最近、随分重い物の盗難が世間を騒がしている。鋼材を積んだトレーラーが車ごと盗まれた事件や、公園の入り口によく見られるステンレス製の車止めが抜き取られた事件など、その重さからすると窃盗としてのコストパフォーマンスがとても高いとは言い難い重量物の盗難が相次いでいる。しかも嵩張るだけにすごく目立つ。我々建設業界に携わる人間からすると、とても盗みの対象になるとは考えもつかない大きくて重いだけの「水路の金属製蓋や1枚1.8トンもある鉄板」なども盗まれている。
一方、そういった金属製の建設資材だけでなく、資材置き場で保管されている電線もゴッソリと盗まれている。束になった電線もかなり重い。ただ、電線は金属の中でも単価が高い銅でできているから、鉄板よりはまだコストパフォーマンスが高く盗みの対象となることも分かる。ぼんやりとした記憶によれば、昔もそうだった。不謹慎だが、「電線の窃盗」と聞くと何故だか郷愁を感じてしまう。
私が小学生だった頃(昭和30年代の初め)は戦後の物不足・混乱がまだ続いていた時代だったこともあり、多くの子供が釘や鉄クズ、あるいはアカと呼ぶ銅製品などを拾い集めて売りに行き、小遣い稼ぎをしたものだった。時効だから白状すると、端切れの電線などを資材置き場から失敬したりもした。もちろん子供が持てる量だから程度は知れている。
そして拾い集めた物を、「クズ鉄屋」と呼んでいた店に売りに行くのだ。拾う方法はシンプルで、U字型をした大型の磁石に紐を付け地面の上を引きずって歩くと、釘などが結構くっついて来る。それを溜めておいて売りに行くのだが、友達の分も一緒にすると5円とか10円になり、当時はまだ貴重だった駄菓子が買えた。何しろ、バラで売っているキャラメルが1個50銭の時代だ。金属拾いは、田舎に住む当時の子供にとっては良いアルバイトだったのだ。また、運が良ければピストルの弾や薬きょうも拾うこともあり、それが結構自慢になったものだ。授業中にそれらをいじっていてケガをした友達もいた。「電線もゴッソリと盗まれた」とのニュースを聞いて、そんな昔を思い出した。
盗難といえば、茨城県や栃木県では『エッ、ウソッ!』と思わず我が耳を疑ってしまうような物も盗まれている。火の見櫓に吊り下げられている半鐘だ。読売新聞によれば、両県での被害は、数で35個、金額にすると約460万円に上り、重い物では80キログラムもあるという(2007年2月21日、読売新聞 YOMIURI ONLINE)。取り付けてある場所も場所だし大きさや重さを考えると、盗むのも盗んだ後の処理も大変だったと思う。
半鐘は青銅製のため同じ金属でも鉄に比べて高価で、しかも最近は中国の建設ラッシュで高騰していて1キロ500円前後で取引されているらしい。サイレンや防災無線に取って代わられたとはいえ、火災や災害から地域を守る象徴として重要な役割を担ってきた物を盗むとは、罰当たりなやつだ。しかも、そのやり方は手荒い。ATMを大胆かつ強引に破壊し現金を強奪する手口と似ていて、半鐘泥棒も重機を使っていることは間違いなさそうだ。昔に比べると盗みも随分と乱暴になってきたものだ。
ところで「電線盗難の報道で子供のころを思い出した」と書いたが、「半鐘盗難」のニュースで同じように思い出したことがある。戦時中の金属供出についての話だ。
私が育った田舎に小さな池がある。そのすぐ脇を旧の県道が通っているのだが、ガードポールがない。幅50センチほどのコンクリート製支柱が、2〜3メートルおきに建っていて上下2段に穴が開いているのだが、そこに納まるべき物がない。子供のころ母に聞いたところによれば、その穴には鉄パイプが設置されていたのだが、「戦時中、お国のために供出された」と言っていた。一般家庭の鍋、釜をはじめ、橋の欄干やガードポール、銅像や寺の梵鐘までもが例外ではなかったというから、如何に資源が逼迫していたかが分かるというものだ。とは言っても、日本との戦争突入が国民に知らされた直後にアメリカでも金属を供出していたニュース映像を見た記憶があるから、戦時下に国民から供出があるのは万国共通だったのかもしれない。
実は今回、戦時中の供出について調べていて、興味ある史実を知った。一つは、日本では幕末にも「金属供出のおふれ」があったということだ。黒船来航にビックリした幕府が、大砲などの兵器増産のため諸国の寺院に梵鐘の提供を求めたというから、太平洋戦争の時行われた金属供出は二度目のことになる(http://www.geocities.jp/kyo_oomiya/meta.html)。
今ひとつは、驚くべき物まで対象となっていたということだ。これを聞けば皆さんビックリされると思うが、太平洋戦争末期には家庭で飼育している犬や猫までも供出させたという。肉は缶詰肉になり毛皮は飛行機乗りの防寒服にしたというが、供出後の利用方法についての真偽は定かではない。ただ、供出は事実だという。実際、犬を供出した人をモデルにして「犬の消えた日」(井上こみち著、金の星社刊)が出版されているし、NHKラジオの「土曜ジャーナル」でも放送されている。悲しすぎる話だ。やはり、戦争は絶対してはいけない。
ところで、今回の四方山を書いている2月26日の夜、半鐘以外にもあ然とするような物まで盗まれているとのニュースが流れた。線香皿だ。アルミ製の足場板の報道にも『エッ』と思ったのだが、墓石に設置されたステンレス製の線香皿が盗まれていたとの報道には、アングリだ。いくら「千の風」で歌われているように「――
そこに私はいません――」といっても、亡くなった人を供養する道具まで失敬してしまうとは罰当たりなやつだ。「心には千の鬼が棲む」と言われているが、線香皿が盗みの対象となるとは閻魔様も驚いているに違いない。
|