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『危険予知能力をどう育むか』

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2007年1月24日

 2003年に青森県奥入瀬渓流の遊歩道で起きた「落ちてきた長さ7mの枯れ枝で観光客の女性が下半身麻痺の大怪我をした事故」の管理責任を争った裁判があり、17日、東京高裁より判決が言い渡された。判決では、国と青森県に安全管理の落ち度があったと認め、1審より約4,000万円多い1億8,900万円の賠償を命じた。
 似たような事故の裁判が昨年暮れにもあり、12月14日、今回と同じ東京高裁から判決が言い渡されている。事故の概要は、「千葉市動物公園で当時1歳7ヶ月の男児がベンチから後側に転落して、植え込みの枯れ枝が刺さり不幸にも男児が死亡した」というものだ。ショッキングな事故だったので覚えている方もおられると思う。公園の管理責任を争ったこの裁判では、奥入瀬渓流の事故とは反対に「千葉市の管理責任を認めた1審の判決」を取り消し、原告側敗訴とした。
 今回の四方山は、この2件の判決を聞いて感じたことを書いてみたい。

 私は未だ行ったことはないが、アメリカを代表する観光地のグランドキャニオンには、転落防止の柵がないと聞く。落差1,600mを超える目も眩むような崖の上に柵がない。谷底への遊歩道の手前に立てられた、「ここから先は水と食料を携行しないものの歩行を禁ずる」というもの以外、立ち入り禁止や危険などの立札もないという。つまり、「崖の端に行ってもいいけど、あなたの判断でどうぞ」ということだ。よく言われる「自己責任」の世界だ。
 「ここは日本だ。アメリカの真似などする必要がない」という意見もあるだろう。しかし、ある程度の自己責任(自身の危険を回避する判断と行動)がないと、無菌育ちのハツカネズミではないけれど、危険が一杯の社会の中では生きていけない。
 例えば、野山の自然歩道を想像してみよう。場所によっては、事故に遭ったように枯れ枝も落ちるだろうし、マムシがいるかもしれない。蛇に驚いて転んだり、崖から落ちたりして怪我をする危険性もある。今話題になっている猪や熊が突然襲ってくる危険性だってある。都会育ちの人には想像できないのかもしれないが、そういった危険もすべて含めて自然なのだ。そして、それを承知で自然を楽しむことが基本だと私は考える。したがって野山に限らず自然を楽しむ場合には、「自然とは人間によってコントロールされないものだ」との基本認識を持ち、必ず「もしやの時の準備」をしておくことが必要だ。

 子どもの事故も同じだ。特に、何でも口に入れて確かめようとする乳幼児は、大人の想像の枠を簡単に超えることをやってくれる。したがって、自然を楽しむとき以上に「もしやの時の準備」をしておかなければならない。四方山話の第146話「子供を救え」で、子どもを育てる極意について触れ、「乳児のときには肌を離すな幼児のときには手を離すな少年のときには……」と書いた。これは子育ての基本だ。
 日本では、悲しいことに最も安全であるはずの家庭でさえも乳幼児の事故は絶えない。ましてや、何が起こるか分からない屋外で手を離すことは、事故を約束してしまうようなものだ。少なくとも子どもが小さな時は、彼らの最悪の行動を予測し、安全を守るのが親の責任である。

 では、危険を察知する力、危険予知能力はどうやって育んだらいいのだろうか。欧米のどの国のことか忘れたが、「子どもに教える水泳の最初の授業は、服を着たまま水の中に飛び込ませる」ということを聞いたことがある。スマートに早く泳げるようにと指導するのではなく、万が一海や川に落ちたとき、溺れないようにする訓練をやるのだという。この訓練方法に予知能力を育むヒントがある、と私は考えている。
 確かに事故で水に落ちるときは殆どの場合衣服を着ている。靴も履いている。水着だけのときと違って、思っているほど上手く泳げない筈だ。私も体験したことはないが容易に察しが付く。子どもたちもビックリだろう。しかし、この訓練で水の怖さと、いざというときに自らの力で助かる方法を、力を、身に付けることができるのだ。つまり体験させるのだ。
 翻って日本はどうだろうか。少なくとも我が家の子供達が小さかった頃はそんな指導はなかった。そんな指導どころか、家の近くに川があるのに川遊びを禁じている小学校さえもあった。川が持つ自然の豊かさや恐ろしさ、あるいは郷土の自然環境を学ぶ折角のチャンスなのに、最も感受性が豊かな子ども時代に敢えてそれを禁じているとは勿体ない話だ。結果的に、川や水に対する危険予知能力を育むチャンスも失っている。体験が少なすぎるのだ。
 子ども時代に川の持つ色々な顔を知っておかないと、毎年夏のキャンプシーズンに繰り返される「増水した中州に取り残されたり、流されて亡くなったりする事故」は、今後増えることはあってもなくなることはないだろう。

 「子どもの危険」を察知する親の危険予知能力も全く同じだ。セックスをして子どもができたから、といって親になれるわけではない。産まれてきた子供に精一杯の愛情を注ぐことは勿論、親になる前から小さな子どもに接し、子どもの行動パターンを良く理解しなければ、我が子に迫る危険を回避することは難しい。 “愛情と体験”が乏しいと危険予知能力を研ぎ澄ますことができないと考える。ヒト任せではダメだ。そう考えると紹介した2件の事故は、公園などの公共施設の管理を“全て行政に委ねてきたツケ”、あるいは“行政が何事にも口を出しすぎたツケ”が、回ってきた結果なのかもしれない。

 話は少しずれるが「カンボジア北部のジャングルで、8歳のとき行方不明になった少女が19年ぶりに発見された」というニュースを読んだ(2007年1月19日、讀賣新聞夕刊)。殆ど言葉も喋れず、半分人間、半分動物状態だという。確かに、コミュニケーションをとったり、社会生活に適応したりする人間性は失われたかもしれないが、彼女の危険予知能力は文明の利器に囲まれて生活している我々よりも遥かに鋭いに違いない。そういった意味では、マニュアルどおりに動いてくれない“自然”や“乳幼児”に対して安全行動、あるいは危険回避行動を取ることができるようにするためには、子どもの頃から自然や自分より小さな子に接し、いろいろな体験を積むことが重要だ。そうすれば、冒頭に紹介したような不幸な事故はグンと少なくなるのではないだろうか。

【文責:知取気亭主人】

     

 

 

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