|
8月8日、いよいよ8尽くしの北京オリンピックが始まった。夏のオリンピックとしては、東京、ソウルに続きアジアで3番目の開催となる。アジアの盟主たらんとする中国としては、日本、韓国の後塵を拝して来ただけに悲願のオリンピックとなった。
しかし、13億とも16億人とも言われる全ての中国人が、手放しでこのオリンピック開催を歓迎しているわけではない。四川大地震の被災者達はそれどころではないだろうし、チベット自治区や新疆ウィグル自治区に暮らす先住民族の多くは、その意思を、デモや暴動によって自国のみならず世界に向けアピールしている。その他、都市部と農村部との格差問題など、数々の頭の痛い内政問題を抱えながらの開催となった。特に、民族紛争に起因するテロには随分と気を使っていて、過去のオリンピックでは例を見ないほどの物々しい警戒の中での開催となった。
そういった背景があるからなのか、折角の4年に一度の祭典なのに、私の中では今ひとつ盛り上がりに欠けている。これまでのオリンピックと違い、不思議と気持ちが高ぶってこないのだ。何故だろう? 世界中で騒然となった聖火リレー騒動の余韻がまだ残っているからなのだろうか? 確かに、それもある。しかし、そういった事だけか、と問われるとハタと首を傾げてしまう。"中国が抱える問題"だけで片付けてしまうには、何か釈然としないものが残るのだ。そこで、何がそうさせているのか、考えてみた。
まず頭に浮かんだのは、同時並行的に開催されている高校野球甲子園大会だ。こちらの方が余程面白いからか? これはどうも違う。地元の高校や故郷のチームが出る試合は注目するが、他の試合は昔ほどの興味がなくなってきているのだ。野球留学が盛んになり、各地区の代表校の殆どを私立で占める様になった頃から、少しずつ興味が薄らいできている。甲子園を目標にやっている生徒には申し訳ないが、学校教育の一環としての「高校野球」の意義や「故郷の代表校として」と言われてきた意義が、失せてしまったような気がしてならない。だから、昔ほど熱中できないのだ。
では、齢を重ねるに従い自身の体がスポーツに向かなくなり、興味が失せたのか。これも違う。昔から体を動かす事は好きで――メタボ回避という大義名分もあるのだが――、今でも腕立て伏せやスクワットを週に3日はやっている。勿論スポーツ観戦も大好きだ。サッカーを筆頭に、スポーツ番組は好んで観ている。だから、これも理由ではない。
仕事が忙しいからか? 災害の緊急業務が入りバタバタとしている事は事実だが、それ以上に、会社を取り巻く環境悪化の方が影響は大きそうだ。アテネ大会の4年前と比べると、我々が身を置く建設業界の環境は悪化の一途を辿っており、気持ちに余裕がなくなってきている面は否定できない。別な言い方をすれば、悩み事が多いのだ。
本来、悩みがある場合には、悩み事を忘れて"好きな事"――例えばオリンピック観戦――に没頭すれば、そのときは悩みから開放されるものだ。そして、上手くすれば、開放された事により解決の手だてが見つかる事もある。しかし、そう上手くいくとは限らないし、悩みの深さによっては片時も頭から離れてくれず、結局、例え"好きな事"をしようとしても没頭する事ができない場合もある。そう考えると、仕事の悩みが原因のひとつと考えられるのだ。けれども、どうも"これだけ"とも違うのだ。では、他にいったい何があるのだろうか。つらつら考えるに、私が持ち合わせている天邪鬼がそうさせているのではないか、と思えてきた。つまりこういう事だ。
8月6日は広島に、9日は長崎に、原爆が投下された日だ。多くの犠牲者を出し、今なお原爆病に苦しみ亡くなっていく人達がいる。日本人として、決して忘れてはいけない鎮魂の日のはずだ。ところが、9日の民放テレビで最も大きく取り扱われたのは、前日に開催された「北京オリンピック」で、しかもそれ一色といっても過言ではない。新聞も同様だ。地元新聞は勿論、全国紙である朝日新聞の朝刊でも、第1面に大きく取り扱われているのは北京オリンピックの記事だ。原爆関連の記事は、37面(全部で40面ある)に僅か150文字程度の小さな記事が載っているだけだ。うっかりすると見逃してしまう。
確かに、もう既に60年以上も前の事になってしまった。しかし、日本の平和が数多くの尊い犠牲の上に成り立っている事を、今を生きる私達が忘れてはいけない筈だ。そう考えると、平和の為に犠牲になった人達が、しかも繰り返してはいけない歴史が、こんな程度にしか扱われないとは、日本のメディアの見識を疑ってしまう。
少なくとも、オリンピックは「平和の祭典」と言われているのだから、日本の平和の礎になった人達への鎮魂や語り継いでいく気持ちを忘れては、本末転倒ではないかと思う。最近のメディア――特にテレビ――の質が余りにも酷い事は承知しているつもりだが、本末転倒した上に大衆迎合が過ぎたのでは、「表現・報道の自由」の御旗を振りかざすだけの集団に過ぎない。今後も"良識のメディアとしてあり続ける"というのであればもっと考えろ、と憤慨しているのだ。結果、そんなテレビなんか見てやるか、という意固地が頭をもたげしまった。そうなると、もうダメだ。オリンピックへの関心は、グンと薄れてしまった。
そんなあれやこれやが、どうやら影響しているらしい。かと言って、家族の中にもオリンピックを楽しみにしている者もいるから、そういった人達に水を差すつもりは毛頭無い。しかし、世の中にはこんな天邪鬼がいることを知ってくれれば少しは私の憂さも晴れる、というものだ。
|