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2010年10月13日
今年もノーベル賞の季節がやってきた。「iPS細胞」を開発して生理学・医学賞での受賞が期待された山中伸弥京都大学教授を始めとして、候補に名前が挙がっていた方々全員の受賞はならなかったものの、根岸英一パデュー大(米国)特別教授と鈴木章北海道大学名誉教授の二人の日本人が化学賞に輝き、2008年の四人受賞に続いて自然科学分野での複数受賞の快挙となった。「これで科学立国日本も安泰か」と思っていたのだが、ところがどっこい、どうやら現実は安穏としているような状況ではないらしい。
世界に認められるような研究成果を出すためには、若いときに海外に出て、世界の一流研究者と切磋琢磨することが重要だと言われているが、今の若者は国内志向が強く、近年の海外派遣研究者人数では同じアジアの中国・韓国に大きく水を開けられている、という。それを聞くと、「可愛い子には旅をさせよ」とか「少年よ大志を抱け」などという昔の教えは既に死語になってしまったのではないか、と思ってしまう。これも最近の若者特有の「安定志向」の表れなのだろう。リスクを恐れていては井の中の蛙になってしまう可能性が高いのに、残念なことである。外から日本を見るだけでもプラスになり、しかも昔に比べれば海外で研究することなど遙かに容易になっている筈なのに、もったいない話である。かくなる上は、もう一つの諺、「若いときの苦労は買ってでもしろ」を若手研究者に送り、将来のノーベル賞受賞に期待することにでもするか。尤も、そんな単純な声掛けで考え方を変えてくれるのなら苦労しない、というノーベル賞受賞者のぼやきが聞こえてきそうでもあるのだが……。
ところで、ノーベル賞発表の頃になると、毎年「どの国の誰が受賞するか」が注目されることになる。国としても個人としても世界的な栄誉だから尤もなことなのだが、今年は通常注がれる尊敬の眼差しではなく別な意味で世界の注目を浴びることになった。ノーベル平和賞に中国の民主活動家、劉暁波氏(54)が選ばれ、これに中国が反発を強めているからだ。世界第2位の経済大国の中国が、である。
調べてみると、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞は、他の5部門――「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」、「生理学・医学賞」、「文学賞」――も含めて現在の中華人民共和国の国民として初めての快挙である。ところが、「今の我が国の国家体制にとって好ましくない人物を表彰するとは何事か」と反発しているのだ。候補に名前が挙がった時から中国政府が異を唱えていた事は伝えられていたが、受賞決定後の報道に拠れば、劉暁波氏を選んだノルウェー――他の5部門の選考は王立アカデミーを始めとするスウェーデンの機関が行うが「平和賞」だけはノルウェー――の駐中国大使を呼び、遺憾の意を伝えたという。今回の受賞にかなり神経を尖らせていることが伺える。中国政府には頭の痛い人権問題が背景にあるため、言論統制の予兆もあるというし、報道されるニュースからは外交面でも強硬姿勢が目立つ(10月11日、朝日新聞朝刊)。12日には、中国を訪問していたノルウェー漁業相との会談を中国側が中止した、とのニュースが流れてきた。これに対し、当然の事ながら、ノルウェー政府も遺憾の意を伝えたという。
そんなニュースを聞いていると、尖閣列島問題でその強硬姿勢に対し世界の国々から冷たい視線を浴びせられていただけに、「エッ、また!」の感が否めない。尖閣列島問題でこじれていた日中関係にやっと対話の流れが戻り始めていただけに、今回のノーベル賞問題で再び中国脅威論が世界のメディアを駆け巡ることに、中国政府は苛立ちを隠せないでいることだろう。しかも、「現在の体制を維持していきたい」という政府の思惑を考えれば、対外的な強硬姿勢が簡単に変わるとは思えない。
国際政治や国際関係には全くの門外漢ではあるが、作用・反作用の原理に則れば、作用する力が強くなればなるほど帰ってくる反作用も同じように強くなることは、物理現象ではない国際関係でも自然の理であると思っている。国際関係には、嘉納治五郎の教えである「押さば引け、引かば押せ」の体さばきは応用できないものなのだろうか。遙か昔、我が国が遣隋使や遣唐使を派遣し、国際情勢や大陸文化を学び取っていた当時の中国のように、もう少し大人の対応が大国として相応しいと思うのだが……。
話は戻るが、遣隋使、遣唐使と言えば、なぜ今の若者は海外に飛び出して行く人が少ないのだろう。我々の先祖は、今から凡そ1400年も遙か昔に既に命懸けで海外留学していたというのに、である。しかも今の時代、バックパッカーなどで世界を放浪している若者も沢山いる筈である。旅行で出かけるのは良いが成果を求められる研究者としては気後れがする、ということなのだろうか。それとも先程書いたように、リスクを取りたがらない、ということだけなのだろうか。国内の研究環境が整い、敢えて海外に出かける必然性が減ってきた可能性もないではない。とは言っても、日本だけに留まっていては「井の中の蛙、大海を知らず」になってしまうのは必定だ。
遣隋使、遣唐使に始まり、明治・大正の近代日本の黎明期を駆け巡った、当時の若者たちの強く激しい意欲は、同じ日本人の今の若者たちにも脈々と流れている筈である。今の日本にも、そんな若者のいることを信じたい。そして、今後も続々とノーベル賞受賞者を輩出し、必ずや科学立国としての地位を盤石なものにしてくれる、と信じている。
【文責:知取気亭主人】 |