「能登はやさしや土までも」と言われている能登半島が、大きな地震に見舞われ激しく揺れた。休日気分は勿論、進級、卒業、入学、入社など4月から新たな一歩を踏み出す人たちの晴れがましい気分を一気に吹き飛ばす激しい揺れだ。
3月25日午前9時42分、能登半島西方沖の日本海を震源とする強い地震があった。震源の深さは11q、マグニチュード(M)は6.9(発生直後はM7.1と発表され、その後M6.9に訂正された)、最大震度は震源に近い輪島市を中心として6強を記録した。国内では2004年10月に発生した中越地震以来の強い揺れで、忘れ始めていた地震の怖さを再認識させられる惨事となった。
27日朝までの集計によれば、人的被害は死者1名、重軽傷者215名と報道されている。発生時間が就寝中や食事の準備をする時間帯でなかったことが幸いして、激しい揺れの割に亡くなった方が少なかった。これがせめてもの救いだ。ただ、正確な情報が集まるにつれ、被害が拡大していくことが予想される。また、強い余震も多発しておりまだまだ予断を許さない状況だ。震源地に近い能登地域での有感地震は既に200回を越え、震度4〜5弱の激しい揺れを観測する強い余震も今日(28日)まで毎日発生している。傷んだ家屋の倒壊や緩んだ斜面の崩壊、あるいは落石が心配だ。
「能登半島地震」と命名された今回の地震は、日本の広い範囲で揺れが観測され、震源域に近い石川県以外では富山県や新潟県でも激しい揺れに見舞われた。中でも特筆すべきは、震源地から200q以上も離れた新潟県中越地方の刈羽で震度5弱を観測し、不思議なことに震源地に近い金沢(震度4)より強い揺れに襲われたことだ。
メキシコ地震(1985年9月19日、M8.1)の時、震源地から約350qも離れたメキシコシティーが激しい揺れに見舞われ、甚大な被害を発生させた現象と良く似ている。メキシコシティーがそうだったように、中越地方も軟らかい地盤が分布している影響なのだろうか。長女の引っ越しでたまたま刈羽近くの柏崎にいた私は、奇しくも我が家から遠く離れた新潟県でこの激しい揺れを体験することになった。
長女の部屋で運び込んだ荷物の片付けをしていると、ギシギシときしむ音を立てながらアパートが大きく揺れ始めた。壁に捕まっていないと立っていられない。しかも、振幅の大きな揺れで30秒は続いただろう。『ついに東海地震発生か』と思った私は、揺れが収まると直ぐにテレビのスイッチを入れた。しかし、地震速報は流れていない。速報が流されるまで5分も掛かっていないだろうが、待っている間のもどかしいこと。これほど長く感じたことはない。
やっと流れてきたテロップを読むと、なんと震源地は能登半島沖だと言うではないか。もうビックリだ。『今の時間だと次女一人だ。柏崎でこの揺れだ。娘は、外出しているはずの息子は大丈夫だろうか』と不安が駆け巡る。早速携帯に電話をするが、もう繋がらない。家に電話をしてもダメだ。しかし、諦めずに電話をしていると何回目かにやっと繋がった。「揺れは凄かったけど、仏壇に供えてあったコップの水が少しこぼれた程度」と聞きやっと安心できた。そして、会社から安否を確認する電話があったことを知らされた。早速会社に連絡するが案の定繋がらない。
諦めずに電話し続けてやっと繋がった。こちらは無事であることを告げ皆の安否を尋ねると、今手分けして連絡を取っている最中だという。被害の様子を聞くと、どうやら金沢は大したことがないらしい。少しほっとして受話器を置いたのだが、このとき以降、携帯電話も固定電話も通話制限していてぜんぜん繋がらない。日頃いつでも繋がる便利さを享受している身にとって、掛けても掛けても繋がらない不便さはイライラが募るばかりだ。やはり、災害時の緊急連絡手段を取り決めておくことの必要性を痛感させられた。
今回の地震は、海底に延びる活断層のズレだったそうだ。地震を引き起こす可能性が高い地上の活断層についてはかなり詳しい調査が行われ、地震発生確率も発表されていたのだが、残念ながら今回の断層は対象外であった。これによりこれまで行われてきた活断層調査が、万全でないことが明らかとなった。つまり、「想定外の場所で地震が起こる可能性がいくらでもある」ということだ。
不幸にも地震多発地帯に住んでいる我々日本人は、『この地域は昔から大きな地震がないから安全だ』とか、『自分だけは大丈夫だ』という考え方を捨てなければならない。そんな安全神話は妄想だ。今回の地震で被害の大きかった能登の多くの人たちも、地震に対する備えはほとんどしていなかったという。それが被害を拡大させた大きな要因だ。今からでも遅くはない。我が身や家族そして財産を守るために、災害に対する備えを今すぐに始めようではないか。
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