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『お米』

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2008年09月10日

今年もスーパーの店頭に新米が並び始めた。この時期になると、新酒仕込みのニュースとともに、炊き立ての新米を食べるのが何よりの楽しみだ。おかずはサンマの塩焼きか塩鮭の焼いたのがあれば最高だ。イヤイヤ、其処まで言わなくても、漬物か焼き海苔だけでも十分だ。何せこちとらは、"ゴマ塩を振りかけただけ"や"味噌を載せただけ"のご飯でも、食べられるだけで幸せだった貧乏学生を経験してきた世代だ。品種改良された今のお米が、まずかろう筈がない。特に新米は、塩だけで握った素朴なおにぎりがとてつもなく美味しいことからも分かるように、おかずが無くたって十分に美味しい。その上日本酒だ。つくづく日本に生まれて良かったと思う。

 

ところで、このお米に関して、以前から気になっていることがある。何かと言えば、田んぼから刈り取られた稲をどのように干しているか、ということだ。私以外の人にとってはどうでもいい様なことだが、気になって仕方がない。その気になって見てみると、地方によって"干し方"、つまり刈り取った稲をかけて干す稲架(はざ、はさ)の形が違うのだ。40年程前、石川県に来て初めてそれに気が付いた。

私が育った静岡県の遠州地方では、左下の写真の様に1段干しが殆どだ。一方、石川県を始めとする北陸地方では、右下の写真のように5段、6段と重ねて干すのが一般的で、中には10段を超え、5、6mにもなろうかというほど高く重ねているのも見受けられる。遠くから見ても、屏風が黄金色に輝いている様なその存在感は圧倒的だ。

しかし、違うのは高さばかりではない。よく観察すると、稲架の場所も静岡と能登では違うような気がする。静岡では、田んぼの畦に沿うように毎年新たに組まれ、その多くが田んぼ1枚毎に干していたように記憶している。ところが、多段干しでは、複数の田んぼから収穫した稲を1箇所の稲架に干している。稲架の設置場所は――特に棚田の多い能登地方では――、住宅や納屋の近くであったり、車の入る広い畦のそばであったりするのだが、「稲架木」と呼ばれる立木を利用して年間を通して組み立てられている稲架も多数ある。そして秋も深まると、そのような稲架には、稲に代わって真っ白いダイコンを目にするようになるのだ。正に風物詩だ。



写真−1、静岡県遠州地方の稲架



写真−2、能登地方の稲架(提供:H氏)

 

1段だけの稲架にしろ、屏風のような高い稲架にしろ、写真の様な風景に出会うと、日本の原風景を見ているようで、何とはなしにホッとした気持ちにさせてくれる。沢山干されている稲を見ると、「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり」を詠んだとされる仁徳天皇ではないけれど、これで1年間また食べられる、との安堵感が生じるのかもしれない。ところが、次の写真のようにガードポール等を使った天日干しでは、そんな気分にならないから不思議だ。稲と周囲の景色がマッチしないからだろう。

 



写真−3、ちゃっかりガードポールを借用



写真−4、車に踏まれても何のその

 

尤も、コンバインが普及し直接脱穀してしまう今の農法では、天日で乾燥させる事そのものがめっきり減り、写真のような風景はトンと少なくなってしまった。美味さを比較すれば、勿論時間を掛けてじっくりと行う天日干しに軍配は上がる。しかし、効率という点では残念ながら天日干しに分が悪い。どちらにするかという事だが、消費者としては、手間暇が掛かっても是非天日干しでお願いしたいのだが……。

 

よく考えると、ただお願いするばかりでなく、我々消費者ももっとお米を大切に扱わなければいけないのかもしれない。丹誠込めて作ってくれているお米を、仇や疎かにしては罰が当たるというものだ。我々の子供の頃は、お米の大切さをしっかりと教育された。「お」を付けるのもそうだし、1粒でも残したり落としたりすると、「一所懸命育ててくれたお百姓さんに申し訳がない。目が潰れる」と叱られたものだ。

そんなことを考えると、工業用の「事故米」を食用に転売したとして物議をかもしている「三笠フーズ」、ありゃ何だ! 不埒な社長に大目玉を食らわしてやりたいものだ! 杜撰な管理をしていた農水省にもだ!

 

【文責:知取気亭主人】

 

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