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知取気亭主人の四方山話
 

『他人事』

 

2011年9月14日

9月11日で、東日本大震災から半年が経ち、アメリカ同時多発テロから早いもので10年が過ぎた。自然災害とテロという違いこそあれ、どちらも世界を震撼させた大事件である。その追悼の催しが、11日の日曜日、日米の被災各地で執り行われた。

東日本大震災は、未だ6ヶ月しか経っていない事や自国で起こった大災害である事、更には毎日被災地の情報が流れてくる事、そして何と言っても復興の道筋が一向に見えてこない事もあって、被災した人達は言うに及ばず、被災していない私達にもあの大震災が過去のもだという感覚は全くない。また、多くの国民は、原発事故も含めた今回の大震災について関心も高いし、被災者への支援・応援の気持ちも持ち続けている。

 

一方、同時多発テロは、日本で「ひと昔」と良く言われる10年が経った事もあり、また「遠く離れた異国の地で起こったこと」という事もあり、私の記憶の中では日々表にでることはなくなっていた。「同時多発テロ」の文字がテレビや新聞に登場する様になって、やっとあの衝撃の映像が蘇ってきたのだ。それは、遺族やアメリカ国民に対して申し訳ないけれど、私の中では最早“他人事”、になっていたからに他ならない。しかし、テレビから流れてくる9.11式典は、厳かであり誰もが敬虔であった。そして、ズームアップされる、愛する人の名前が刻まれたプレートに手をやり涙する姿は、本当に痛ましく胸にこみ上げてくるものがあった。ある意味、彼らの悲しみを共有したのかもしれない。

追悼式に参加した遺族の姿が当事者でない我々の胸をも打つのは、ヒトとして当然の事である。加えて、同じような悲痛な思いを経験したことにより我々の中から「他人事」の意識が消え、多少でも被害者の心模様に寄り添おうとしているから他ならない。それが、ヒトとしての良心であると思う。幾ら“優しい”と評判の人でも、「他人事」の意識が消えて相手に寄り添う様子が見て取れなければ、相手も寄り添ってくれないものだ。それは、心に傷を負った被災者に対して、となれば尚更だ。決して「他人事」では、心を許してくれない。それどころか、反感を持たれるのが必至である。だからこそ、被災者の心のケアを行うボランティアには、特に「他人事」は厳禁とされているのだ。

ところが、先生と呼ばれるエライ国会議員の中にはその感覚が欠落していて、大臣になった途端に、嬉しさの余りかその職責を忘れ、まるで他人事のような失言を繰り返す御仁が居る。どの政権にも失言・失態辞任をする大臣が一人や二人いるものだが、今回の御仁も、全くの他人事発言で、折角手に入れた大臣の椅子を10日も経たないうちに手放してしまった。

 

テレビや新聞で詳しく報道されているから皆さん良くご存じだと思うが、さる大臣が福島原発の周辺地域を訪れた際の記者会見で「市街地は人っ子一人いない、まさに死のまちだった」と表現したり、帰京してから記者の一人に防災服をくっつける仕草をしながら「放射能を付けちゃうぞ」と言ったりしたというのだ。その御仁、原発を所管している経済産業大臣だというから驚きである。「放射能を…」の記事を読むと、子供がふざけ合っているのではないか、と勘違いしてしまう。一言で切り捨てれば、幼稚だ。鉢呂経済産業相は確か63歳、少し、イヤ大分幼すぎませんか!

しかし、呆れたものだ。こんな不適切発言が飛び出すのも、心は被災地に無いからだ。「被災者や国家・国民のためにこの難局を何としてでも乗り越えていかなければならない。それが自分に課せられた重大な責務の一つである」という気概が無いからである。そこに見えてくるのは、「他人事」の無責任思考そのものである。そういう意味からすると、原発事故の対応や沈みかかっている日本経済の舵取りを他人事大臣に任せずに済んだ、という事は却って良かったのかも知れない。

 

ところで、悲しい事に、今回の未曾有の災害を「他人事」と捉えているのは、くだんの大臣ばかりではない。驚くべき事に、社会の公器たるテレビ界にもいたのだ。東海テレビの「セシウムさん」問題を引き起こした人達だ。情報番組で、プレゼントの当選者として「怪しいお米 セシウムさん」なるテロップを流したというものだ。練習用のモノを誤って本番で流してしまった、というのが言い訳だったが、こんな不謹慎な表現をすること自体が問題だ。書いた本人もさることながら、それをチェック・許可した同僚や上司の杜撰さにも呆れる。不謹慎極まりない。

一体、彼らは今回の原発事故をどのように捉えているのだろうか。これだけ先行きの見えない不安な状況が連日報道されているというのに、避難生活を余儀なくされている人達や放射能の影響を直接、間接に受けている沢山の人達、そして原発の事故対応で亡くなった人達の遺族、の悲しみや苦しみを全く理解していないように思える。他人事である。こんな大惨事が起こり、多くの人達が悲しみに暮れているというのに、それを世に伝える側の人間が、こんな他人事感覚では困る。極論かも知れないが、罰として原発周辺のボランティア活動に行かせてみればよい。そうすれば、多少なりとも他人事感覚は消えるのではなかろうか。

 

しかし、そうまでしなければ被災者の悲しみや苦しみ、そして怒りを感じ取れないとすれば、そんな人には政治家や、情報を発信する側の人間になってほしくない。それでは、国民や視聴者が余りに不幸だ。

【文責:知取気亭主人】
  

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