2013年5月8日
5月5日は、言わずと知れた端午の節句である。通称子供の日、と呼ばれているが、元々は男の子の節句だ。鯉のぼりを五月の空に泳がせ、家の中では武者人形を飾り、チマキと柏餅を食べ、菖蒲湯に入って健やかな成長を願う、これが以前の端午の節句の習わしだったらしい。“らしい”というのは、私が住んでいる金沢周辺では鯉のぼりが泳いでいる姿をとんと見かけなくなったからだ。最大の理由は住宅事情にあることは間違いないところだが、我が家も例外ではない。
長男が生まれた時、我々が住んでいたのは借家だった。家そのものが手狭だったため、妻の実家から贈られた武者人形は、1年目だけのデビューで終わってしまった。ただ、家の周りにいびつな庭があったのと、隣の家との間に水路があって家同士の間隔が多少余裕あったこともあり、今の場所に転居するまでの6年間は、鯉のぼりだけは何とか泳がせていた。
ところが、今の場所に移ってからは、武者人形については相変わらず日の目を見ることなく過ぎてしまい、隣家との距離がグンと近くなってしまった事から、鯉のぼりもとうとうお蔵入りになってしまっていた。必然的に、改めて端午の節句を祝う、という事を長い間やってこなかったのだ。そこに、我が家最初の孫息子誕生である。待望の孫息子に、鯉のぼりは無理にしても、せめて武者人形だけでも飾ってやりたい、と思うのはジジババの自然な心情だろう。ということで、実に31年ぶりに飾ることにした(代々受け継ぐのには賛否両論あるようだが…)。
亡くなった義母が奮発してくれたやつで、大層立派な3段飾りだ。いざ飾るとなると、色々な小物を入れてあった段ボール箱が行方不明になっていたり、飾り棚の組み立てに四苦八苦したりと、心配していた通り、長い間飾らなかった付けが回って来た。それもその筈で、段ボール箱に入っていた新聞の日付は、1992年とある。1年目のデビュー以後1度だけ小物を箱から出した時があって、保管場所を湿気の多いガレージから家の中に移し替えた。その時保管状態を確認しながら虫干しをしたのだが、それが1992年だったのだ。昨日のことも思い出せないことが増えて来たのに、21年も前となればどこに片づけたかなど覚えていなくても致し方ないことだ。
そんなてんやわんやの騒動の末、何とか飾りつけも終わった。孫息子の名前を書いた家紋入り木札(?)も、妻と次女との共同作業で夜なべ仕事をしてこしらえた。次の日、全てが飾られた武者人形を見ていて記憶がよみがえったのだろう、突然妻が「鯉のぼりに“のぼり旗”があった筈だけど、あれなら飾れるんじゃない?」と言い出した。「そうかもしれんな」と私。早速、鯉のぼりの箱を開けてみた。
開けてみると、確かに“のぼり旗”はあった。しかし、長い!「こんなに長かったかな?」と思う程の長さで、二つ折りにしてベランダから垂らすとちょうど良い位だ。飾るか止めるか迷ったが、白い部分にシミができていたこともあって、虫干しも兼ねて飾ることにした。二つ折りではあるが、五月の空にはためくのは、実に28年ぶりだ。
旗には、2歳7ヶ月の孫娘が「怖い」という程、勇ましい武者人形が描かれている。ベランダから垂らしていると、丁度出てきた向かいの奥さんが、「勇ましい絵だねェ〜!ヤッパリこういうのは良いね!」と、盛んに喜んでくれる。実は長男のやつで狭くてこれまで飾っていなかった旨の話をすると、「そうそう」と自身の話を思い出しながら相槌を打つ。奥さんも、今の場所では飾れなかったという。やはり、家が建て込んでいる団地では、今も昔も鯉のぼりを泳がせるのは難しい。十分な広さを確保できる田舎にいかないとダメなのだろう。
ところが、従兄弟の話では、人口減少している田舎にも都市化の波が押し寄せているのか、鯉のぼりの泳ぐ姿が減って来たという。電話での話だが、「最近は静岡の田舎の方でも、鯉のぼりや吹き流しが電線に絡まって停電させる事故が増えてきているため、電力会社が注意を呼び掛けていて、飾る家庭が昔に比べ減ってきた」という。畑や広い庭を持っている家は端午の節句を祝うことが無い年寄り夫婦だけになってしまい、逆に、端午の節句を祝うような若い夫婦は田舎でも団地住まいが増えてきている、という事も言えるのだろう。いずれにせよ、鯉のぼりにとっては、肩身ならぬ“空”の狭い世の中になったものである。
そういった時代の流れを受けて、使われなくなった鯉のぼりを集めて泳がせる催しが、今全国各地で盛んに行われるようになっている。川や谷合を跨いで何百匹もの鯉のぼりが泳ぐ姿は、確かに勇壮だ。また、金沢の市街地を流れる浅野川では、川の中で友禅流しならぬ“鯉のぼり流し”を、架かる「梅の橋」には吹き流しをはためかせていたが、これなども、今まで見た事も無い面白い趣向だとは思う。しかし、唱歌「鯉のぼり」で「♪甍の波と雲の波 重なる波の中空を 橘かおる朝風に…」と詠われた情景とは、随分縁遠いものになってしまっている。
「せめて田舎では…」と思っていたのだが、それもどうやら、時代の流れに逆らうことは難しいようだ。電線の地中線化が進めばまだしも、観光客が押し押し寄せる事の無い田舎ではそれも難しいのだろう。この分だと、鯉のぼりの試練はまだまだ続きそうだ。しかもこの試練、どんな“滝”より手強そうである。
【文責:知取気亭主人】
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アヤメ(菖蒲):菖蒲湯に使う菖蒲ではない。花菖蒲でもない。
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