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知取気亭主人の四方山話
 

『日本人の中の公益性』

 

2012年8月22日

8月10日の建設工業新聞に、「被災地の土地問題で支援強化」なるタイトルの記事が載った。内容は、3.11東日本大震災の津波被害によって発生した土地の権利や境界など、土地にまつわる諸問題に対応するため政府が支援体制強化を決めた、というものだ。確かに、あの惨状を見れば、地権者や境界の特定に手間取ることは想像に難くない。一日も早い復興を願う地元住民や自治体にとっては、これらの問題が足枷になることも容易に想像がつく。したがって、そういった観点からすると、今回の政府の決定は、当然の話である。

しかし、集団移転の問題ともなると、それぞれの家庭や個人で様々な状況や考え方があり、例え権利や境界問題が解決したとしても、「全員一致で集団移転します」という訳にはおいそれといかないのが現実だ。それは、個々人夫々の思いもさることながら、私も含めた日本人には、“私の権利やそれを主張する意識”はしっかりと育っているのに、それに比べて“公の為の私の義務”、表現を変えればW集団の中で優先されるべき公益性“が軽んじられているからではないか、と思っている。

例えば、「表現の自由」という御旗を盾に、公序良俗に明らかに反するだろうと思われるいかがわしい雑誌が、堂々と絵本や児童書と同じ本屋さんで売られている、という事などもそうだ。また、周りの景観を台無しにする奇想天外な形や色の建物を、「私の権利だ」と称して建てようとする行為も、“公益性”への配慮が欠けている。こういった行為は“私権の乱用”だ。日本人は昔からはそうだったのだろうか。それとも、“ある時”からこうなってしまったのだろうか。以前から不思議に思っていたのだが、先日そんな私の疑問に答えてくれた本に巡り合い、目から鱗の納得をさせてもらった。「国土と日本人 災害大国の生き方」(大石久和著、中公新書、2012年2月25日)という本だ。

著者は、第373話で紹介した本、「国土学事始め」を書いた方と同じである。今回の本の内容は、「国土学事始め」と一部重複しているのだが、要点だけを書きだしてみると、日本という国が先進諸国に比べて、①地形学的にいかにいびつであるか、②地震や台風など自然災害がいかに多いか、③災害を増幅させる地盤がいかに脆弱であるかを述べ、したがってただ単なる数値の比較で公共工事の多寡を論ずるべきではない、ということになろうか。また、今の国土は、営々と日本人が作り上げてきたものだ、とも述べている。全くもって正論である。ただ、そういった事以外に、私の脳に強く印象付けられた記述があった。それが、以前から持っていた「日本人の中の公益性」に対する解答だ。

著者によれば、土地に対する保有概念が、世界中の殆どの国では「利用優先」になっているのに対し、日本は「所有優先」になっている上、その所有権に対する意識が極めて高いのだという。そんな意識が芽生えたのが、明治5年(1872年)に導入された「地租」で、それまでの「土地で採れる石高に応じて徴収されていた年貢」に代わって、土地の価格に応じて一定割合の税金を徴収されるようになり、必然的に土地の権利意識が高まったらしい。近代国家化への舵取りをした当時の指導者達も、自分たちが取り組んだこの大改革が、後々、公共工事費が諸外国に比べて割高になる主要因の一つになるとは、思ってもみなかっただろう。今では、公共工事費の多くを用地費が占め、投資金額の割に真水の工事数量が上がらず、その為工事期間が異様に長くなる一因ともなっている。

他方、所有権に対する意識が高まったのと裏腹に、ヨーロッパの近代化の過程では意識され、公共工事に於いては重要な視点となる「所有権の中の公益性」が、日本では定着しなかったのだともいう。筆者は、「ゴッホの絵は俺のものだ、墓まで持っていく」と言った某一流企業の元経営者を引き合いに出し、こういった思考は日本人特有のもので、その原因は都市の発達過程の違いに因るものだ、と指摘している。

ヨーロッパでは都市国家が発達し、市民は城壁で守られた都市の中で生活しており、身の安全と引き換えに公益性を重んじる思想が定着していったのだという。一方、日本にはその発達過程が無かった為、定着しなかったという。もう少し踏み込んで私見を述べさせてもらえば、日本の城下町にも城壁があることはあったが、それは城主と一部の家臣を守るためのもので、一般市民は蚊帳の外ならぬ城壁の外であり、城が攻められた時、盾にさせられたことはあっても守られたことは殆どなかったに違いない。必然的に、「自分の身は自分で守る」の意識が定着し、見返りのない公益性など芽生えなかったのだろう。当然と言えば、あまりに当然の結果である。

そして、こういった城の中の住人本位の発想は、今も日本のここかしこに垣間見ることができる。城を中央省庁に例えれば、縦割り行政で省益を優先的に考えている、と批判の多い霞が関にどこか似ている。省益優先の発想には、国家国民のためという公益性優先の思想は無い。はやり、戦国時代の城主やその家来たちと重なってしまう。城の主が公益性を無視すれば、城下の住民が公益性など考えないのは、無理からぬことなのである。

こうしてみると、日本人の思考の中に公益性への配慮が乏しいのは公益性を配慮してくれる指導者に恵まれなかった為だ、とは言い過ぎだろうか。3.11大震災後の政治や事故を起こした福島原発関係者の対応を見ていると、「矢張り恵まれないな……」と溜息が出てしまう。

【文責:知取気亭主人】



『 国土と日本人 』

【著者】大石 久和


【出版社】 中央公論新社
【ISBN】 978-4-12-102151-9
【ページ】 256p
【サイズ】 18 cm
【本体価格】 \882(税込)
 

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