2012年7月25日
大江戸八百八町、大阪八百八橋、この表現、ハッキリ数字で表されているからと言って、江戸にも大阪にもピッタリ八百八の町や橋があるわけではない。しかしどちらも、町や橋の多さを表す言い方として昔から良く使われている。このように、数字の“八”は、数としての真値以外に、そんな使われ方をしているのは良く知られている。それに加え、「八百万(やおよろず)の神々」と使われたり、「千代に八千代に……」と詠われたり、或いは身近なところでは「八千草」や「八方美人」などにも登場する。そんなところから、数の多い事を表す数字は “八”だ、と今の今まで思ってきた。ところが、先日のテレビ番組で、“七”も数が多い事を表す数字として使われている、と聞き正直驚いている。浅学非才であることはすっかり忘れ、「ほんまかいな? 適当な事言ったらアカン!」という心境なのである。
何の番組だったか記憶にないが、「七味唐辛子には何が入っているか?」の様な軽い質問を視聴者に投げかけ、それに応えて「陳皮、ゴマ、山椒、…」と私が呟いた時だ、出演者が「七は数が多い事を表す……」と説明したのだ。「エッ、ウソッ、それは八だろう」と思わず声を上げてしまった。確かに、七と雖も一や二に比べれば大きな数字だ。しかし、これまでにそういった使い方をした記憶が余り無い、と言うよりはとっさに思い出せなかったのだ。きっと何かの間違いだろう、と思い込んでしまった。そんな思いの確認もあって、今回は、「一か八かの大勝負」ではないけれど、「数が多い事を表すのに相応しいのは七か八か」の話題を取り上げてみたい。
兄さん格の“八”は、先にも書いたように、数が多いことの言い表し方として至極一般的に使われている。多くの読者もこれには異論がないだろう。まだ書いていなかった「八重桜」の“八重”も、そんな使われ方の代表格だ。では、一方の“七”はどうだろうか。
“七”絡みで良く耳にする言葉としては、くだんの「七味唐辛子」を始め、「○○の七つ道具」とか、海の男が活躍する「七つの海」だとか、あるいは「無くて七癖」などの表現も良く聞く。最近知った言葉には、世界で初めてアイルランド人の男性が横断を成功させたという「世界七海峡」もある。こういった言い回しは、数の多さもさることながら、「その分野を代表する大切な、あるいは重要な物」という意味を言い表しているのではないか、と思っている。したがって、“八重”などと違い数は正確に七つある。似たような使われ方としては、それ以外にもあって、「春の七草」や「秋の七草」もそうだし、色んな地方で取り沙汰される「○○の七不思議」もその部類だろう。こうして並べてみると、どうやら、数が多い事を表すのには、予想通り“八”の方に分がありそうである。
ところが、である。チョクチョク問題となる、二世議員の後ろで光っている「親の七光り」を思い出した途端に、そんな自信もグラグラと大きく揺らいできた。「エッ、まさか!」と自身を疑い始めると、意外とあるもので、明らかに“数が多いこと”を言い表している言葉が幾つも浮かんできた。
直ぐに浮かんだのが、「七転び八起き」だ。そして、太田道灌の逸話として有名な和歌、「七重八重 花は咲けども山吹の……」も思い出した。思い出すと出て来るもので、その昔誰に言われたか定かでないが、お願い事の作法として教えられた「七重の膝を八重に折る」も思い出してきた。そして、とある事に気が付いた。これらは、何れも競争相手の“八”とペアで使われているのだ。そうすることによって、韻を踏み響きも良くなって、数の多さを強調することになる。となると、弟格の“七”単独で数の多さを表すのは、少しインパクトに欠けるのかもしれない。
“八”とのペアではなく、単独で使われている言葉として思い出したのは、くだんの「親の七光り」と折れ曲がった道を表す「七曲り」、そして“人を疑う前にまず探せ”と諭した「七度尋ねて人を疑え」位のものだ。後は記憶の引き出しにも無いし、知識としても持ちえない。多分、単独表現としては“八”よりも少ないのだ。そうなると、やはり“八”が優勢だ、と言える。
ただ、数の多さを表す数字は、“七”や“八”ばかりではない。長兄格の“九”もいる。この“九”も、「九十九(つくも)湾」や「九十九里(くじゅうくり)浜」、あるいは「九重山」などに使われていて、同じように数の多さを表している。しかし、“七”同様、今残っている言葉としては、多分“八”よりも少ないのではないだろうか。
こうして見ると、私の限られた知識の上ではあるが、「七か八か」の勝負は“八”の勝ち、ということになる。勿論、「八か九か」の勝負も“八”の勝ちだと思う。ただ、六以上ではなく七以上を“多い”、と感じる日本人の感覚が面白い。国語辞典を調べてみると、“十”にも「たくさんの」という意味があるのだという。どうやら、十指のうち、最後の四指を「たくさん」としていたような雰囲気もある。
それにしても、一体、“七”や“八”にどんな意味を持たせたのだろうか。叶わない相談だが、使い始めた先人たちに、その理由を聞いてみたいものだ。まさか、当時は六までしか数えることが出来なかった、ということは無いと思うのだが……。
【文責:知取気亭主人】
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ガクアジサイの花もたくさんある
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