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2010年8月11日
先月の梅雨明け以来、うんざりする様な暑さが日本列島を襲っている。涼しいはずの北海道でも30℃を越す日があり、日本全体が熱帯性気候の仲間入りをしてしまった様だ。お陰で、この暑さに耐え切れず、各地で熱中症に罹り亡くなる人が増えている。これだけ暑い日が続くと、「可哀想だけど、この暑さでは無理も無いな」と変に納得してしまうが、体力の無い老人にとっては"地獄の暑さ"と言ってもいい。
総務省消防庁の発表によれば、7月の熱中症による救急搬送は全国で17,680人に上り、このうち初診時で死亡が確認されたのは94人にもなるという(http://www.fdma.go.jp/neuter/topics/fieldList9_2.html)。しかも、その約半数が65歳以上の高齢者だという情報もある。老人は体力が衰えてきているのと、物がない時代に育っていることから「もったいない」の考え方が身に付いていて、冷房機器を持っていてもなかなか使わないところなども、熱中症に罹りやすい原因の一つではないだろうか。また、体感温度や体調の変化などに自ら気付きにくくなってきていることなども、発見が遅れ大事に至ってしまう可能性を高くしている。
熱中症で亡くなる高齢者に関しては、炎天下で労働や運動をしていて熱中症に罹ることの多い青壮年と違い、「締め切った部屋で倒れているところを発見された」などのニュースに接することが増えてきた。また、高齢者の一人住まいや高齢者だけの所帯で、そういった悲劇が起こるケースも良く耳にする。身寄りのないケースもあるのだろうが、家族と離れていることが悲劇の原因の一端と言えそうだ。
私の母もそうだったが、歳を取ると、それまで長いこと生活してきた場から中々離れられないらしい。ましてや、自由に動き回れない状況の中で「友達や親戚などの知り合いが家族以外誰もいない」となれば、尻込みしたくなるのも良く分かる。また、「子どもの助けを借りなくてもまだ自立生活が出来る」という気概と意気込みも尊重してやりたい。しかし、尊重してやりたいのは山々だが、どこかの時点で折り合いをつけなければいけない。我が家の場合は、「シロアリ駆除」と「ゴキブリ駆除」の訪問販売による被害を受けたことが切っ掛けで、これ以上一人住まいをさせておくと大変なことになる、と思ったからだ。
しかし、色々な事情があって、一人住まいを続けている人も沢山いる。そういった人たちにとって、この暑さは「静かに忍び寄る魔の手」と化している。感覚が鈍くなっている分、知らず知らずのうちに罹患し、重篤な状態に陥っていくのだ。そういったことを防ぐ意味でも、周囲の人たちが、"一人住まいの高齢者"や"高齢者だけの所帯"に常に気を掛けていることが重要ではないだろうか。そういった気遣いは、何も熱中症に限ったことではない。最近話題になっている、100歳以上の高齢者が所在不明になっている問題にも言えることだ。
ひょんなことから、100歳を超える高齢者の中に、20年も30年も前に亡くなっていた人や、随分前から所在が不明になっている人が見つかり、年金の不正受給も絡んで全国的な関心事なっている。長寿のお祝いを受けている筈なのに、行方が知れないのだ。
事の発端は、東京都内で最高齢だった111歳の男性が、ミイラ化した遺体で見つかり、約30年前に死亡していた疑いが生じたことだった。同居していた親族の話では、「死んでいたとは知らなかった」と言うのだが、同じ屋根の下に住んでいてそんなことは有り得る筈が無い。凡そではあるが30年間もの長い間、食事に関しても、或いは排泄に関しても、一度たりとも家人に顔を合わせることなく済ませることは出来ない筈だ。同居家族は「ミイラになっていても臭いもしなかった」と言うのだが、到底考えられない。第一、離れて暮しているならいざ知らず、例え喧嘩をしていても同じ家に暮しているのなら、3日も顔を合わせなければ「どうしてる、大丈夫か?」と様子を気に掛けるのが普通の家族だし人間だ。そういったこともせず約30年、我が子に育児放棄ならぬ介護放棄をされたのだろうか。可哀想なことに、30年もの長きに亘り"弔いもされず"、"墓にも入れてもらえず"の状態が続いていたのだ。
どんな理由があったにせよ、余りにも理不尽だ。尤も、どんな理由を並び立てても、納得できる説明は出来ないだろう。年金欲しさに親の死亡を隠していた、と取られても仕方がない。世も末だ。
このニュースを切っ掛けに、全国の100歳以上の長寿の方の行方を調査したところ、8月11日の朝のNHKニュースによれば、現在75人もが所在不明だという。今後調査が進めば、実際はもっと増える事になることだろう。しかも悲しいかな、親や祖父母が行方不明だというのに、インタビューに答える親族は意外なほどあっけらかんとしていて、「△△年前に家を出たきり音信不通だ」というものもあれば、「警察から○○に住んでいると言われた」といったものもあり、「随分と親子の絆が薄いな」と感じさせるものが多い。
100歳を越す人の子ならば、本人も既に"老人"と呼ばれる年齢になっている筈だ。因果応報とはよく言ったもので、意図して親不孝をした者は、自分の子どもにも親不孝をされて嘆き悲しむことになるに違いない。しかも、"その時"は、もう既に始まっているかもしれないのだ。世の中とはそういったものなのだ。
しかし、どうしてこんなにも高齢者に対して冷たい社会になってしまったのだろうか。私自身も褒められたものではないが、もう少し高齢者に関心を持つべきだし、労わりの態度で接するべきだ。その昔、我々が習った「長幼の序」などという言葉は、死語になってしまったのだろうか。だとすると、今は正に「高齢者受難の時代」なのかもしれない。
【文責:知取気亭主人】 |