授かってしまったのか、いずれにしても皺が少なくなってきた脳にとっては最早珍品と言われても仕方ない。

 珍品と言えば、埃をかぶった音楽テープも沢山出てきた。こちらは、昭和40年代に流行していた歌謡曲や、LPレコードからダビングしたと思われる懐かしいテープだ。中には何が録音されているのかハッキリとしないテープもあったのだが、私と息子は、『要らない』と言ってポイポイ捨てていた。それに気がついた妻が、『確か“我が家の宝”があったはず』と、1本、1本探すように聴き始めた。
 片付けながら傍らでチェリッシュや小椋桂などの懐かしい歌声に耳を傾けていたところ、突然可愛い子供の笑い声が聞こえてきた。小さな男の子の声だ。その大きな笑い声に混じって、女の子の声も聞こえてくる。我が家の子供達が小さかった時のテープを見つけたのだ。録音されている話の内容からすると、次男が小学校1年生の時、今から14年も前のテープだ。確かに、私の声も妻の声も、今よりもずっと若々しい。私が酔っぱらって帰ってきた時に隠し録りをしてあったモノだという。「まずいことは口走っていないだろうな」と内心心配していたのだが、そんなことは杞憂に終わるほど愉快な内容だ。
 しばし手を止めて聞き入っていると、酔っぱらって帰っては子供達をかまっていた時のことが、走馬燈のように浮かんでくる。良く聞いていると、“かまっている”というよりは“遊んでもらっている”と表現した方が正解のようだ。久し振りに涙を流すほど笑わせてくれた。それにしても懐かしいテープだ。妻が言うようにこれは確かに我が家の宝だ。
 そして、もう1本家宝のテープが見つかった。今から22年前、長男が幼稚園の年少さんの時のモノだ。3歳の長男を頭に幼い3人の子供達と静岡から嫁いできた妻を親戚もいない金沢に残し、4ヶ月間ネパールに単身赴任していた時に届けられた声の便りだ。食事をしながら妻や幼子の声を聞いていると、苦労をかけた往時が偲ばれて涙腺が怪しくなってきた。そして、テープの終了間際に聞こえてきた、『パパ、ボク寂しいよ』のあどけない長男の声に涙が流れて止まらなかった。
 確かに片付けは遅々として進まないが、感激の家宝を見つける切っ掛けとなった今回の整理と妻のすばらしい記憶力に、ただただ感謝である。     

【文責:知取気亭主人】

     

ツワブキ

 

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