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知取気亭主人の四方山話
 

『見出しに惑わされない』

 

2012年3月7日

先日娘に教えられたのだが、今テレビで面白いコマーシャルが流れている。「ゼロの頂点」なるタイトルの映画を使ったコマーシャルだ。お分かりの事と思うが、松本清張の大ヒット作品「ゼロの焦点」を捩ったもので、実際の映画が作られている訳ではない。サントリーが発売している缶コーヒーの、ドラマ仕立てのコマーシャルなのだ。見た瞬間、本物の映画と見間違う程手の込んだ映像になっている。清張の小説「ゼロの焦点」が、度々映画化やテレビドラマ化されていて広く知れ渡っていることもあり、かなりインパクトのあるコマーシャルになっている。それにしても、タイトルの付け方が憎い。

 

タイトルや見出しは、短い言葉で読者や視聴者を惹きつける必要があり、商品広告や週刊誌、そしてスポーツ新聞の見出しにその典型を見ることが出来る。自分達が作成した映像や記事に観客を引き込む重責を担っている事から、ある程度インパクトがあり、センセーショナルでないと、その目的・役目は果たせない。そういう意味からすると、かなり恣意的な文言になるのも仕方が無い事だと思っている。

ただ、「ゼロの頂点」のような商品広告ならば、その性能を偽らない限り、どんなに恣意的であってもそんなに違和感はないし、許される。ところが、ノンフィクションを扱う報道だと、そういう訳にはいかない。特に事件絡みの報道は、気を付けないと、本質や真実を見誤り冤罪を作ってしまう。例えば、1994年に起きた松本サリン事件などでは、事件発生直後から河野さんが犯人であるかのような報道がされ、結果的に冤罪・報道被害となってしまった。当時のマスコミがどんな見出しを書いていたか記憶にはないが、捜査も報道も恣意的であったと記憶している。そのことは、事件解決後、警察もマスコミも謝罪をしていることからも明らかだ。もっとも、謝罪をしていない週刊誌もあるらしいのだが……。

 

ペンの力、もっと言えば、マスコミの影響力は恐ろしい。真実を追求し、それを報道しようとする意識が希薄だと、いかに読者の気を引くか、或いは“どうしたら大衆受けするか”に気が向いてしまい、拙速な判断で間違った報道をしかねない。そして、それが国家の危機に関する事であれば、尚更注意を払ってもらいたいし、恣意的に捻じ曲げた表現は厳に慎むべきだと思う。ところが、何時の頃から日本のマスコミの質が落ちたのか、タイトルも内容も、明らかに大衆迎合だと思える報道が目につくようになって来た。マスコミに求められている真実の報道とは随分とかけ離れてしまっているように思う。つい最近も、気になる報道があった。2月28日に記者会見を通じて公表された、福島原発事故独立検証委員会による「民間事故調査委員会検証報告書」に関する報道だ。

 

目にした新聞やウェブニュースの見出しを書き出してみると、朝日新聞は「菅前首相の介入『無用な混乱』」と前首相を前面に出し、MSN産経ニュースでは「官邸の介入で無用の混乱 リスク高めた可能性も 有識者…」や「菅氏に官僚萎縮 歪んだ政治主導」と書かれ(http://sankei.jp.msn.com/science/news/120228/scn12022800250001-nl.htm)、YOMIURI ONLINE(http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20120227-OYT1T00920.htm) では「菅首相が介入、原発事故の混乱拡大」と、いずれも菅前首相を批判する見出しで溢れている。この書き方だと、多分、読み手は「原発事故の責任は全て菅前首相や政府官邸にある」と取る。また、そういう意図を持って見出しを付けているのだろう。でも、果たしてそうなのだろうか。

そこで、報告書の全容はまだ公表されていないようだが、前述のMSN産経ニュースに掲載されている要旨を読んでみた。本当に短い文章でまとめられた要旨であるため、実際に報告書が言い表したかったことを忖度しているか定かではないが、私が読むところでは、前首相や官邸のお粗末な行動や対応もさることながら、もっと外に本質的な問題があったことを浮き彫りにしていると思う。「原子力安全・保安院」や「原子力安全委員会」、そして当事者である「東京電力」が果たすべき「安全規制ガバナンス」が、形式的にとどまりガバナンス機能が果たされていなかった、と厳しく断じている。「原子力安全・保安院」にいたっては、「規制官庁としての理念も能力も人材も乏しかった」とも指摘している。したがって、前首相や官邸ばかりに原因を求めてしまうと、本質を見誤ってしまう。

 

要旨には書かれていないが、平和ボケと揶揄される危機感の欠如と同じで、長年事故もなく来た為に、リスクアセスメントが正常に行われず、関係者もリスクを認識していなかったことが最大の問題だった、と私は思っている。地震小説「M8」を書いた高嶋哲夫は、「巨大地震の日 ―命を守るための本当のこと」(集英社新書)で、「中央防災会議」や「地震予知連絡会」など乱立する組織の無駄を指摘し、これまでの組織はがらがらポンしてひとつの組織に集中すべきだ、と述べた上で、今回のような危機に対応するためには日本版のFEMA(米の連邦緊急事態管理庁)を作るべきだ、と書いている。私も、その通りだと思う(FEMAについては当該本を読んでいただきたい)。

首相が誰に変わっても、危機対応が出来るような組織やシステムが構築されていなかったことこそが、今回の事故の最大の不幸だと思っている。それは、これまでチェルノブイリやスリーマイル島の事故後の各国の対応を見聞きし、あるいは幾多の津波災害や阪神淡路大震災などの地震災害を経験してきたにも拘らず、事の重大さを過小に評価してきた歴代の政治家や官僚、そして御用学者、原発においてはそれを運転・管理する東電の責任に他ならない。彼らにこそ本質的な責任がある、と私は思っている 。

 

以上、ダラダラと書いてきたが、今回の「民間事故調査委員会検証報告書」に関する報道に接して、「見出しに惑わされない、それが情報溢れる現代では必要だ」と強く感じた次第である。最終的に、菅前首相をスケープゴートにしておしまい、ということにならなければいいのだが……。

 

【文責:知取気亭主人】



『巨大地震の日
 ― 命を守るための本当のこと』

【著者】高嶋 哲夫


【出版社】 集英社
【発売日】 2006/3/17 
【ISBN-10】 4087203352
【ISBN-13】 978-4087203356
【ページ】 新書: 208ページ
【サイズ】 17.2 x 10.8 x 1.8 cm
【本体価格】 \714(税込)
 

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