2012年2月8日
2月2日、朝日新聞朝刊の第一面に、「三菱UFJ銀行が日本国債の急落に備えた危機管理計画を初めて作成した」との記事が載った。これまで、国債急落の可能性は色々なメディアで取り上げられて来たが、主要な買い手である銀行や保険会社などが国債急落に言及した報道は聞いたことが無かった。そういう意味では、遂に国内の金融機関が急落のシナリオを考慮し始めた、という衝撃的な記事だった。記事に拠れば、数日前に報じられた「日本の貿易収支が約30年振りに赤字に陥った」ことも関連しているらしい。いずれにせよ、政治家のこれまでの無作為振りや脳天気な我が身可愛さの姿と比べると、民間企業の危機意識の高さを窺わせる出来事だ。
日本国債の行く末については、悲観的にみる専門家もいれば、「発行されている9割以上を国内投資家が購入しているから急落はあり得ない」とする楽観的な専門家もいて、意見は真っ二つに割れている。私のような素人からすると、どちらが正解なのか良く分からない。しかし、基本的なところに立ち返って、「借金が多い方が良いか、少ない方が良いか」と考えれば、少ない方が良いのに決まっている。それに加えて、「国民の金融資産が潤沢だから今の水準だったら大丈夫」と言われても、国民総生産(GDP)の約2倍と言われ、対税収に至っては凡そ25倍にもなる、1,000兆円と言われる気の遠くなるような(国債も含めた)巨額の借金は、とても尋常ではない。良く言われるように、家計に例えれば、既に破綻状態になっていて、返済の目処が立たない借金まみれの生活をしている、ということになる。
誰がどう考えても、そんな借金生活が何時までも続くはずがない。借金生活でなくても、世界の歴史を見れば同じ理念や価値観を持った時代が誕生してから何千年も続いている国はなく、どんなに栄華を極めた国でも、やがて没落や滅亡の運命を辿っている。ローマ帝国然り、江戸時代然りである。「それらの時代は、政治が未成熟だったから」との反論意見も聞こえてきそうだが、「政治の未熟さは今も昔もさほど変わりはしない」と感じるのは私だけだろうか。いずれにしても、今日の日本が“今を盛”の状態でないことは明らかであるから、自ら先は見えてくる。
だとすれば、何か対策を講じなければ今の借金まみれの異常な状態はやがて破綻する、と考えるのが順当だろう。百歩譲って運よく借金まみれを脱したとしても、破綻する最悪の場合を想定して対策を考えておくことは、危機管理の基本だ。それは、3.11東日本大震災で日本人が得た、悲しくも貴重な経験でもある。
未曾有の被害を目の当たりにした今、地震防災に関しては、多分、最悪を想定した防災計画が立てられることになるだろう。しかし、経済、外交、防衛、資源等々、日本の国家運営の基幹をなす重要課題に関しては、あらゆるリスクを想定し対策を講じているとは思えない。もし講じていたとすれば、こんなに次から次へと問題が出て来る筈がない。勿論、借金状態になっている筈もない。対症療法でその場しのぎをしてきたつけが今出ている。別な表現を借りれば、「危機感の低さ」と言える。
それを象徴する首相の答弁を聞いた。2月1日、車の中で国会中継を聞いていた時のことだ。質問の最後に立ったのは、「みんなの党」の浅尾慶一郎氏だ。彼の質問概要は、次のようなものだった(記憶だけが頼りの為、数字については正確でない可能性もあることをお断りしておく)。
一般の会社員が加入する厚生年金は労使折半(会社と社員の負担が1:1)なのに対して、公務員の共済年金はこれらに加えて8千円の税金投入が行われている。積立金も厚生年金の数倍もあるが――浅尾氏は20数兆円と言ったと記憶しているが、浅尾氏のホームページには閲覧者の言っている数値として40兆円を超える金額も出てくる――、これを取り崩して社会保障の不足分に充てる気はないか。
もっともな話だ。「そうだ、取り崩して充当すればいいんだ」と運転しながら頷いていたのだが、野田首相は、「そういう趣旨のお金ではない」と言った趣旨の答弁をして、取り崩しを拒否してしまった。穿った見方をすれば、「共済組合の顔色を窺っている」としか思えない答弁だ。この答弁を聞いていると、後ろ盾の組合と対峙しても絶対にこの難局を乗り切らなければならない、という危機意識の欠如が見えてくる。日本が置かれたこの難局を乗り切るには、あらゆる手立てを講じなければならないのに、である。それもやっての消費税アップなら国民の賛同も得られ易いのに、我が身可愛さがこれだけ見え隠れすると、反対の声が大きくなっても仕方がない。
どうも政治家の多くは、既得権益を手放す度胸も、国家国民の為という崇高な理念もなさそうだ。基本的に危機意識が低いのだろう。日本の危機は待ったなしだというのに……。
【文責:知取気亭主人】
こんなところにも危険が潜んでいる。軒下注意!
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