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中国で生産された冷凍餃子から、日本では使用が禁止されている毒性の強い殺虫剤(メタミドホス)が検出され、大騒動になっている。昨年の暮れから先月にかけて、千葉県や兵庫県で問題の冷凍餃子を食べた人達が吐き気や下痢などの中毒症状を訴え、千葉県の女児が一時意識不明の重体になっていた、とニュースで報じられている。恐ろしいことだ。しかも、事件発生後中国の製造工場を視察した輸入商社の話では、しっかりと安全管理されている工場であるから製造工程で混入する可能性は低いという。その上、日本に輸入されてからの保管体制や流通方法を考えると、日本に入ってから混入する可能性も殆ど無いという。となると、いったいどこで混入したのだろうか。
一方、殺虫剤が検出された袋の中には小さな穴が見つかったものもあり、だれかが故意に混入した可能性も出てきている。そうなると、地下鉄サリン事件以来の無差別大量殺人を狙った犯罪ということになる。まだ解明された訳ではないが、もしそうだとしたら余りにも卑劣だ。仮にそうでなかったとしても、原因が解明されるまでは冷凍餃子を食べる気にはならない。寂しい限りだが、日本の食卓や弁当から、餃子のみならずその他の冷凍食品も暫く姿を消すことになりそうだ。
ところで、この一連の騒動を報ずるテレビを見ていて、何か釈然としないものを感じている。それは、危機管理という視点でこの問題を捉えたとき、原材料の品質管理や加工工程での品質管理、或いは輸送時や保管時の管理体制などがクローズアップされてはいるが、それ以前に「国家としての
食料生産や備蓄の戦略」について殆ど触れられてないことだ。つまり、日本に食料戦略がないことが問題なのだ、と訴えているメディアがほとんどない。
そんな中、1月31日の日経新聞に、この冷凍餃子問題で関係閣僚による対策会議を開く、との記事が載っていた。関係閣僚とは、町村官房長官のほか、厚生労働省、農林水産省、食品安全担当、国民生活担当、の4閣僚だという。責任を持って国民の前に出てくる所轄部署はどこなのだろうか。責任閣僚は誰なのだろうか。それも見えてこない。
翌日の新聞に、「閣僚会議で関係省庁・機関で連携して対応することを確認した」と報道されていることからも、省庁はもちろん、閣僚も「みんなで渡れば怖くない」方法で誰一人責任を取ろうとしていないことが明らかとなった。これでは、食の安全を政府に任せることはできない。
食料は生命の源だというのに……。
以前、カロリーベースの食料自給率が40%にまで落ち込んだとき、食料増産を訴えた議員に対し『日本のような生産効率の悪い国で生産しなくても、世界の安いところから買えばいいんだ』、と反論していたお偉い国会議員の先生がおいでたが、こういった国家の安全保障に対して何も考えていない人が国会議員でいることは、日本にとって大変不幸なことだ。
食料は太古の昔から戦略物資だというのに、食料戦略の言葉さえ頭に無いのだろう。
1月9日の朝日新聞に、「ロシア、アルゼンチン、カザフスタン、中国、ウクライナ、セルビア、インドの7カ国が小麦輸出を規制していることが農林水産省の調査で判明した」との記事が掲載された。米国シカゴ商品取引所の小麦価格は、1月4日時点で1年前の2倍に高騰しているという。食用小麦の9割を輸入に頼る日本は、昨年の後半から中華めんやパンの値上げが続き、台所を直撃している。各国のバイオエタノール増産で価格が高騰しているトウモロコシを始めとするその他の作物でも庶民の生活を圧迫し始めている。そしてもっと悲観的な見通しがあって、「価格上昇どころか現物の確保自体が難しくなっている」と農水省の幹部は語っている(2008年1月9日、朝日新聞朝刊)。しかも、農林水産省のホームページでは、平成18年度の食料自給率(カロリーベース)がついに40%を割り込み、39%になったと報じている。因みに、同ホームページに掲載されている主要国の食料自給率(カロリーベース)の中から、最新の2003年のデータを月比較してみると、日本の低さが際立ってくる。

上のグラフを見れば、いかに日本の農業戦略が無策であったか良く分かる。しかも、残念ながらこの状態が改善される日は暫くきそうもない。中国を始めとする諸外国に、我々の命のエネルギーの半分以上を頼る生活が続くことになる。当然ながら価格の高騰や輸入量の減少、最悪の場合は取引の停止や今回のような安全が担保できない事態が起こるとも限らない。
食料自給率が低いということは、それだけリスクが高いのだ。残念なことに、今回の事件でそれが証明されてしまった。
政府は、早急にリスク回避の対策を取らなければならない。そのためには、都会で生活する官僚や代議士、あるいは大学の先生ばかりに政策を任せるのではなく、農業に携わる人たちや町興しや地域の活性化に携わる人たち、或いは防災ボランティアに携わる人達の知恵が、政策に反映できるような仕組みづくりが必要なのではないだろうか。
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