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2009年10月14日
フランツ・カフカ(1883年〜1924年)の代表作に、「変身」という題名の小説がある。目が覚めたら自分が巨大な虫になっていたところから始まり虫のままで死んでいく小説で、「奇妙な小説だな」と思いながらも、学生時代に夢中になって読んだ記憶がある。この小説の主人公は自らが望んで虫に変身したわけではないが、人間には多少なりとも変身願望があるものだと思っている。誰しも、自分を変えたい、と思っているのだ。かくいう私にも変身願望があって、子供の頃は真剣に「鞍馬天狗」になりたい……。止めておこう、チョッと古すぎた。
変身願望は思わぬ機会に現われるもので、"着ぐるみ"を着たとたんに、「引っ込み思案の性格はどこにいってしまったのだろう」といぶかしく思うほど、見事に変身できる人もいる。また、飲み屋で酔っ払うとは"かつら"をかぶり、スカートなどをはき、至極中途半端な女性になりきる"おじさん"もいる。他人からすると、見るからに"おどろおどろしい女性"に変身しているのだが、本人は喜々としてやっていることが多い。それを見て我々も大喜びするのだが、変身した当のおじさんは、周りが喜んでくれるのが嬉しいのか、そんなことはお構いなしにただただ自分が弾けたいのか、あるいは本当に女装願望があるのか、当人も含め周りじゅう酔っ払っていることもあって、良く分からない。多分、本人もハッキリと自覚はしていないのだろう。その程度で丁度いいのだろうが……。
さて、この変身、虫たちはどうなのだろう。子孫を残す、という重大な使命を背負ってこの世に生まれてきたのだから、子孫を残すために必要な変身は是が非でも行わなければならない。それが定めと言うものだ。特に、[卵→幼虫→蛹→成虫]と変身――学問上は完全変態という――していく昆虫では、彼らが意識しているのか無意識かは別にして、彼らの劇的な変身は避けて通れない道だ。
ところが我々人間は、彼らの成虫を見る機会はあっても、その途中の変身を見る機会は殆ど無い。私もそうだ。したがって、たまに見たこともない幼虫に出会っても、どんな成虫になるのか、親の姿と結びつかないのだ。特に、蝶や蛾の幼虫は、女性は勿論、男でも気色悪がる人が多く、モンシロチョウなど身近で綺麗な蝶以外見向きもされない。また、同じ幼虫ながら、子供の人気という点でも、絶大な人気を誇るカブトムシやクワガタに比べると、全くもって分が悪い。そのため、趣味の人や研究者は別として、敢えて幼虫探しの対象にならないのだ。ただ、その気になって雑草の中や野菜の葉の裏を見てみると、初めての幼虫に出会い、その鮮やかな模様や容姿にビックリしたり、感激したりすることが良くある。以前にも書いたが、私にとっての未知との遭遇だ。そのたびに、「シャッターチャンス!」とばかりに写真に収めてきた。
見るからに痒くなりそうな容姿の毛虫から、奇妙な動きで枝葉を揺らす虫、色鮮やかな芋虫や10センチ余りもある巨大な芋虫などだ。ところが、情けないことに、いずれも「親の顔が見てみたい」ではないけれど、成虫の姿形は勿論、名前すらも分からない。したがって、これまで余りお披露目してこなかったのだが、先日妻が、茄子が植えられたプランタでうごめく、「モスラのモデルはこれだ!」と見間違うほど巨大な芋虫を見つけてくれたのを機会に、これまでカメラに収めてきた私の極秘エイリアンを紹介することにする。重ねて言うが、名前は分からない。そこは、エイリアンということでご容赦願いたい。
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写真(1)、多分性格はヨコシマだ |

写真(2)、背中に何かを背負っている |
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写真(3)、芋虫とはよく言ったもので芋に見える |

写真(4)、モスラのモデルか? |
どうだろう。どれもこれも、鳥などの敵に狙われやすい易いのではないかと心配してしまうほど、結構ドハデな模様をしている。厳しい自然界の中で生き残っているのだから要らぬお世話だとは思うが、それにしても良く目立つ。これらの幼虫は、一体どんな成虫に変身するのだろう。いつか親の顔も是非写真に収めてみたいと思っている。それまでに、ゆっくりと戸籍調査ならぬ変身後の氏名調査をすることにしよう。
【文責:知取気亭主人】 |